某所への投稿

《以下5月24日の投稿》


(・ω・)ちょっと確信。

オヤジとも話したんだが、柴灯護摩や火生三昧は火山の噴火だろって。

最近、御嶽山や桜島等の火山が活発だが、柴灯や火生の煙の上がり方を見た人は山が噴火したときの煙の上がり方とソックリだと分かるよね?

煙が垂直に上がって空一面を覆い辺りが薄暗くなる様はありゃ噴火を擬したもんだって。

五来ってヘボ学者はなんでもかんでも修験の行法を擬死再生儀礼に結び付けるが、これはそーじゃねーべ?

究極のところ分かりやすく言えば、山に向かって柴灯なり火生をやるってことは、山が噴火する前に噴火に擬したことをやっちゃって噴火はもうしちゃってるんでもう噴火しないでね!ってことじゃないだろか?

分かった?

つまり実際に噴火する前に噴火させちゃう、そー言う構造なんじゃないかな?

だから噴火を鎮めるには、つまり神の顕現(祟り)を鎮めるには柴灯なり火生を修すのが一番なんじゃないかな。

御嶽山の噴火についてテレビを見てて思ったんだけど、あれだけ無数にある霊神碑をまったく映さなかったし、かつては百日の重潔斎を終えた者しか登山は許されなかったのに今では無知な一般人が軽く登れるようになっている。

あの無数にある霊神碑に腰掛け、ゴミを捨て、クソして、足蹴にしたら御嶽山大権現だって怒るわな。

御嶽行者も一般人と登るのはゴメンだ!と言って年々少なくなってると聞いた。

つまり鎮めの力が弱くなったんじゃないかな。

テレビでさんざん安全対策について話してたが、ぜんぜんお門違い。

一番の安全対策はその山の行者が柴灯護摩なり火生三昧をやることだと思う。

ついでに、柴灯や火生の時に龍神系が降臨するのは龍脈は水脈のことだが、そもそもは日本列島を縦断する火山脈のことで、龍神が降臨することで火山脈→水脈に転換するってことじゃなかろか?

つまり火のエネルギーが鎮まることによって水のエネルギーに変わるってことを現してるんだと思う。

と、確信した。

ご静聴ありがとーございました!

◎追伸

「火をもって火を滅するの儀なり」

と修験の秘文があるが、上記の解釈によれば、水脈はそもそも火山脈と考えれば水が火だったってことだから成る程と思う。

http://nikko-shugendo.com/oshirase/?p=868

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