つづき


よく幕府は天皇を蔑ろにしたと言う方がいるが、それは違う。

長年続いた戦国乱世という病を治したのは徳川幕府である。

そして二度と戦乱が起きないようにするため勢力を持つものはすべて弾圧した。

朝廷に対しても例外ではない。それが「禁中並公家諸法度」である。

これは蔑ろにしたのではなく、戦乱を起こさせないようにするためなのである。

天皇家に将軍家の血筋を入れようとしたことがあったのはまったくの例外。


天皇職の本分は祭祀儀礼である。

その祭祀儀礼は莫大な費用がかかるが、幕府がその最大のスポンサーであった。

実際、戦国時代以来途絶えていた天皇一世一度の祭り大嘗会(だいじょうえ・大嘗祭の事・即位後初めて執行される新嘗祭の事)を復興するため幕府がそのスポンサーとなって費用を用立てしている。


この大嘗会は陰陽五行理論を積極的に導入した天武天皇より始められた天皇親祭のなかでもっとも重要な祭祀で、陰陽五行理論によって北極星を神格化した道教の最高神「天皇大帝」を地上に現前せしめ一体となる祭儀である。この故に名実共に「天皇」なのである。

これに先立って古儀の即位式である「御禊(ぎょけい)の神事」と、この大嘗会の最中にやる密教理論による「即位灌頂」の一連の流れをさして「天皇即位式」または践祚大嘗かいという。


この大嘗会は孝明天皇を最後とし明治・大正・昭和・今上天皇と四代に亘って執行されていない。

現在の大嘗祭や新嘗祭は明治新政府によって陰陽五行理論や神仏習合の部分をごっそり削られた祭儀になっている。

だから理論上、明治天皇以降「名実」の「実」が「天皇」になってないのである。

明治以前は踐祚(せんそ)だけで大嘗会を執行しなかった天皇は「半帝」と呼ばれたという。

それほど重要な祭祀を明治新政府は皇室典範に載せず「即位の礼」のみにしている。


そのため1991年の大嘗祭の時には、「私祭」か「公祭」かで政府・知識人・マスコミ・世論のあいだで喧々囂々たる不毛な大激論となったのを記憶されてる方もいると思う。



                          つづく


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