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感動した。
午後4時半、3階にある大臣室を辞して農水省の玄関エレベーターホールに下りたとき、ただならぬ異常な熱気に包まれた。広い玄関ホール一杯に沢山の農水省の職員が押しかけてくれていたのだ。


どの顔も上気している。時ならぬ拍手が起こった。
私も思わず手を大きく上げて、皆に感謝の意を伝える。そのまま玄関のほうまでゆっくりと歩く。玄関の外も黒山の人、人・・・、しかもよく見るとこの1年間、一緒にやってきた懐かしい顔ぶれで、皆で見送りにきてくれたのだ。
予想していなかっただけに、感動が込み上げてきて思わず涙が溢れそうになる。
先ほど、挨拶に来た農水省の幹部、本川官房長が「・・・ちょうど1年とは思えません。長い間お仕えしたような気がします」と語ったが、私も同感だった。
「そうだな、君は最初の補正予算の執行見直しのとき、私からがんがん怒鳴られて、まるでジェットコースターに乗っているような気分ですと言ったんだったな・・・・」
私が率先してチーム長を務めた戸別所得補償チームの針原総括審議官にしても、それぞれに尽きせぬ思いが走馬灯のように巡ってくる。
「花束贈呈です」
大きな花束が一つ、また一つと次々に四束も渡されて、両手に抱えきれない。


私の最後の大臣としての公用車、センチュリーが、ようやく人の波を制しながら入ってきた。
一際、拍手が大きくなる。
私も車に乗り込む。
これでお別れだ。たった1年間だったが、長いときをこの農水省で過ごしたような感慨が湧いた。
隣の副大臣、大臣と私を支えてくれた羽石秘書官もうっすらと涙を浮かべているかのようだ。
「有難う・・・」
「大臣、私から見ても、農水省は大臣が示した方向で、本当に大きく変わったと思います」
有難い。

今回、菅内閣の改造では私は留任されることは無かった。
とはいえ、私にとっては幸運だった。政権交代して、最初とも言える本格的な予算を組む大仕事を大臣としてやらせていただいたのだ。
「民主党政権は財源が足りないので、マニフェストを実現できない・・・・・」などと言われる中で、農水省はこれまでの2兆4000億円の予算の総枠の中で1兆円規模の戸別所得補償を実現することができた。
しかも来年、資源管理を前提とした漁業所得補償まで557億円の予算で実現するのだ。
林業でも570億円の直接支払いの制度を創設した。
それには昨年副大臣のとき、すでに2009年民主党のマニフェストで約束した農業公共事業について4年間で削減する予定を1年間で達成、しかも基金などの積立金を精査して、いわゆる埋蔵金だけでも7000億円も国庫に返納した。
さらに郡司副大臣、佐々木、舟山政務官と徹底的に農水省の500からの事業を一件ずつ虱潰しに潰して無駄だけでも2000億円も削減したのだ。
「こんな、細かいことまでやるのか」と途中から参加した篠原副大臣は呆れていたが、農水省の政務三役はやってのけたのだ。
財源が無い・・などと言わなくてもやればできる。現に我々、農水省政務三役はやったのだ。

ここまでやれたのは、農水省職員の一人ひとりと我々が気持ちを一つにすることができたからではないだろうか。
戸別所得補償の米のモデル事業も今年132万戸の農家が参加、集落営農だけでも1500も増えたので総数で154万戸を超えると思われる。それも各県の農政事務所の職員が、それこそ農家を一軒ずつ巡っての成果だった。
ある県では、職員が自分の車にスピーカーを取り付けて「戸別所得補償に参加してください」と放送しながら巡回を続けたという。これまでになかったことだ。

大臣室を去るに当たって、ひと時の間、私を支えてくれた秘書室の皆さんと応接室でお茶を飲んだ。
いつも大臣室の来訪者にお茶を入れてくれる女性の沖野さんが、胡蝶蘭の小さな鉢を運んできた。


「大臣、今朝、花が咲いたのです」
就任当時、100を越える胡蝶蘭がお祝いとして届けられたが、その中の小さな鉢に、花が枯れても彼女は大切に水を与え続けた。
薄いピンク色の可憐な花弁が見事に一輪開いている。可憐に微笑んでいる。
嬉しい。
「大臣、私達が大臣室のベランダで育てた野菜です」


籠の中に、可愛いゴーヤとミニトマト、少し虫に食われた曲がったキュウリが詰められている。
有難いではないか。

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