明治朝廷とは「薩長を中心としてつくられた現在まで続く議会体制」のこと。

当ブログでも一貫して批判するところでもあります。


倒幕テロリストたちに思想的根拠を与えたのは後期水戸学・後期国学等に基づく国体神学イデオロギーです。

或る時代の或る特定の一思想に過ぎない後期水戸学・後期国学などを原理主義的政策として国家が行った結果、我々日本人が誇りとすべき多くの伝統文化が失われました。

国体とは長い長い歴史の中で何重にも積重なり、そして培われていくものであり、或る時代の或る特定の思想に都合が悪いからといって破壊して良いものではありません。


鎌倉幕府設立からの約680年間に渡る武家政権の歴史一切を誤りだったとする歴史観に基づき発せられたのが

王政復古のクーデター

であります。

我が国の伝統文化破壊はここから始まりました。

この伝統文化破壊は王政復古のクーデター以降から終戦後GHQによる「神道指令」まで続いた宗教・政治・教育を一体のものとするため国民に強要した政策の総称を「神道国教化政策」と云い、実に77年間に及びます。

これによって生み出されたのが「国家神道」です。

昭和に入り全盛期を迎えるこの「国家神道」によって民間に於いても手前勝手な「理想の天皇像」または「国体観」を吹聴するものが現われ混沌たる様相を呈しました。

これはそれまでの伝統と慣習に基づく国体を破壊したからに他なりません。

この「王政復古の大号令」には「神武創業」の語がありますが、これから近代化を進めようとするにもかかわらず政体を古代に戻そうとするのが「神武創業」の意味であります。

最初から滅茶苦茶な話なのです。

「古来からの慣習」とは歴史の積み重なりのなかで培われて行くものです。

そもそも別の発祥であったものがその積み重なりのなかで一つに統合され不可分のものとなって続くとき、それが「古来からの慣習」となっていく訳です。

それは非常に脆く崩れ去り易いものでもあると思います。

しかし一千年の時を超えてそれを存続せしめたのは多くの人々の「思い」「営み」があったからではないでしょうか。

明治朝廷はその人々の「営み」を、「思い」を全てを迷信としました。

よく廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)と云う仏像や仏具、仏閣の破却は民衆の側から起こった運動であるみたいなことを言う方がおられますが、デタラメです。

逆に自らの信仰する寺や神社を守ろうと官憲と激しく衝突した資料はかなり残ってます。

先祖代々守り伝えてきたものを破壊される訳ですからそれも当然です。

「民衆の側から起こった運動」などと言うのはたいがいが廃仏毀釈当時仏像や寺院を破壊しまくった神主の子孫辺りか、政府側の御用学者です。

神仏分離政策にしろ神社合併政策にしろ、これほど神々を馬鹿にし、且つ人々から信仰を奪った政策はありません。

この政策によっても分かりますが、「廃仏毀釈」とは何も仏教だけでなく、民間信仰の神々、つまり「国家の宗祀」につながらない神々を「淫祀邪教」として排除する運動でした。

これを「廃神毀社」(はいじんきしゃ)と云います。

これは財政問題がどうのと云うことではなく、神道国教化政策の一端としてあったことが分かります。

つまり官製カルト宗教である「国家神道」を国教とするべく立てられた政策であった訳です。

「廃仏毀釈」並びに「廃神毀社」で神仏ともに蔑ろにされたことが分かると思います。


昨今の保守を称する人や右翼を名乗る人々が口々に「日本の宗教は神道である」と言ってるが、その大半が思ってる神道とはこの明治期に急遽作られた官製カルト宗教「国家神道」であって本来の神道ではありません。


また「靖国神社は御霊信仰(みたましんこう)を基盤とし」と云う説明もよく聞きますが、これはまったく違います。

御霊信仰(ごりょうしんこう)は祟りをなす「怨霊」や「敵」を祀るのが本当です。

国を守るために亡くなった方は「怨霊」や「敵」ではありません。

御霊信仰(ごりょう)は日本の信仰形態を考える上で欠かせないものです。

しかし靖国神社と御霊信仰(みたま)は似て非なるものであります。

戦争で亡くなられた方々は「神」として祀るのではなく、仏法を以て供養するのが伝統です。


また官製カルト「国家神道」がいかに戦争遂行のプロパガンダに利用されたでしょうか。

このような戦争遂行のための原理主義的教義はキリスト教やイスラム教に見られます。

つまりシャーマニズム的・アニミズム的世界観を持つ本来の「神道」の本質を一神教的原理主義に質的変換がなされ、さらに即物的唯物論にされてしまった訳です。

これらの一番の弊害はこう云った神道国教化政策によって生み出された国家神道が古来からの信仰のように現代の人が錯覚していることです。


これら明治から終戦に至るまでになされた神道国教化政策を否定すると「左翼」で肯定すると「右翼」、または「保守」といった単純軽薄な議論が大手を振っています。

またそういった議論を重ねる人たちも「そうであろう」としています。

こうなった原因は神道国教化政策によってそれ以前の我が国の本当のあるべき姿が分からなくなっているからに他なりません。


「宮中の祭祀」も仏教や陰陽道、神仏習合による祭祀や民間信仰による祭祀が多数ありました。

現在、天皇の葬儀は神式で行われていますが奈良時代の聖武天皇以前から江戸時代末期の孝明天皇まで仏式で葬儀が行われていました。

神式になったのは孝明天皇の三年祭からです。

つまり「古来からの」ではなく「新しい」ものなのです。

神式の葬儀「神葬祭」など仏教嫌いの国学者らが江戸後期に勝手に作ったものです。

にもかかわらず、明治朝廷によるこの「宮中の神仏分離」によって皇室行事が神式に変えられてしまいました。

そこから一般的に皇室がイコール神道として定着するようになってしまいました。

また平安時代以来、宮中のお黒戸(黒戸御所・民間の仏壇にあたるもの)に祀られていた歴代天皇のご位牌を全部撤去されてしまいました。

後に明治朝廷らは「不敬罪」などが成立させるが、臣下の分際で歴代天皇の崇拝するものや古来から連綿と続く慣習を勝手に変えてしまうなどとこれほどの不敬罪があるでしょうか?


明治三十一年、熱心な仏教徒であった山階宮晃(やましなのみやあきら)親王は仏式の葬儀を遺言していた。

しかし枢密院は皇族の仏葬を許すことは「典礼の紊乱」をもたらす恐れがあると云う理由で却下。

一体何が「典礼の紊乱」なのでしょうか?

天皇家代々の慣習に従おうとしたまででありましょう。


もしあなたが何か宗教を信じていたとします。

ある日突然あなたの部下や後輩がやってきてあなたの崇拝してるものを撤去して、別の宗教の神を置き「今日からこれを信仰しろ」と言いました。

あなたはどう思うでしょうか?

現在これをやったら犯罪です。


当時、仏像には糞尿をかけ、広場に集め経巻とともに焼き捨てたというようなことが公然と行われました。

あなたも廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の傷跡である首や、目、鼻、耳、腕等々を無残にも切り取られた仏像を見たことがあるのではないでしょうか?


某カルト宗教も最近までこんなことをやっていたそうですが、それと国家神道も同じではないでしょうか?

この犯罪行為を庶民は言うに及ばず天皇にまでやっていたのが明治朝廷です。

この国家神道の基たる国体神学イデオロギーから八紘一宇、日鮮同祖論、皇民化教育、五族協和、王道楽土、大東亜共栄、同和政策等々人権平等、多文化共生などのスローガンが生み出されそれに伴う政策が次々と生み出されました。

そしてどうなったでしょう?

アジアは一つとしてしまいました。

支那人を兄弟と言い始めました。

そして明治朝廷一番の大罪、何と朝鮮人を日本人としてしまいました。

明治朝廷は朝鮮を植民地とせず内地延長と考え、統治の全期間日本からの持ち出しで、日本の血税を湯水の如く投資し、朝鮮を発展させました。

東北ではインフラが整備されておらず、餓死者が出ているにも関わらず何の救済措置も施さず、日本人には重税を課し、朝鮮人を優遇しました。

のみならず、日本名を名乗る許可まで与えてしまいました。

地政学を学んだ方ならお分かりでしょうが、半島なんぞ持っていても糞の役にも立ちません。

つまり我が国にとってお荷物でしかない朝鮮半島を、日本以上に優遇したのです。

日本の歴史上、ここまで日本人を蔑ろにした政権があったでしょうか。

その結果どうなったかは保守を名乗る方や少しでも近代史に詳しい方ならもうお分かりでしょう。

すべての大元凶は明治朝廷なのです。

この明治朝廷からはじまる半島利権、大陸利権等々によって政治家たちや、商人たちが現在もなお私腹を肥やしております。


これでも「明治維新は素晴らしかった」と思いますか?

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