この記事は2009年11月23日の8年前に書いたものだが、読み返してみたらかなりの悪文で読み辛かったので、出来るだけ書いた当時の文を損なわないよう整理して加筆修正してみた。



《以下、再掲》

この時期になると日本がクリスマスをやるのは変だという意見が方々で見受けられるのでこの話題を取り上げる。


まず何故クリスマスをやるのか?

1、明治新政府の脱亜入欧政策の方針によって西洋文化が積極的に取り入れられた。

2、冬至儀礼期間の代用

3、米国による文化侵略の一環

4、企業の商業戦略

これら四点の要因が挙げられる。



◎改暦

まず1点目については、我が国は明治の時に日本版文化大革命によって我が国独自の伝統文化の有り方が破壊された。それは廃仏棄釈運動から始まり神仏分離令や修験道禁止令などの悪法を乱発し、脱亜入欧政策によって上は皇室から下は庶民にいたるまで大損害を被った。

その数々の伝統文化破壊の一環として旧暦から新暦への改暦が行なわれた。

そもそも欧米人でもない、キリスト教徒でもない日本人がグレゴリオ暦にもとずいて生活してること自体が可笑しいのである。季節感もだいぶズレている。なのでここが最大の原因である。


◎太陽の復活祭

2番目。それまでの我が国は陰陽五行に基づく旧暦によって生活を営んできた。旧暦で言えば今の十二月は十一月。

十二支を月に配当すると十一月は子の月。

十月・十一月・十二月つまり亥の月・子の月・丑の月、これを「水の方局三合」といって冬とする。

冬は亥の月に生まれ、子の月に旺(さか)んになり、丑の月に終わる。これを生・旺・墓と云う。

その一番冬の盛んな旺(おう)の月つまり冬の真ん中の月の、夜が最も長くなるのが冬至である。

それが新暦で言えば12月22日前後になる。

古代の人はこの夜が最も長くなるのを太陽の死と考え、この日を境に徐々に日が伸びてくることを太陽の復活と考えた。

つまり太陽が新しく生まれ変わる日と考えた。

なので太陽の復活を祝う儀式を行った。

それが冬至儀礼である。

クリスマスツリーの起源はドイツにあるとされるが、これは古代ケルト系の自然崇拝、樹木崇拝が基になっている。

ゴチック建築はその樹木信仰の名残りである。

そのクリスマスツリーに様々な飾り付けをするのも、実際は太陽に対する供物で、高いところに供物を載せて太陽に捧げる意味がある。

このように冬至儀礼は太陽信仰などの自然崇拝がその基盤にあり、一神教のキリスト教がやるほうが可笑しいのである。

ことに我が国の場合、古代から陰が極まり陽の兆しが見える一陽来復(いちようらいふく)の冬至に子作りをした。


◎子作り

何故冬至の時期に子作りをするのか?

子供は十月十日で出産と云う様に冬至から計算すると旧暦十月は戌の月である。

動物の犬は安産・多産と云われるようにそれにあやかって戌の月の出産が望まれた。

それは安産で子宝に恵まれるようにとの祈りが込められていたのである。

戌の日に妊婦さんが腹帯を締める風習もこれに由る。

そして冬の厳しい時期を過ごした幼児は健康で丈夫に育つと信じられていた。

以上の理由により冬至の時期に子作りに励んだ訳である。

これのみならず日本の祭祀はすべて陰陽五行に配当されている。

その習わしが明治の改暦とともにすでに行われていた冬至儀礼にクリスマスが乗っかっただけなのである。

それが改暦によって分からなくなっているのである。

これがキリスト教国では無い日本にクリスマスが受け入れられた原因である。


◎GHQと商業戦略

3番目は戦後のGHQ(占領軍)によるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)という戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画の一環と、そして我が国にキリスト教を布教して米国の属国とするための文化侵略計画としてクリスマスが後押しされた。

世界の侵略の歴史を見渡してもまず布教師がその国に入り国情調査をし武力侵略をする。次にキリスト教を強制してその国の言葉を奪いその国の文化を破壊していくのは歴史が証明している。

ブラジルがブラジル語ではなくポルトガル語なのも、ペルー・メキシコ・コロンビアやその他の国々がスペイン語なのも、ハワイやオーストラリアが英語なのも侵略されたからなのである。

と言う訳でGHQの後押しによるのもその要因である。


4番目は言わなくても分かると思うがバレンタインと一緒で、商業利益目的によって企業が促進しているのである。


◎アイディンティティーの破壊

明治新政府によってそれまでの我が国の伝統文化(ならわし・しきたり)を破壊され皇室まで蔑ろにした。

我が国のアイディンティティーは実に三度にわたって破壊されているのである。

一度目は明治新政府によって明治以前の我が国のアイディンティティーであった神仏習合思想を破壊される。

その後、明治新政府による急拵えの新「皇国史観」をアイディンティティーとするよう押し付けられた。

二度目はGHQによってその新皇国史観も破壊される。

三度目は日教組(日狂組の狂育)や左翼によって伝統文化(しきたり・ならわし)自体を否定する。

この三度目は今も着々と進められている。

以上のことからクリスマスを批判するなら今の新暦(グレゴリオ暦)を批判しなければならない。

新暦を批判するなら明治政府を批判しなければならない。

日頃から愛国心を振りかざして日本とは!伝統文化とは!と大上段に構えるのなら明治以前の日本がどのようなものであったのか知らなければならない。

そもそも祭祀王である天皇に軍服を着せ、軍隊を統帥させるとは可笑しいと思わないだろうか?

常に精進潔斎を事とし国土安穏・五穀豊穣・万民豊楽を祈る天皇に肉食させるとは何事だろうか。

のちに明治新政府は天皇に対する不敬を処罰する「不敬罪」を成立させるが、当の明治新政府のほうがよっぽど不敬なのである。

だからせめて皇室の祭祀儀礼だけでも明治以前の神仏習合と陰陽五行理論に基づいた旧暦による祭祀に戻すべきである。

特に新嘗祭・大嘗祭など旧暦で正確にやらないと意味がない。

宮内庁には山ほど資料が残ってるのである。無理な話ではあるまい。


◎結論

以上、民俗学的視点からすればクリスマスにやる行為は我が国においては既に行われていた冬至儀礼にクリスマスが乗っかっただけなので自然な行為だというのが答えである。

それは太陽の復活に象徴された大自然への感謝の祈りである。

そして現代においてもクリスマスに男性が女性に贈り物で求愛をし、二人で美味しいものを食べ、ホテルで子作りの模擬行為を行うことはとても自然なことである。

なので我が国の場合はキリスト生誕を祝ってるのではなく、本来は大自然への感謝と安産・子宝を願い予祝するのがその本義である。



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