過去記事「和の国・日本」に於いて
「1、三種の神器を継承して神祇信仰の最高神・天照大神と同体となり、
2、星辰信仰と陰陽五行理論によって道教の最高神・北極星を神格化した天皇大帝(太一神)と同体となり、
3、そして密教理論によって天皇即位灌頂を行い最高仏・大日如来と一体となる
神仏習合の天皇即位式・践祚大嘗会が鎌倉時代初期までに完成する。
従って、ここから我が国は聖徳太子の「十七条憲法」に則り、天皇を中心とし、神仏習合を思想基盤とし、陰陽五行理論を駆使した王朝国家となったである。」
とご説明した。
そこで今日はその2番目の「天皇の陰陽五行に於ける配置」を説明したいと思う。
さて天皇とは「将軍職」、「大臣職」と云うように本来職分の名前であった。
その「天皇職」とは、京都御所から「動かず」「祭祀儀礼を司る」のが本来の職分(仕事)である。
そこで重要な概念となる太極や五行の土について簡単に説明をする。
◎太極とは?
『易経』繋辞上伝に
「易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず」
とある。
「易に太極あり。太極分かれて両儀を生ず」
この両儀が陰と陽である。
「両儀分かれて四象を生じ」
この四象が春夏秋冬。
「四象分かれて八卦を生ず」
この八卦が小卦と云い
天=乾(けん)
沢=兌(だ)
火=離(り)
雷=震(しん)
風=巽(そん)
水=坎(かん)
山=艮(ごん)
地=坤(こん)
と自然界の主だった事象を表す。この八卦はそれぞれ五行が配当される。
木=震・巽
火=離
土=艮・坤
金=乾
水=坎
暦で使われてる九星もこの原理である。以下、方位・九星・十二支を八卦に配当する。
北=子=一白=坎
西南=未申=二黒=坤
東=卯=三碧=震
東南=辰巳=四緑=巽
中央=五黄
西北=戌亥=六白=乾
西=酉=七赤=兌
東北=丑寅=八白=艮
南=午=九紫=離
この八卦・十二支・方位・九星・五行の配当は東洋の哲学、医学、占術すべてに使われる。
この八卦の組み合わせ8×8=64となり
六十四卦の大卦となる。
即ちこの六十四卦で森羅万象の全てを表すのが易理であり、太極とは一切の根源を指すものである。
◎践祚大嘗会とは?
天皇一世一度の祭り践祚大嘗会(せんそだいじょうえ・大嘗祭の事・即位後初めて執行される新嘗祭の事)は陰陽五行理論を積極的に導入した天武天皇より始められた天皇親祭のなかでもっとも重要な祭祀で、陰陽五行理論によって北極星を神格化した道教の最高神「天皇大帝」を地上に現前せしめ一体となる祭儀である。「天皇」の尊称はここにあるとされている。
これに先立って古儀の即位式である「御禊(ぎょけい)の神事」と、この大嘗会の最中にやる密教理論による「即位灌頂」の一連の流れをさして「天皇即位式」という。
この大嘗会は「水の方局三合」と云う亥・子・丑を時間と空間に配当し、子を中心とした祭りで北極星の祭りである。
天文に於いて星々の王である北極星は中央にあって動かない不動の星である。
地理に於いて、中央にあって不動の星をそのまま降ろすことによってその用(はたらき)は太極になり、五行で云えば「土」、九星では五黄となる。
京都御所の天皇在所が太極殿と云うのはここから来ている。
また紫宸殿の紫宸は北極星の別名である。
◎袞龍の御衣(こんりゅうのぎょい)
明治以前はこの践祚大嘗会の際、天皇だけが召される唐装の「袞龍の御衣」が着用された。
これは支那の皇帝の着用していたものと酷似しているが、デザインと意味合いが違う。
皇帝が着用するものは星辰の代表として両袖に各々北斗七星と織女星が配されている。
これは「天子親耕・皇后奉織」を表し、皇帝が宗廟祭祀の「最高司祭者」を表している。
それに対し天皇が着用するものは、北斗七星が背中中央上部に配されている。
これは天皇自身が北極星であることを表し、その北極星と相即不離の北斗七星を直接背負うのである。
天皇はこの「袞龍の御衣」を着すことによって北斗を輔弼とする天上の北極星の有様を地上において現前せしむるのである。
即ち践祚大嘗会において天皇がこの礼服を着して臨むことは、天皇が「最高司祭者」であると同時に「被祭祀者」であることを表すのである。
もっと分かり易く云えば支那皇帝は
「祀るもの」=祭祀者
であるが、天皇は
「祀るもの」=祭祀者
であると同時に
「祀られるもの」=神
であることを表している。
この礼服は大嘗会と元旦に着用されるもので、その初見は「続日本記」の天平四年正月条で聖武天皇はその元旦に礼服をお召しになって朝儀に臨まれた。
以後、孝明天皇に至るまで即位の大礼、元旦の朝賀の際ご着用になる装束であった。
しかしテロリスト維新政府によって明治四十二年にこの慣習は断絶させられた。
そしてこの時から束帯・黄櫨染の御袍に変えられてしまった。
現在の大嘗祭や新嘗祭は明治新政府によって陰陽五行理論や神仏習合の部分をごっそり削られた祭儀になっている。
明治以前は踐祚(せんそ)だけで大嘗会を執行しなかった天皇は「半帝」と呼ばれたという。
それほど重要な祭祀を明治新政府は皇室典範に載せず「即位の礼」のみにしている。
◎土用とは?
大嘗会によって北極星(水徳)と同体となり、これをそのまま地上に現前せしめると太極(土徳)となる。
四季を五行に配当すると
春=木=寅・卯
夏=火=巳・午
秋=金=申・酉
冬=水=亥・子
で「土」は「季節の変わり目」に割り当てられる。これは春から一気に夏になる訳ではなく、春になるには春の気を死滅させていき、夏の気を生み出して行く。即ち土とは死滅・生起を司る。
これが「土用」である。土は十二支では丑・辰・未・戌が配当され、方位では中央に配当される。
即ち大嘗祭によって北極星と同体となった天皇の用(はたらき)は万物の根源(太極)にして、自然界の生起・死滅を司る土徳となる訳である。
十二支は時間(年・月・日・時、四季)と空間(方位)、つまり時空を表し、この時空を統べるのが「天皇職」の職分と云うことになる。
◎「天皇動く時、天下乱る」
古来から「吉凶は動より生ず」と云い、太極が動くことによって陰と陽の用(はたらき)が生ずる。
太極である天皇が動くことは、五行のどれか一つとなることであって相生と相克の原則が働き、善悪吉凶の作用が起るのである。
不動であるはずの北極星が動くことによって天文の秩序が乱れる訳である。
天文秩序の乱れが、そのまま地上に於いては乱世となると云うことである。
天武・持統両天皇から易理・陰陽五行を我が国に最先端テクノロジーとして導入し、鎮護国家の柱としたが、「テロリスト明治新政府」以降、その慣習を破られ天皇はその在所を動かされてしまった。
我が国はこの天皇を太極とし国家規模の五行の配当を行って、四季の循環を促進する国土安穏の呪術装置としたが、明治から続く混乱の最大の要因は天皇が京都御所から東京奠都したことにある、と私は思う。
そのことは
「明治」(聖人南面して天下を聴き、明に嚮いて治む)、易経
「大正」(大いに亨(とお)りて以て正しきは、天の道なり)、易経
「昭和」(国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う)、書経
「平成」(内外、天地とも平和が達成される)史記、書経
と、元号の出典は四書五経から取られてることは有名であるが、元号に込められた意味と全て反対になってる事からも分かると思う。
こういった事実を知らずして、数々の伝統文化や慣習を破壊した維新政府の思想的原動力となった近世(江戸期)初期の国学者たちや新興神道諸派に我が国の保守思想の源流を見出そうとされる方々がいらっしゃいますが、非常にナンセンスというほかない。
以上、「天皇の陰陽五行に於ける配置」がお分かりになられたと思う。また天皇が京都御所に戻られることがどれほど重要かお分かりいただけたかと思う。
「1、三種の神器を継承して神祇信仰の最高神・天照大神と同体となり、
2、星辰信仰と陰陽五行理論によって道教の最高神・北極星を神格化した天皇大帝(太一神)と同体となり、
3、そして密教理論によって天皇即位灌頂を行い最高仏・大日如来と一体となる
神仏習合の天皇即位式・践祚大嘗会が鎌倉時代初期までに完成する。
従って、ここから我が国は聖徳太子の「十七条憲法」に則り、天皇を中心とし、神仏習合を思想基盤とし、陰陽五行理論を駆使した王朝国家となったである。」
とご説明した。
そこで今日はその2番目の「天皇の陰陽五行に於ける配置」を説明したいと思う。
さて天皇とは「将軍職」、「大臣職」と云うように本来職分の名前であった。
その「天皇職」とは、京都御所から「動かず」「祭祀儀礼を司る」のが本来の職分(仕事)である。
そこで重要な概念となる太極や五行の土について簡単に説明をする。
◎太極とは?
『易経』繋辞上伝に
「易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず」
とある。
「易に太極あり。太極分かれて両儀を生ず」
この両儀が陰と陽である。
「両儀分かれて四象を生じ」
この四象が春夏秋冬。
「四象分かれて八卦を生ず」
この八卦が小卦と云い
天=乾(けん)
沢=兌(だ)
火=離(り)
雷=震(しん)
風=巽(そん)
水=坎(かん)
山=艮(ごん)
地=坤(こん)
と自然界の主だった事象を表す。この八卦はそれぞれ五行が配当される。
木=震・巽
火=離
土=艮・坤
金=乾
水=坎
暦で使われてる九星もこの原理である。以下、方位・九星・十二支を八卦に配当する。
北=子=一白=坎
西南=未申=二黒=坤
東=卯=三碧=震
東南=辰巳=四緑=巽
中央=五黄
西北=戌亥=六白=乾
西=酉=七赤=兌
東北=丑寅=八白=艮
南=午=九紫=離
この八卦・十二支・方位・九星・五行の配当は東洋の哲学、医学、占術すべてに使われる。
この八卦の組み合わせ8×8=64となり
六十四卦の大卦となる。
即ちこの六十四卦で森羅万象の全てを表すのが易理であり、太極とは一切の根源を指すものである。
◎践祚大嘗会とは?
天皇一世一度の祭り践祚大嘗会(せんそだいじょうえ・大嘗祭の事・即位後初めて執行される新嘗祭の事)は陰陽五行理論を積極的に導入した天武天皇より始められた天皇親祭のなかでもっとも重要な祭祀で、陰陽五行理論によって北極星を神格化した道教の最高神「天皇大帝」を地上に現前せしめ一体となる祭儀である。「天皇」の尊称はここにあるとされている。
これに先立って古儀の即位式である「御禊(ぎょけい)の神事」と、この大嘗会の最中にやる密教理論による「即位灌頂」の一連の流れをさして「天皇即位式」という。
この大嘗会は「水の方局三合」と云う亥・子・丑を時間と空間に配当し、子を中心とした祭りで北極星の祭りである。
天文に於いて星々の王である北極星は中央にあって動かない不動の星である。
地理に於いて、中央にあって不動の星をそのまま降ろすことによってその用(はたらき)は太極になり、五行で云えば「土」、九星では五黄となる。
京都御所の天皇在所が太極殿と云うのはここから来ている。
また紫宸殿の紫宸は北極星の別名である。
◎袞龍の御衣(こんりゅうのぎょい)
明治以前はこの践祚大嘗会の際、天皇だけが召される唐装の「袞龍の御衣」が着用された。
これは支那の皇帝の着用していたものと酷似しているが、デザインと意味合いが違う。
皇帝が着用するものは星辰の代表として両袖に各々北斗七星と織女星が配されている。
これは「天子親耕・皇后奉織」を表し、皇帝が宗廟祭祀の「最高司祭者」を表している。
それに対し天皇が着用するものは、北斗七星が背中中央上部に配されている。
これは天皇自身が北極星であることを表し、その北極星と相即不離の北斗七星を直接背負うのである。
天皇はこの「袞龍の御衣」を着すことによって北斗を輔弼とする天上の北極星の有様を地上において現前せしむるのである。
即ち践祚大嘗会において天皇がこの礼服を着して臨むことは、天皇が「最高司祭者」であると同時に「被祭祀者」であることを表すのである。
もっと分かり易く云えば支那皇帝は
「祀るもの」=祭祀者
であるが、天皇は
「祀るもの」=祭祀者
であると同時に
「祀られるもの」=神
であることを表している。
この礼服は大嘗会と元旦に着用されるもので、その初見は「続日本記」の天平四年正月条で聖武天皇はその元旦に礼服をお召しになって朝儀に臨まれた。
以後、孝明天皇に至るまで即位の大礼、元旦の朝賀の際ご着用になる装束であった。
しかしテロリスト維新政府によって明治四十二年にこの慣習は断絶させられた。
そしてこの時から束帯・黄櫨染の御袍に変えられてしまった。
現在の大嘗祭や新嘗祭は明治新政府によって陰陽五行理論や神仏習合の部分をごっそり削られた祭儀になっている。
明治以前は踐祚(せんそ)だけで大嘗会を執行しなかった天皇は「半帝」と呼ばれたという。
それほど重要な祭祀を明治新政府は皇室典範に載せず「即位の礼」のみにしている。
◎土用とは?
大嘗会によって北極星(水徳)と同体となり、これをそのまま地上に現前せしめると太極(土徳)となる。
四季を五行に配当すると
春=木=寅・卯
夏=火=巳・午
秋=金=申・酉
冬=水=亥・子
で「土」は「季節の変わり目」に割り当てられる。これは春から一気に夏になる訳ではなく、春になるには春の気を死滅させていき、夏の気を生み出して行く。即ち土とは死滅・生起を司る。
これが「土用」である。土は十二支では丑・辰・未・戌が配当され、方位では中央に配当される。
即ち大嘗祭によって北極星と同体となった天皇の用(はたらき)は万物の根源(太極)にして、自然界の生起・死滅を司る土徳となる訳である。
十二支は時間(年・月・日・時、四季)と空間(方位)、つまり時空を表し、この時空を統べるのが「天皇職」の職分と云うことになる。
◎「天皇動く時、天下乱る」
古来から「吉凶は動より生ず」と云い、太極が動くことによって陰と陽の用(はたらき)が生ずる。
太極である天皇が動くことは、五行のどれか一つとなることであって相生と相克の原則が働き、善悪吉凶の作用が起るのである。
不動であるはずの北極星が動くことによって天文の秩序が乱れる訳である。
天文秩序の乱れが、そのまま地上に於いては乱世となると云うことである。
天武・持統両天皇から易理・陰陽五行を我が国に最先端テクノロジーとして導入し、鎮護国家の柱としたが、「テロリスト明治新政府」以降、その慣習を破られ天皇はその在所を動かされてしまった。
我が国はこの天皇を太極とし国家規模の五行の配当を行って、四季の循環を促進する国土安穏の呪術装置としたが、明治から続く混乱の最大の要因は天皇が京都御所から東京奠都したことにある、と私は思う。
そのことは
「明治」(聖人南面して天下を聴き、明に嚮いて治む)、易経
「大正」(大いに亨(とお)りて以て正しきは、天の道なり)、易経
「昭和」(国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う)、書経
「平成」(内外、天地とも平和が達成される)史記、書経
と、元号の出典は四書五経から取られてることは有名であるが、元号に込められた意味と全て反対になってる事からも分かると思う。
こういった事実を知らずして、数々の伝統文化や慣習を破壊した維新政府の思想的原動力となった近世(江戸期)初期の国学者たちや新興神道諸派に我が国の保守思想の源流を見出そうとされる方々がいらっしゃいますが、非常にナンセンスというほかない。
以上、「天皇の陰陽五行に於ける配置」がお分かりになられたと思う。また天皇が京都御所に戻られることがどれほど重要かお分かりいただけたかと思う。