トンネルを抜けると一面雪景色だった。そこは島根県掛谷町、竹下登先生のふるさとだ。仕事で出雲まで来たが、かねてから一度は先生の墓参りをしたかったので、そのまま足を延ばした。たずねながら実家の造り酒屋「竹下酒造」にたどり着いた。「私はかつて竹下先生に大変お世話になったものですが、お墓はどちらでしょうか」とたずねた。じっと私の顔を見ていたまだ若いお嫁さんだろうか、そのまま仏間に案内してくれた。お焼香させていただいた。小さくたたいた鐘の余韻がいつまでも響く。先生のかつての居間に案内されて、暖かい抹茶のおもてなしを受けた。竹下先生のいつものにこやかな写真が飾られている。雪窓のついた障子の外、縁側の向こうのお庭は深い雪に覆われている。「お墓は、この裏山の向こうに130段の石段上り詰めたところに、小さなお寺がありますが、その左手にあります。しかし革靴では、雪にぬかって、とてもいけないでしょう」私はこの機会を逃してはお墓参りできそうもなかったので、行けるところまで行くことにした。幸い雪はやんでいて、気をつけながら杉木立の間を、石段を登った。登りつめたところに、ひっそりとしたお寺があって左のほうに歩いていくと、すぐに竹下先生のお墓はわかった。明るい、前面に広がった台地に向かった「竹下家のお墓」と書かれているだけで、比較的こじんまりとしたお墓だった。先生らしいと嬉しくなった。持ってきた蝋燭と線香を立てながら、先生にお世話になったそれまでのことをあれこれと思い浮かべた。今は亡き、水産に生涯をささげた政治家、田口長冶郎先生に突然引き合わされたのが最初だった。政治を勧められ、そして五島まで応援に来ていただいた。竹下先生が総理になったとき、官邸に呼ばれて、小沢一郎先生を紹介されて、今日に至っている。あまりにもいろいろなことがあった。