(前記事からのつづき)

ここに、遍照金剛(へんじょうこんごう・弘法大師・空海)が密教を伝えられると、丹生明神(にぶみょうじん)は高野山(こうやさん)の土地を大師に与え、伝教大師(でんぎょうだいし・最澄)が顕宗(けんしゅう・天台法華宗)を台嶺(たいれい・比叡山)に広められたとき、日吉山王権現(ひえさんのうごんげん)は、その教えを守られました。

それだけではありません。

金陵(きんりょう)で成立した華厳(けごん)の教えは善神がお守りになり、三性三無性五重唯識(さんしょうさんむしょうごじゅうゆいしき)を説く法相(ほっそう・法相宗)の教えに対しては、春日大明神(かすがだいみょうじん)が垂迹神(すいじゃくしん)として影を現されます。

金剛蔵王大権現(こんごうざおうだいごんげん)は、御本体が釈迦如来であり、釈尊が仮に沙羅双樹(さらそうじゅ)の下に涅槃(ねはん・入滅)に入りたもうことは吉野山(よしのさん)が春の霞(かすみ)に隠れるようでありますが、遥かに印土を離れた日本の吉野の澄みきった秋の空に出現され、自然に山上ヶ岳(さんじょうがたけ)に湧き出でたもう生きた御姿は、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の教え(仏法)を守る誓いをおこされています。

熊野権現(くまのごんげん)は、東土(支那)西方(印度)の浄土を離れ、生類を救う手だてを牟婁群(むろぐん・牟婁は無漏むろ=煩悩がないこと)に現され長く東の扶桑(日本国)の御社殿に留まられ、衆生を必ず極楽世界に引き導かれます。

(もろもろ)の社(やしろ)の御誓いはこのようで、書き尽くすことができないほどですが、、すべて日本国六十余州の神々が人々の機にしたがい、縁による大いなる救いは、口で宣(の)べられず、時に応じ、その人々に対する様々な霊験(れいげん)は、心に測ることができません。

神は、法の霊徳によって長命なのです。

法は神の衆生を救う御力により明らかになります。

深く観察すると、峰に集まりまた散り消える霧や、木の梢(こずえ)を吹き払う嵐は、妄執(もうしゅう)を断つようであり、社に敷き詰められた砂や、ところどころに立つ石も皆、霊威を持ってます。


(つづく)