三宅島が噴火してすでに 年が経過した。今ようやく島に戻れて喜んでいる住民の姿をテレビで見ることができたが、昨今の島の厳しい生活を知っている私にとって手放しでは喜べない。

振り返ると当時、私は衆議院災害特別委員会のメンバーとしてまだ噴煙が激しく立ち昇る三宅島に降り立ったことがある。

雄山の地肌が熱い中をガスマスクをして中腹まで歩いたが、そのときの状況をいまだに忘れることができない。見渡す限り茶褐色の火山灰で埋もれた山肌に、真っ白な牛の形を残したままの骨がところどころに埋もれていた。放牧場の跡だろうか。

しばらくいて、下がり始めると立ち枯れした林の中に入る。なんともいえない光景だった。

さらにしばらく歩くと白っぽい幹から赤いものが見える。よく見ると椿の花だ。

葉が一枚も無いのに、必死で花だけを咲かそうとしている生命力。なんとすざまじいまでの自然界の営み。私は感動に震えたのを覚えている。

椿。私の生まれた五島でも、裏山に冬から春先にかけて、濃い緑の葉の間から黄色い芯を覆って赤い花を無数に咲かせる。

子供のころは、椿の花が咲き始めると、鳥もちの木の皮を剥いで、川で石ころで叩き、ねばねばしたものを竿の先につけて、椿の蜜を吸いに来る「目白」取りに興じていたものだ。

先日、私のところに

「島で、オリーブの栽培でなく、椿油を取るための椿の栽培を始めたいのですが、融資制度は無いのでしょうか・・・」と相談があった。

なるほど椿だったら手もいらない。幼いころ婆さんと裏山でゴルフボールくらいの固い椿の実を拾ったものだった。油は昔から鬢につけるなど貴重なものだ。

家内は伊豆七島、神津島の出身で、「椿ご飯」と称して子供たちにご米を椿油で炊いて食べさせてくれたが、香りもよくて美味しかった。てんぷらなど食用にも最高級品である。

調べると価格も1リットル当たり4000円から6000円もするが、国産はわずかに90トンも無く、400トン近くが中国から輸入されている。

何とか新しい島の産業として成り立たないものだろうか。

そんな話しを近所の農家の仲間としていたら、近くで畑に椿を植えていると言う。早速見に行った。

道路わきの畑に椿の樹が植えられていたが、3年たつというのに、背丈が1メートル50センチしかなく、なんとなくショボシャボして元気が無い。

何でも花をつけて椿の木らしくなるのには10年、実で採油するようになるのには、なんと20年はかかるそうだ。なんと気が遠くなるような話である。

されど杉やヒノキでも30年40年はかかるではないか。考えようだが低利の融資も国からの助成金50%もある。あの三宅島の椿の生命力を考えればできないことはない。