台風一過。空は雲ひとつない真っ青な青空が広がる。
厳しかった残暑も嘘のように、爽やかな秋風が私の中を吹き抜ける。
島の秋。
棚田も刈り入れを迎えて、稲の穂先も豊かに踊っている。
畦道に彼岸を迎えると必ず咲きそろう、真っ赤な蔓珠沙華が彩りを添える。
今年も収穫の秋を迎えて、
「生きていてよかったな」とほっと息をつくひとときだ。
しかし、彼岸を迎えても故郷に帰れず、いまだに避難生活を続けている7万人の人が福島にいることに思い至ると胸がズキリと痛む。
福島からセシウム米が検出されたことが報道される。
現実の補償の支払いもないままに、乏しい預金を取り崩しながら、生活を支え、前途に希望を乱せないままに、自殺していく人が後を絶たない。
原子の火と言う「文明」を手に入れた人類は、ほんとに豊かなのだろうか。
一月ほど前に、南の小さな島での灯火の話を見て深く考えさせられた。
島民は家族で40個ほどの椰子の実を採り、それらを削って絞りあげる。そこに焼けた石を投げ込んでコップ半分ほどの椰子の油を手に入れていた。
それを大切に扱って、か細いランプの灯をもとに家族が1週間は夜を過ごせると言う。
島の古老が静かに語っていた。
「ランプの日が消えた小屋があると「何かあったのではないか」と訪ねていく」と語っていた。
ふんだんにテレビ、冷蔵庫と電気生活に慣れてきた。私たちの生活が恥ずかしくなる。
昨夜のことテレビで、いまだに日本で行われてきた「焼き畑」の番組に深く感動した。
宮崎県の椎葉村の話だったが、数百年、ありは何千年も伝えられてきた焼き畑がいまだに行われていた。
そこでは30年に一回、かなりの面積の山を順番に焼き畑を行っている。梅雨の頃、楢やクヌギの雑木の山を切り払って火を放つ。
山間の谷に焼き畑の煙が立ち上って、神秘的でさえあった。
そこに昔からそこに伝えられてきたソバの種を播くと、もう8月には一面に白いソバの花が咲きそろう。
集落では飢饉に備えて50年前のソバが穂のままで蓄えられていた。
ソバを収穫した翌年には、稗を播く。
黒い穂の稗がそこかしこにたわわに風に揺れている。翌年は小豆、さらに次の年は大豆と4年間は焼き畑で耕作が続けられ、それから山に戻る。
セシウムの米、お茶、除染などと騒いでいる現代、島に久しぶりに来て、しみじみと考える。
文明とは何だろうか。
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