我が国の独立国家への道は「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙がなきや」と当時の随の煬帝に書簡を送った聖徳太子より始まる。

太子は建国理念である「十七条憲法」を制定し国家の方針を定めた。

仏教を導入し、自ら俗服の上に袈裟を懸け「護国三部経」(国を護る三つのお経、法華経・金光明経・仁王経)と、日域大乗相応の地(日本は大乗仏教にふさわしい国である)の理念のもとに男性の在俗の菩薩を中心とした結摩経、女性の在俗の菩薩を中心とした勝曼経、すべての在り方の実相を説く法華経を講じ、国土安穏を祈り、神祇に対して擾災招福を願い鎮護国家の基盤とした。

十七条憲法の第二条に「篤く三宝を敬え」と有るように我が国は神仏習合(決して混交では無い)を旨とするようにった。

その後、天武・持統両天皇により四季の循環を促進し、天災に対処する装置として陰陽五行を本格的に導入し、政治体制の基とした。

それに伴って天皇即位式(天皇に成る為の継承儀礼)も整備され、弘法大師空海によってもたらされた密教理論を導入し、ここに

1、三種の神器を継承して神祇信仰の最高神・天照大神と同体となり、

2、星辰信仰と陰陽五行理論によって道教の最高神・北極星を神格化した天皇大帝(太一神)と同体となり、

3、そして密教理論によって天皇即位灌頂を行い最高仏・大日如来と一体となる

神仏習合の天皇即位式・践祚大嘗会が鎌倉時代初期までに完成する。

従って、ここから我が国は聖徳太子の「十七条憲法」に則り、天皇を中心とし、神仏習合を思想基盤とし、陰陽五行理論を駆使した王朝国家となったである。

この構造これがこそが日本人の伝統(ならわし・しきたり)文化であり「和の国日本」なのである。

よく「国体護持」と言うが、本来は上記の国家構造・国家体制を指して国体と言うのであって、天皇個人を国体と言うのではない。

また「皇国」とは、この構造の中心に天皇を配当することによって「皇国」と言うのである。

聖徳太子や十七条憲法については「聖徳太子は実在しない」「十七条憲法は偽作でその当時に書かれたものではない」等々の学説があり、大変面白く興味深いものがあるが、大切な事はこれを基に国造りをしていったということである。

そして、この素晴らしい伝統文化を徹底的に破壊したのが明治の大悪法である神仏分離令、修験道禁止令であり、廃仏毀釈(仏を廃し打ちこわす)運動である。

そして皇室からは仏教色や道教色があるものを全部撤廃してしまった。

法令によって日本人の心の拠り所である神仏を分断され、廃仏毀釈によって多くの仏像や寺院が破壊され、多くの山伏や行者が逮捕された。

また古来からの神道も壊滅的打撃を受けた。

我が国の伝統(しきたり・ならわし)文化を弾圧破壊し代わりに持ってきたのが富国強兵政策の思想統制の為の急拵えのインスタント皇国史観であり、それに立脚した国家神道であり、脱亜入欧政策である。

現代の日本人が精神を病みやすいという原点はこの我が国が誇るべき神仏習合思想などの心の拠り所を奪われたからに他ならない。

そして本来我が国が持っている素晴らしいものに見向きもせず、ニューエイジ系・ヒーリング系の「宗教を名乗らない」宗教に走るようなった。

何を心の拠り所にすべきか分からなくなっているのである。

たとえば一部の神道の神主は地鎮祭(家を作る時に先立ってやる儀式)にユダヤのカバラ数秘術を持ち出す始末である。

この現象は日本の宗教界のみならず政治・経済・教育界於いて見られると思える

日本人が日本人独自の立場に立ち、より日本人らしくあるために、よくよく日本を見直さなければならない。