予算委員会で公共事業予算の箇所付けが事前に与党に報告されていたとして問題になっている。
国土交通省と同様、農水省でも公共事業の予算がある。
農水省では前年比37%と思い切って公共事業(土地改良事業)を減らして、農家の戸別所得補償に5618億円の予算をつけてメリハリをつけた。
現在減額されたとはいえ、農水省でも農山漁村の振興のために地方に交付される予算の配分について、優先順位の基準が政務3役でも検討がなされている。
先ずは灌漑排水が老朽化して、緊急に対策を講じなければならないところから優先すべきだと言った話になってきた。
驚いたことに、灌漑用水の施設は30年も経過すると老朽化して補修を必要とするものらしい。21年度だけでも2000億円を要している。
これからも莫大な予算が必要とされる。

私の地元大村市に、350年前の江戸時代に深沢義太夫という鯨網の親方が、個人の財産を投げ打って完成させた野岳湖(灌漑用水)がある。
ありがたいことに、いまだに200ヘクタールの水田を潤していている。
素晴らしいもので、堤も、石を組み合わせてできた斜樋、底樋は当時のままで使われている。勿論一部は補修されている。
古くからの「水守り」尾上五郎さんの話では、30年ほど前、一度だけ用水池を干したそうだが、底樋の入り口の当時の木材がそのまま残っていたそうで、石と石のつなぎは鉛が使われていたそうだ。
痛く感動した。
私がさらに感心したのは、用水地から田畑に引かれた数10キロに及ぶだろう水路が、石が積まれてできていて、いまだに水がとうとうと流れている。
ときおり、鮒などの泳ぐ姿も見られて嬉しくなってくる。

農水省で施工している現在の灌漑用水の水路は、地中に埋められた黒い鉄のパイプで作られている。バブルを開け閉めするだけで便利にはなったが、30年も経てば耐用年数がきて新たに交換しなければならなくなる。
江戸時代の野岳の用水は350年もの間、ほぼそのままで維持できたのだから凄い。

さらに凄い話がある。
アフガニスタンで、ペシャワール会(国境なき医師団)の中村哲医師がクナール河から24キロの水路を拓いて、不毛のカンべリ砂漠に、なんと3000ヘクタールもの青々とした麦畑を拓いたのだ。
しかも、政府のODA予算での助成金も一切なくて、個人の善意の寄付金を集めて完成させた。
20万人から30万人の難民が、農業で平穏な生活を取り戻すことができる。
中村医師は語る。
「私は医者なので、土木工事は素人です。九州では昔から筑後などさまざまな用水施設が今も残されています。それを見て歩きました。それを参考にコンクリートと鉄柱を使わずに、石と土だけで用水施設を拓くことにしたのです。日本に昔からあった蛇籠をとりいれました・・・・」
蛇籠とは金網に小石を詰め込んで、1立方メートルほどの籠にしたもので、それをツルハシで掘りさげた水路の両側に積み上げていく、気の遠くなるような工法を取り入れたのである。
若い日本の青年たちと延べ80万人もの現地のアフガンの人達が一体となって、黙々と汗を流して働いている様をCDで見ると、目頭がジンと熱くなってくる。
「瀕死の小国に世界中の超大国が束になってかかっている・・・」
と中村医師は嘆く。
治安は日を追うごとに悪くなって、記憶に新しいが、日本から来ていた伊藤和也さんは心無きテロによって殺された。
犠牲になった伊藤さんが現地で、頭をタオルできびって、にっこりとした笑顔は、何度見ても素晴らしい。
伊藤さんはもう日本に帰ってくることはないが、今アフガンではケシの花に変わって
彼が持ち込んだお茶の木が立派に育ち始めている。
さらにアフガンでは、日本から中村さんたちによって持ち込まれたサツマイモの栽培が人気を呼んでいるそうだ。
水路の側には、ガゼの樹の植林も始まった。7万本の植林が計画されている。

日本の農業公共事業のあり方も、ここいらで考え直さなければならないときにきた。