保守主義

黒船来航から遡ること64年前、フランスでは「自由・平等・友愛」をスローガンに革命が起きた。

穏やかなスローガンとは裏腹に略奪暴行虐殺の嵐で、ギロチンによる恐怖政治の幕開けとなるものであった。

このフランス革命における革新思想に対してイギリスでは保守主義の父エドマンド・バークが『フランス革命についての省察』を公表し、保守主義を大成した。

フランス革命についての省察』に於けるバークフランス革命に対しての批判はそのまま明治維新にも当てはまる。

何故なら明治新政府が行ったことは、フランス革命後の恐怖政治と非常に酷似しているからである。

つまり「維新」とは今さら言うまでもないが極左テロリストによって政権転覆させられた「革命」のことなのである。

文明開化」や「脱亜入欧」などのスローガンのもとにあれほど多くの欧米の哲学者・思想家の著書を翻訳刊行し流布せしめたにもかかわらず、英米の保守主義のみはほとんど排除された。

明治憲法の運用なども、上からの改革を推進するためドイツ法を範にされることになり、その後東大法学部はドイツ憲法学を中心として英国憲法学を排除した。

そのためコークウィリアム・ブラックストンとともにバークなどの保守思想は東大のカリキュラムから排除され、ドイツ観念論マルクス主義がもてはやされた。

これなどはバークなどの保守主義が出回ると革命政権である明治新政府はあらゆる意味で不都合が生ずるからである。

確かに明治憲法の起草者の1人である金子堅太郎はエドマンド•バークの保守思想をもとに「政治論略」としてまとめ、皇族や有力議員、地方長官等々へ普及を図り勉強会などが開かれたが普及したとは言えない。

このことは昭和に入っても同じで、日本の知識層と軍部中枢が社会主義一辺倒となり、全体主義社会主義、共産主義)と対極にある保守主義は、これまた時代に反逆する思想でしかなかった。

また戦後になってもこの傾向は変わらず、ことにマルクス主義に汚染された学界は英米系保守主義の研究を意識して積極的に排斥し、「検閲」と「弾圧」が陰湿に実行された。

我が国に左翼が多いのはこれが原因である。


◎伝統文化の破壊

新政府は思想統制自らの権威付けの為に「神道国教化政策」を実施、神仏分離令神社統合令などの大悪法を発令し、それに伴う廃仏毀釈によって神仏を無理矢理分けられ、我が国の心の拠り所を破壊されまくった。

明治新政府の権力を笠にきた神主ども役人どもによる寺院破壊仏像破壊等で多くの国宝が失われた。

そして皇室からは古代からの神道に拠るものや仏教陰陽五行に拠るものなど、即ち神仏習合思想に拠るものを全部撤廃してしまった。

現代の日本人が精神を病みやすいという原点はこの我が国が誇るべき神仏習合思想などの心の拠り所を奪われたからに他ならない。


我が国の保守主義とは?

一般に、明治維新によって「日本は世界に雄飛した」、と賛美する人々もいるが、それは明治以降の政府がそのように史実を捻じ曲げたものを、そのまま素直に信じているに過ぎない。

明治新政府が樹立後に始めた数々の悪行は、知れば知るほど恐ろしいものである。

現在から見て幕末の正義が混然としてしまっているのは、当時のテロリストたちが情報の乏しい中にそれぞれ好き勝手な喧伝をし、実態を伴わないスローガンで人々の思想を捻じ曲げようとしたことに第一の原因がある。

それは恰も「尊皇攘夷!尊皇攘夷!」と叫んで、幕府が天皇と敵対し、開国して外人を引き入れようとしていると、その当時の人たちに思わせ、実は自分達が天皇と敵対し開国しようとしてたようなものである。

それともう一つは、「勝てば官軍」の明治新政府が自分たちの悪行を覆い隠し、正道をすりかえる為に、事実の端々を塗り替えた事にもある。

このように欺瞞に満ち、捏造した歴史を押し付け、国体を大いに歪め、天皇を操り人形にし、数々の公約に違反し、偽勅を連発し、自国民を虐殺し、弾圧政治を行った英国の傀儡・明治新政府を賛美するのが真の保守であろうか。

長らく続いた戦乱の病を癒し、太平の世を拓き、庶民文化を花開かせ、同じ日本人同士が争う愚を何としても阻止し、近代化への布石をすべて打って西欧列強から我が国を守ろうとした幕府こそが真の保守であったのではなかろうか。

つまり当時佐幕こそ真の保守主義であったのだ。

しかし、その幕府も今はもう無い。

であれば、その幕府が目指そうとし、「維新」がなかったら歩んでいたはずの「もう一つの日本」を模索し、独立国家日本」であった頃の江戸文化を現代に適合させた「新江戸体制」を構築していこうとすることが、現代の真の保守主義ではなかろうか。

<つづく>

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