◎ポスターから見えて来る夜の街、そしてその時代

友人と一緒に飲みに行った行きつけの居酒屋に何ともノスタルジックなポスターがあったから撮ってみた。


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右下に右書きで「大日本麥酒株式會社」の文字が。


「會社」はなんとなく「会社」だと分かっても「麥」、この字は「麦」の本字なんだけど今どき読める人も居ないんじゃないかなー

なので麥酒(ばくしゅ、ビール)と読みます。

大日本麥酒株式會は明治に3社合併して出来た会社で、のちに戦後のGHQの占領政策のもとで分割されて現在のアサヒビールとサッポロビールとなります。

ポスターの真ん中に昔で言う女給さんが描かれてますね。

そもそも遊郭・花街とは別の流れで成立して行く「夜の街」の歴史は、明治末期から昭和の始め辺りの銀座に出来たカフェー或いは喫茶店が発祥で、当時は社交場として使用される意味合いが強かった。

ところが昭和の初め関東大震災以後辺りから女給さんのサービスがアダルトな感じになってきて、そうじゃない店がカフェーとの差別化を図るために喫茶店の名前を強調したんで取り敢えず別になった感じ。

しかし喫茶店を名乗ってたところもお酒をメインにするところはそのまま続いてそれが今で言うスナックやラウンジになって行く。

コーヒーやモーニングを出す現在の一般的なイメージの喫茶店は純喫茶と言いますが、今でもお年寄りは喫茶店をスナックって言ったりすることもあるのもこう言った背景があったりするんです。

で、戦後にGHQ(日本を占領してた米軍)向けにそのカフェーが生バンドやダンスフロアを導入したりしてキャバレー・クラブが流行することになる。

のちに学生運動華やかりし頃に東京で良く学生たちが利用してた喫茶店でジャズなんかを良く掛けてたジャズ喫茶なんてのもそう言った流れですね。

昭和のスナックブームは60年代以降の営業法の法改定によってで、高額なキャバレー・クラブより安価なスナックのママを目当てに一杯やるスタイルが全国に広まって行きます。

現在、キャバクラと呼ばれる所は当然そのキャバレー・クラブの略称なんだけどバブル崩壊以後、生バンドまでやってる店はほとんど無くなりましたね。

無駄に高いところは変わってないが…

女給さんの呼称も店のスタイルの変遷によってウェイトレスからホステス、キャバ嬢へ。

なので我が国で昭和初期の小説などの夜の街の舞台となったカフェーとは喫茶店、スナック、バー、キャバレー・クラブ、現在のキャバクラやラウンジ、メイド喫茶、ガールズバー等々の元祖的な存在になるんです。


◎右書きと旧仮名遣い

ポスターの横書きつまり右から左へ書いて行く右書きなんですが、そもそも日本には横書きがなく決まりも無かったんですが明治末期から紙幣や新聞、看板には右から左へかく右描きが主流でしたが、昭和それも戦時中に文部省の決定で左書きが打ち出されます。

特に紙幣なんかは漢字は右書き、数字は左書きってなんともヘンテコリンな状態だったんです。

しかし戦時中の為、敵性言語と同じにすることに対する反発で、右書きがそのまま終戦後まで続きます。

そして戦後、これまたGHQ主導で新聞や看板の左書きを主流にさせる政策が打ち出され終戦翌年の元旦1発目から読売新聞が左書きへ変えたのを嚆矢に徐々に左書きへと変わって行きます。

そしてその翌年から毎日新聞は、左書きを採用すると共に当用漢字表と「新かなづかい」を採用することを告知、現在の漢字を使用することとなります。

今でも右翼のバカたちが街宣車や旗などを右書きにして旧仮名遣いにしてるのは本当の日本は戦争で負ける前までで、GHQに支配された以降は本当の日本じゃないと言いたいからで、つまり戦前を意識してるんすわ。

本当の日本は江戸時代までで明治以降は本当の日本じゃないと考えてる私からしたらどーでも良い話し。

ちなみに当用漢字とは使用する漢字の数を1850まで制限するもので現在の公式文書や教科書、新聞小説等々で使われてるものですが、それ以前の使用漢字は6000文字ってんだから余程教養がないと新聞も読みこなせなかったんですね。

なので大日本麥酒株式會の「麥」の字も「麦」に「會」も「会社」に改められるのはこの頃なんですね。

居酒屋に何となく貼ってあったポスターを一杯やりながらそんなノスタルジックな気分に浸ったので投稿してみましたが、一枚のポスターからこれほどその時代の風俗や文化、その流れまで話が広がるんですから面白いですねー(^^)