◎皇国史観を批判する
以下、長文になりますのでお茶かお酒の準備を^^
先ず、国粋主義の思想的根拠は後期国学や水戸学ですが、その本質は和製中華思想です。
その中華思想の理論的根拠は儒教なのですが、これは山鹿素行よりちょっと前あたりから出てきますが、「本当の中華は日本だ!」って考えですね。
後期水戸学、また復古神道や垂加神道などは仏教は外来のものであるからと主張して排撃の対象としました。
これが後に排仏毀釈運動になって行く訳ですが、ぢゃ、なんで同じく外来の儒教は良いの? しかも後期国学や水戸学、垂加神道は神道を儒教理論によって説明しているのに?
その答えが、「こっちが本当の中華だからだ!」みたいな感じです。
こうして出来上がって行くのが、皇国史観、それに基づく国家神道やその教義である教育勅語なわけですね。
そもそもがその母体からしてインチキなんです。
そうしたインチキに国学者の平田篤胤や会沢正志斎が更にインチキしてキリスト教的な一神教原理主義を持ち込んだ。
これが後に大東亜共栄圏理論となって行きます。
我が国はこの皇国史観に国家社会主義がくっ付いて国民弾圧の正当化理論となっていきました。
シナの場合、中華思想に共産主義がくっ付いて国民弾圧と侵略の正当化理論となっていきまた。
そもそも我が国を含め、東アジアや東南アジアなどは自分の国が一番好きなのではるばるうみを越えて人様の国を乗っ取ろうなんて考えは有りませんでした。
秀吉とフビライは例外として。
◎高名な国史学者?
話は変わりますが、頭スカスカでパカパカな自称保守や右翼に持て囃されてる東京帝大国史学教授「平泉澄」という国史学者がいますが明治二十八年に生まれて昭和五十九年で没。
その平泉さん、こんなこと言ってます。
「闇斎の垂加神道が異国の道を以って習合付会しないのは思想の純化の表現である」
↑こういってるそばから
「闇斎が日本精神に覚醒して、神道を以って大本となし、儒教を以って羽翼と為したことは日本精神自覚に於いて重大な意義を持つ」
と言ってる訳です。
こんな矛盾した主張を厚顔無恥にも堂々とノーノーと言える輩がイケシャアシャと皇国史観を作って行ったと言えますね。
話はそれますが、平泉さんは、もう依怙地になってたんですよね。
彼の出自である平泉寺って言ったらもともとは修験の名門です。
信教の自由が許された以降も寺に戻らなかったので神仏習合など言われたら自らのアイディンティティーが無くなっちゃうもんだから必死です。
だから何でもかんでも神道神道神道ってなるんです。
そのことは華厳宗の僧である明恵上人を「神道の体現者」と紹介してることからも分かります。
明恵上人の時代が、もちろん神仏習合の時代であったことは、当たり前に誰でもわかります。
しかし彼はそれを隠します。
こんなんが「高名な国史学者」なのです。
在日や韓国人が優秀な日本人を見ると必ず「あれは在日だから」って云う、在日認定と一緒です^^
ちなみにこの平泉の弟子の流れには女性天皇論の田中卓氏や所功氏なんかがいます。
で、その路線でやってるのがカルト弁護士の「国体護持塾」の一派である「けんむの会」代表 佐藤素心宮司。
佐藤素心氏が宮司を務めてるのが
↓
http://www.yoshimizu-shrine.com/
HP冒頭の説明で
「修験道の勢力と共に発展して来たが」
とあるが、なんなんですかね、この説明は。
この神社自体が「修験道の勢力」だったんだが。
「共に」ってなんなんだ?
ブログもやってるみたいです↓
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/
ここも信教の自由が許された以降も寺に戻らず神仏分離を正当化しようと平泉さんと一緒で必死です。
HPをご覧いただければ分かりますが、勝手神社(旧称「勝手の宮」)が焼けちゃったんです。
でもカネがない。
だからここの宮司はバカな右翼や自称保守ウケすること言ってカネ儲けでも画策してるんでしょう。
だいたい南朝正統論を居丈高に唱える輩に碌な奴はいません。
南朝正統史観の「神皇正統記」は当時の思想を知るうえで欠かせませんが、それとは話が別です。
まぁ、国体国体と騒ぐならちゃんとこんなキリスト教や儒教のパクリでなく我が国の「国体」を学んで欲しいと思います。
また最近は「平和念仏主義」の「左側」からも「皇国史観」を利用する輩が出てきたみたいです。
・ポスター
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/51/8d3bb7e08fcbd1fd717fc0630e8bfcc4.jpg
この「長州から世界へ」の講師を見ると「河内正臣」とあり、「いっきゅう会」と「天皇の真実を知る会」の会長とあります。
大根役者の山本太郎の名も挙がってますね^^。
・いっきゅう会
http://19kai.jp/
・天皇の真実を知る会
http://www.infact-j.com/kouti/mk1.htm
以下抜粋します。
「天皇陛下が即位大典で明言された『憲法順守』の大御心(大詔おおみことのり)を正しく順守(承詔必謹しょうしょひっきん)する憲法一条と九条を同等に尊重しむすんだ『天皇絶対平和(八紘為宇)』の国是を明確化(復活)することである!」
「神武天皇の肇国以来厳然と定まっている日本の率先天命『八紘為宇=地球一家』達成への道が開かれてくるのである!」
↑カルト丸出しでキムチ悪くないですか?
「地球維新」だの「地球一家」って・・・。
まぁ、右のカルト弁護士も左の河内氏も「共生主義者」であり「設計主義」という同母胎から派生した兄弟。
つまり同根です。
以下、長文になりますのでお茶かお酒の準備を^^
先ず、国粋主義の思想的根拠は後期国学や水戸学ですが、その本質は和製中華思想です。
その中華思想の理論的根拠は儒教なのですが、これは山鹿素行よりちょっと前あたりから出てきますが、「本当の中華は日本だ!」って考えですね。
後期水戸学、また復古神道や垂加神道などは仏教は外来のものであるからと主張して排撃の対象としました。
これが後に排仏毀釈運動になって行く訳ですが、ぢゃ、なんで同じく外来の儒教は良いの? しかも後期国学や水戸学、垂加神道は神道を儒教理論によって説明しているのに?
その答えが、「こっちが本当の中華だからだ!」みたいな感じです。
こうして出来上がって行くのが、皇国史観、それに基づく国家神道やその教義である教育勅語なわけですね。
そもそもがその母体からしてインチキなんです。
そうしたインチキに国学者の平田篤胤や会沢正志斎が更にインチキしてキリスト教的な一神教原理主義を持ち込んだ。
これが後に大東亜共栄圏理論となって行きます。
我が国はこの皇国史観に国家社会主義がくっ付いて国民弾圧の正当化理論となっていきました。
シナの場合、中華思想に共産主義がくっ付いて国民弾圧と侵略の正当化理論となっていきまた。
そもそも我が国を含め、東アジアや東南アジアなどは自分の国が一番好きなのではるばるうみを越えて人様の国を乗っ取ろうなんて考えは有りませんでした。
秀吉とフビライは例外として。
◎高名な国史学者?
話は変わりますが、頭スカスカでパカパカな自称保守や右翼に持て囃されてる東京帝大国史学教授「平泉澄」という国史学者がいますが明治二十八年に生まれて昭和五十九年で没。
その平泉さん、こんなこと言ってます。
「闇斎の垂加神道が異国の道を以って習合付会しないのは思想の純化の表現である」
↑こういってるそばから
「闇斎が日本精神に覚醒して、神道を以って大本となし、儒教を以って羽翼と為したことは日本精神自覚に於いて重大な意義を持つ」
と言ってる訳です。
こんな矛盾した主張を厚顔無恥にも堂々とノーノーと言える輩がイケシャアシャと皇国史観を作って行ったと言えますね。
話はそれますが、平泉さんは、もう依怙地になってたんですよね。
彼の出自である平泉寺って言ったらもともとは修験の名門です。
信教の自由が許された以降も寺に戻らなかったので神仏習合など言われたら自らのアイディンティティーが無くなっちゃうもんだから必死です。
だから何でもかんでも神道神道神道ってなるんです。
そのことは華厳宗の僧である明恵上人を「神道の体現者」と紹介してることからも分かります。
明恵上人の時代が、もちろん神仏習合の時代であったことは、当たり前に誰でもわかります。
しかし彼はそれを隠します。
こんなんが「高名な国史学者」なのです。
在日や韓国人が優秀な日本人を見ると必ず「あれは在日だから」って云う、在日認定と一緒です^^
ちなみにこの平泉の弟子の流れには女性天皇論の田中卓氏や所功氏なんかがいます。
で、その路線でやってるのがカルト弁護士の「国体護持塾」の一派である「けんむの会」代表 佐藤素心宮司。
佐藤素心氏が宮司を務めてるのが
↓
http://www.yoshimizu-shrine.com/
HP冒頭の説明で
「修験道の勢力と共に発展して来たが」
とあるが、なんなんですかね、この説明は。
この神社自体が「修験道の勢力」だったんだが。
「共に」ってなんなんだ?
ブログもやってるみたいです↓
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/
ここも信教の自由が許された以降も寺に戻らず神仏分離を正当化しようと平泉さんと一緒で必死です。
HPをご覧いただければ分かりますが、勝手神社(旧称「勝手の宮」)が焼けちゃったんです。
でもカネがない。
だからここの宮司はバカな右翼や自称保守ウケすること言ってカネ儲けでも画策してるんでしょう。
だいたい南朝正統論を居丈高に唱える輩に碌な奴はいません。
南朝正統史観の「神皇正統記」は当時の思想を知るうえで欠かせませんが、それとは話が別です。
まぁ、国体国体と騒ぐならちゃんとこんなキリスト教や儒教のパクリでなく我が国の「国体」を学んで欲しいと思います。
また最近は「平和念仏主義」の「左側」からも「皇国史観」を利用する輩が出てきたみたいです。
・ポスター
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/51/8d3bb7e08fcbd1fd717fc0630e8bfcc4.jpg
この「長州から世界へ」の講師を見ると「河内正臣」とあり、「いっきゅう会」と「天皇の真実を知る会」の会長とあります。
大根役者の山本太郎の名も挙がってますね^^。
・いっきゅう会
http://19kai.jp/
・天皇の真実を知る会
http://www.infact-j.com/kouti/mk1.htm
以下抜粋します。
「天皇陛下が即位大典で明言された『憲法順守』の大御心(大詔おおみことのり)を正しく順守(承詔必謹しょうしょひっきん)する憲法一条と九条を同等に尊重しむすんだ『天皇絶対平和(八紘為宇)』の国是を明確化(復活)することである!」
「神武天皇の肇国以来厳然と定まっている日本の率先天命『八紘為宇=地球一家』達成への道が開かれてくるのである!」
↑カルト丸出しでキムチ悪くないですか?
「地球維新」だの「地球一家」って・・・。
まぁ、右のカルト弁護士も左の河内氏も「共生主義者」であり「設計主義」という同母胎から派生した兄弟。
つまり同根です。
◎二つのインチキ皇国史観
ちなみに皇国史観には
1、1935年頃から高まった「国体明徴」「教学刷新」の意義を明らかにし、その精神を国民に徹底させることを企図した文部省編の「国体の本義」(1937年5月刊行)や、
2、日本の枢軸国参加による日米開戦の接近を意識した総力戦体制の要請に応える国民教化策の一環として文部省外局として設置の教学局が編纂した『臣民の道』(1941年文部省教学局 刊)
などは官製カルト国家神道に基づく歴史観、「皇国史観」に由って立つものであります。
これは戦前・前中と正統的歴史観として支配的地位を占めました。
そしてその「皇国史観」には、戦中、文部省によって、主に高級文官試験用の公定歴史解説書として編纂され、東亜諸地域を包摂する新しい歴史観・国体観を打ち出した『国史概説』 及び、その大東亜地域版である『大東亜史概説』に代表される
・「皇国賛美史観(文部省史観)」
と、1930年半ばから、平泉澄とその門下によって唱えられた日本一国主義の立場に立つ
・「皇国護持史観(平泉史観)」
の二種類があるとする論説があるが、どちらも同じ穴のムジナであります。
上の右のカルト弁護士と左の河内氏と同じもんです。
◎本当の尊皇家ほどバカをみた
さて、明治維新後に薩長政府が会津藩の生き残り山川浩が書いた第一級の資料「京都守護職始末」の出版を非常に怖れました。
だって薩摩と長州の悪行が暴露されてる暴露本ですから、これはマズイ訳です。
しかし薩長政府の悪行を暴露してるのは良いが、よく読んでみると皇国史観の粋を出ない。
何故か?
幕末、一番の尊皇藩と言えば会津藩と水戸藩でした。
最後の将軍・慶喜も水戸藩出身です。 水戸藩と云えば水戸学発生の地です。
だからこそ王政復古のクーデター以後、戦ったら必ず勝つ位置にいるのにも関わらず官軍と一戦も交えなかったので す。
松平容保もだからこそ莫大な出費で藩を潰す覚悟で京都守護職を引き受けたのです。
そんな尊皇藩が「逆賊」の汚名を受けるには忍びなかった。
ですから当時の初期皇国史観が常識になっていたのを逆手に取って皇国史観でもって我々は尊皇藩であったと主張したのです。
つまり幕末は「本当の尊皇家」ほどバカをみた訳です。
なので東北諸藩もそれにならって皇国史観でもって自らの正当性を主張した訳です。
そんなわけで、王政復古のクーデターを起こした薩長も、逆賊の汚名を着せられた東北諸藩 も、またそれ以後の大日本帝国も、それぞれがそれぞれの思惑で皇国史観を用い、また補強していきました。
ですから皇国史観とは斯くも根が深く、複雑な問題を孕んでいるものなのです。
明治以降に作られた「国家神道」に比べればオウムだの統一教会だの創価学会だのが可愛く見えてしまいます。
いまだに日本人を縛り付け、自称保守や右翼、或いは愛国者と称する人々はこれを前提にしています。
◎何かを信じたい
最後に、明治以前、日本人が信仰していたものはあくまでも神仏習合が基本でした。
明治維新後、新政府は様々な伝統文化の破壊と神仏分離令、神社合祀令、修験道廃止令等々の悪法を乱発し、それに基づく神仏習合寺院への徹底的な弾圧である廃仏毀釈運動が行われましたが、神仏習合が基本であった我々日本人にとって、神と仏を分離することは日本人の精神の根幹を真っ二つに裂くような一大事件でした。
ちなみに皇国史観には
1、1935年頃から高まった「国体明徴」「教学刷新」の意義を明らかにし、その精神を国民に徹底させることを企図した文部省編の「国体の本義」(1937年5月刊行)や、
2、日本の枢軸国参加による日米開戦の接近を意識した総力戦体制の要請に応える国民教化策の一環として文部省外局として設置の教学局が編纂した『臣民の道』(1941年文部省教学局 刊)
などは官製カルト国家神道に基づく歴史観、「皇国史観」に由って立つものであります。
これは戦前・前中と正統的歴史観として支配的地位を占めました。
そしてその「皇国史観」には、戦中、文部省によって、主に高級文官試験用の公定歴史解説書として編纂され、東亜諸地域を包摂する新しい歴史観・国体観を打ち出した『国史概説』 及び、その大東亜地域版である『大東亜史概説』に代表される
・「皇国賛美史観(文部省史観)」
と、1930年半ばから、平泉澄とその門下によって唱えられた日本一国主義の立場に立つ
・「皇国護持史観(平泉史観)」
の二種類があるとする論説があるが、どちらも同じ穴のムジナであります。
上の右のカルト弁護士と左の河内氏と同じもんです。
◎本当の尊皇家ほどバカをみた
さて、明治維新後に薩長政府が会津藩の生き残り山川浩が書いた第一級の資料「京都守護職始末」の出版を非常に怖れました。
だって薩摩と長州の悪行が暴露されてる暴露本ですから、これはマズイ訳です。
しかし薩長政府の悪行を暴露してるのは良いが、よく読んでみると皇国史観の粋を出ない。
何故か?
幕末、一番の尊皇藩と言えば会津藩と水戸藩でした。
最後の将軍・慶喜も水戸藩出身です。 水戸藩と云えば水戸学発生の地です。
だからこそ王政復古のクーデター以後、戦ったら必ず勝つ位置にいるのにも関わらず官軍と一戦も交えなかったので す。
松平容保もだからこそ莫大な出費で藩を潰す覚悟で京都守護職を引き受けたのです。
そんな尊皇藩が「逆賊」の汚名を受けるには忍びなかった。
ですから当時の初期皇国史観が常識になっていたのを逆手に取って皇国史観でもって我々は尊皇藩であったと主張したのです。
つまり幕末は「本当の尊皇家」ほどバカをみた訳です。
なので東北諸藩もそれにならって皇国史観でもって自らの正当性を主張した訳です。
そんなわけで、王政復古のクーデターを起こした薩長も、逆賊の汚名を着せられた東北諸藩 も、またそれ以後の大日本帝国も、それぞれがそれぞれの思惑で皇国史観を用い、また補強していきました。
ですから皇国史観とは斯くも根が深く、複雑な問題を孕んでいるものなのです。
明治以降に作られた「国家神道」に比べればオウムだの統一教会だの創価学会だのが可愛く見えてしまいます。
いまだに日本人を縛り付け、自称保守や右翼、或いは愛国者と称する人々はこれを前提にしています。
◎何かを信じたい
最後に、明治以前、日本人が信仰していたものはあくまでも神仏習合が基本でした。
明治維新後、新政府は様々な伝統文化の破壊と神仏分離令、神社合祀令、修験道廃止令等々の悪法を乱発し、それに基づく神仏習合寺院への徹底的な弾圧である廃仏毀釈運動が行われましたが、神仏習合が基本であった我々日本人にとって、神と仏を分離することは日本人の精神の根幹を真っ二つに裂くような一大事件でした。
これがなかったら我が国が世界に誇れる国宝はどれほど有ったことでしょうか。
そして急拵えのインスタント皇国史観を根幹に持つ官製カルト国家神道なる新興宗教によって国民を国家に集中させコントロールしようとしました。
しかし日本人はすぐに国家神道の洗脳にかかった訳では無く、明治、大正、昭和初期ではまだ江戸時代の神仏習合の習慣はまだ残っていました。
しかし、学校教育(教育勅語)やマスコミ等を通じて官製カルト国家神道は確実に国民の心に浸透していきました。
昭和維新のころには日本人はほとんど官製カルト国家神道の信者となっていた。
そして日本は急速に右傾化(左傾化でも同じ)していき、一億総玉砕(アカヒ新聞の造語)の道を歩むことになる。
日本人が特攻をした、或いは特攻という命令を出した理由のひとつは間違いなく国家神道による洗脳であります。
私は声を大にして言いたい!
明治以前の人々は生きるために戦ったんだ!
決して死ぬためになんぞ戦わん!
敗戦後、もはや我々日本人の心の中は何もなかった。
神も仏も天皇もない、全て消えた。
そして現在の日本人は無宗教と言われるようになりました。
これは日本人の精神破壊の歴史であります。
現在の日本人の精神には根っこがないと言われてます。
お金があろうがエリートだろうが信念がないと。
根がなくなってしまったのは神と仏をバラバラにされたからであります。
そして信じられるものがなくなったからであります。
日本で「宗教を名乗らない新興宗教」が次から次へと出るのは心のどこかで宗教を必要としているのであります。
そして急拵えのインスタント皇国史観を根幹に持つ官製カルト国家神道なる新興宗教によって国民を国家に集中させコントロールしようとしました。
しかし日本人はすぐに国家神道の洗脳にかかった訳では無く、明治、大正、昭和初期ではまだ江戸時代の神仏習合の習慣はまだ残っていました。
しかし、学校教育(教育勅語)やマスコミ等を通じて官製カルト国家神道は確実に国民の心に浸透していきました。
昭和維新のころには日本人はほとんど官製カルト国家神道の信者となっていた。
そして日本は急速に右傾化(左傾化でも同じ)していき、一億総玉砕(アカヒ新聞の造語)の道を歩むことになる。
日本人が特攻をした、或いは特攻という命令を出した理由のひとつは間違いなく国家神道による洗脳であります。
私は声を大にして言いたい!
明治以前の人々は生きるために戦ったんだ!
決して死ぬためになんぞ戦わん!
敗戦後、もはや我々日本人の心の中は何もなかった。
神も仏も天皇もない、全て消えた。
そして現在の日本人は無宗教と言われるようになりました。
これは日本人の精神破壊の歴史であります。
現在の日本人の精神には根っこがないと言われてます。
お金があろうがエリートだろうが信念がないと。
根がなくなってしまったのは神と仏をバラバラにされたからであります。
そして信じられるものがなくなったからであります。
日本で「宗教を名乗らない新興宗教」が次から次へと出るのは心のどこかで宗教を必要としているのであります。
スピ系がアセンションだの宇宙人にハマるのも、自称保守、自称愛国者等々が安倍や麻生や小沢といった政治家を妄信崇拝するのもこれが原因では無いでしょうか。
「信じるものが欲しい」、そう、心のどこかで願っているのではないでしょうか。
「信じるものが欲しい」、そう、心のどこかで願っているのではないでしょうか。