先ずは御存じの方も多いと思うが五箇条の御誓文を御覧いただきたい。

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五箇条の御誓文

一 廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ

一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フベシ

一 官武一途庶民ニ至ル迠各其志ヲ遂ケ
  人心ヲシテ倦マザラシメン事ヲ要ス

一 舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クベシ

一 知識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ

我國未曾有ノ變革ヲ爲ントシ朕躬ヲ以テ衆ニ先ンシ天地神明ニ誓ヒ大ニ斯國是ヲ定メ萬民保全ノ道ヲ立ントス衆亦此趣旨ニ基キ協心努力セヨ
 
慶応四年三月十四日 御諱



○(現代語訳)

一、広く会議を開き、あらゆることについて公の議論の場で決定すべし。

一、上の者も下の者も互いに一致協力して、国家秩序を盛んにすべし。

一、役人・軍人から庶民にいたるまで、だれもがその志をまっとうし、途中であきらめたり怠けたりしないよう計るべし。

一、過去のあやまった風習や弊害をやめ、なにごとも天地の道理にのっとるべし。

一、新しい智恵や知識を世界じゅうに求め、大いに天皇国家をふるいたたせるべし。

 我が国は、いまだかつてない変革を成そうとし、朕(ちん)みずから身をもって国民に率先して、天地神明に誓い、大いにこのような国是を定め、万民保全の道に立とうとしております。国民もまた、この趣旨にもとづいて、心をひとつにして努力しなさい。

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その理念は聖徳太子の十七条憲法の理念に通じ、我が国が近代国家への道を歩まんとする意気に満ちた素晴らしいものである。


そしてこれを明治新政府はマニフェストとして掲げた。


しかし実際はどうだったろうか?


万機公論に決すどころか薩長の独裁体制。


そして数々の闇法案。


都合が悪くなると前政権(幕府)の所為にする。

今の民主党にそっくりではないか。

そして意に反するものには逆賊・朝敵のレッテルをはり弾圧を加え、列強による外圧が迫るなか内戦まで始めてしまった。

誰が得したんか?

天皇が天神地祇、皇祖皇霊にお誓いになった御誓文を率先して破り、すべてに違反してるのは明らかだろう。

これのどこが尊皇だろうか。

逆賊・朝敵は薩長のテロリスト・明治新政府である。

このテロリストたちが近代国家への礎石を築いたと云えるだろうか?

断じて違う。

近代国家への礎石は幕府が築いたのである。

そして明治新政府は幕府の功績をすべて奪ったのである。

この素晴らしき御誓文も実は基になるものがある。


それが「大政奉還の上奏文」である。


本文とその現代語訳を味わってもらいたい。


そして下線部分と御誓文を見比べていただきたい。

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大政奉還上奏文


○十月十四日德川慶喜奏聞

臣慶喜、謹んで皇國時運の沿革を考へ候に、昔、王綱紐を解き、相家權を執り、保平の亂、政權武門に移りてより、祖宗に至り、更に寵眷を蒙り、二百餘年子孫相承、臣其の職を奉ずと雖も、政刑當を失ふこと少なからず、今日の形勢に至り候も、畢竟、薄德の致す所、慚懼に堪へず候。況んや當今、外國の交際日に盛んなるにより、愈々朝權一途に出で申さず候ひては、綱紀立ち難く候間、從來の舊習を改め、政権を朝廷に歸し奉り、廣く天下の公議を盡くし、聖斷を仰ぎ、同心協力、共に皇國を保護仕り候得ば、必ず海外萬國と並び立つ可く候ふ。臣慶喜、國家に盡くす所、是に過ぎずと存じ奉り候。去り乍ら、猶見込みの儀も之れ有り候得ば、申し聞く可き旨、諸侯へ相達し置き候。之れに依りて此の段、謹んで奏聞仕り候。以上


○(現代語訳)十月十四日の徳川慶喜の奏聞

天皇の臣である、この慶喜が、謹んで日本の歴史的変遷を考えてみますと、昔、天皇の権力が失墜し藤原氏が権力をとり、保元・平治の乱で政権が武家に移ってから、私の祖先徳川家康に至り、更に天皇の寵愛を受け、二百年余りも子孫が政権を受け継ぎました。そして私がその職についたのですが、政治や刑罰の当を得ないことが少なくありません。今日の形勢に立ち至ってしまったのも、結局は私の不徳の致すところであり、全く恥ずかしく、また恐れ入る次第であります。まして最近は、外国との交際が日に日に盛んになり、ますます政権が一つでなければ国家を治める根本の原則が立ちにくくなりましたから、従来の古い習慣を改め、政権を朝廷に返還申し上げ、広く天下の議論を尽くし、天皇のご判断を仰ぎ、心を一つにして協力して日本の国を守っていったならば必ず海外の諸国と肩を並べていくことができるでしょう。私・慶喜が国家に尽くすことは、これ以上のものはないと存じます。しかしながら、なお、事の正否や将来についての意見もありますので、意見があれば聞くから申し述べよと諸侯に伝えてあります。そういうわけで、以上のことを謹んで朝廷へ申し上げます。以上

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一目瞭然であろう。

上奏文「廣く天下の公議を盡くし」が

御誓文では「廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ」となっている。

上奏文「同心協力、共に皇國を保護仕り」が

御誓文では「 一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フベシ。一、官武一途庶民ニ至ル迠各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マザラシメン事ヲ要ス」となっている。

上奏文「從來の舊習を改め」が

御誓文では「舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クベシ」となっている。

上奏文「況んや當今、外國の交際日に盛んなるにより・・・必ず海外萬國と並び立つ可く候ふ」が

御誓文では「知識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ」となっている。

将軍慶喜はこの上奏文で賢帝・孝明天皇が深く御嘆きになられた国民が塗炭の苦しみに喘ぐ現状を打破するべく、みずから政権を返上し新国家構想への道を切り拓こうとした理念を述べている。

将軍の深い反省と現状に対する鋭い洞察、そして近代国家への堅い決意が感じられないだろうか?

その毅然とした姿勢はテロリストたちからもこう評されている。

「将軍慶喜の行動を見ると、果断・勇決、その志は小ではない。軽視すべからざる強敵である」岩倉具視

「一橋(慶喜)の胆略は決して侮ることは出来ない。実に家康の再来をみるようである」木戸孝允

最後の将軍慶喜は後年大政奉還についてこう語っている。

「自分は老中板倉勝静等に、徳川家を相続するだけで将軍職を受けないで済むなら申し出を受けよう、と言った。自分が大政奉還の志を持ったのはこの頃からのことで、東照公(家康)は日本国のために幕府を開いたが、自分は日本国のために幕府を葬るの任に当たるべし、と覚悟を決めた」

幕府が本気で戦おうとしたら薩長のテロリストに簡単には負けはしなかったであろう。

しかし同じ日本人同士が争い激しい内戦となれば得をするのは外国勢力である。

将軍慶喜は列強の「分断して統治せよ」にとっくに気付いていたのである。

そして将軍慶喜は大政奉還、そして開国と云う大業を成し遂げた後、みずから恭順謹慎してあっさりと政権を捨ててしまった。


これを本当の滅私奉公と云うのである。


やはり将軍は偉大であった。

混迷を続ける我が国の未来へのビジョンを想い描く時、我々が目指すべき指針を示してくれるのは江戸幕府である。

それは日本独自のアイディンティティーに則った政治体制であったからだ。


私利私欲の塊、明治新政府ではない。


幕府が目指そうとした日本。

それこそが我々が待ち望んでる日本の姿なのだ。


そろそろ歩きださないか?

彼らが目指した道を・・

我らが目指す道を!

真の独立へ向けて!


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徳川慶喜公