五島の福江教会で岩下裕志神父様の初ミサに預かった。
教会のうちはいつになく信徒の皆さんで溢れていた。福江の出身で神学校に入り16年間研鑽を重ねて、先日めでたく司祭に叙階された。
「17人の仲間が神学校に入りました。中には学問も人格的にも優れた方が何人もいましたが、結果として私だけが司祭(神父)になりました・・・・」
若い岩下神父様は澄んだ声で淡々と語りかける。
真っ白な法衣を左右に大きく広げると、教会内の老若男女の信者を包み込んでいくような雰囲気が醸し出される。
「・・・・・・・立場が人を作ると言われています。私もまた皆様の薫陶得て」
と謙虚だ。
「・・神に導かれてと言うより、段々と進むべき道が狭まってきて、結局この道を歩き始めている、神の思し召しでしょうか」
実に爽やかなお説教だった。
私は、若い神父様がこれから信者の皆さんのために、幾多の困難と感動の道を歩かれることに思いを馳せ、健やかな人生を送られることを神にお願いした。
そして、今日のミサの第一朗読、旧約聖書の創世記の有名な話、アダムとイブが禁断の木の実を食べてからのことをあれこれ考えた。

お前は生涯食べ物を得ようと苦しむ。
お前は顔に汗を流してパンを得る。
土に返るときまで。

人はいずれ誰でも土にかえる。それまで日毎の糧を稼いで生きていかなければならない。
野の草を食べようとするお前に
土は茨とアザミを生え出でさせる。

今、年末の派遣切りでも明らかなように、一人暮らしのお年よりもこの寒空の中餓死者があとをたたない。
神にお祈りするだけでなく、この与えられた試練は太古の創世記からの大きな課題、政治の社会の責任、私たち一人ひとりが考えて、動き出さなければならない。
これから船出する若い神父様の祝賀の席で、私もまた決意を新たにする。