徳田虎雄先生がお亡くなりになりました。

7月16日家族葬に間に合ってお別れしました。

22年もの長い間ALSと闘い、さぞかし身を斬られるより辛かったと思いますが、安らかな寝顔でした。

徳田さんが徳之島、私が五島列島生まれなので、議員になってからは意気投合、島嶼議連を作って一緒に離島を駆け回りました。

私が30年前「島へ。」の雑誌を創刊した時もずうっと応援して頂いたことは懐かしい思い出です。
(雑誌は私が議員をやめてからは古川猛さんに譲って今も続いています)

秀子婦人と子どもさん達と久しぶりに語らいました。

徳田さんは医者になるため身一つで大阪へ。

島を出る時、牛小屋で幼なじみの秀子さんに必ず迎えにくるからと誓ったそうです。

そして「命だけは平等だ」と今の徳洲会病院グループを作りあげたのです。

恵まれない人のため権力と命がけで闘った男、病気で倒れて身動きができなくなっても、なお闘っていました。

9年前鎌倉の病院にお見舞に行った時は、50音の大きな表を使い目の動きで会話しましたが、その時も日本の行く末を深く心配していました。




その後ALS が進行して目も動かなくなったとお聞きしましたが、持ち前の凄まじいエネルギーで今日まで病気と闘ったのです。