それ清めるは天性濁るは地性、陰陽交わりて万物を生ず・・・
上の分は我々山伏が加持祈祷の時に読む「五体加持」と言う祭文の一種で、その冒頭の文句です。
天地万物に易理陰陽五行を配当し、その全てに仏性が備わっていると言う内容が書かれています。
そもそもの易理・陰陽説では天を乾と言い父・男・剛健・発展・昼・積極的・能動的なことがらに配当し、地を坤と言い母・女・従順・統一・夜・消極的・受動的なことがらに配当されます。
よく乾坤一擲などと使われる語源になっていますが、大自然の法則・天地の理(ことわり)を表わしています。
その天と地が交わる、即ち天から雨が降り地がそれを受け、水蒸気となり天に上がってやがて雲となり、また天から雨が降る。
この交わりによって草木・作物が生じる。この理は人間でも同じで、決してコウノトリさんが赤ちゃんを運んでくるのではなく、男と女が交わることによって子供が出来るのは皆さんご存知だと思います。
私はこの世に性別が四種(男・女・男女・女男)だという考え方に肯定派であるが、男と女が人数的には多いと思います。なので性別が二種しかない前提でお話します。
最近男が弱くなったとよく聞きますが、私は逆だと思います。女が弱くなったのです。その弱い女に弱々しく育てられた子供はやはり弱くなります。
我が国には素晴しい歴史上の人物が沢山いました。英雄豪傑、名僧傑僧が多く輩出しましたが、全部女から生まれ、ほとんど幼少期を女が育てているのです。弱い女ではこのような人物を育てられません。では強い女とは何なのか?強いと言っても男らしい女ってことではありません。
自己の本分を守り、統一性があり、従順で包容力がある、つまり上に記した地の徳・坤徳がある女性を強いと言うのです。
思えば日本文学は女が生み出したものです。紫式部や清少納言などが書いた物語は千年の時を越えいまだに愛され続けているのは世界に例が無いと思います。
日本の文化は女の人を崇拝する文化です。昔は男が女に惚れると「俺はすっかりあの子に参った」などと言いました。「参る」とは参拝やお参りなどの「参る」であります。即ち拝みたいぐらいの敬意の念を持つということです。
このような土壌からたくさんの女傑・賢女が生まれその女傑・賢女から英雄豪傑が育ちました。今の女性と覚悟の程が違うのです。
白虎隊の悲劇は有名ですが、その少年たちを育てた母親達や姉妹がそれぞれ一ヶ所に集まり集団で自害していたことはあまり知られていません。やはり覚悟の問題です。
よく「愛は永遠」などと言いますが、一生愛する努力をし続けてこそ、愛は永遠になるのです。
これは凄く難しいことで、覚悟が要ることです。だからこそ尊く、美しいものとなります。
これを広く人々に向けた時、博愛となり、さらに進めると慈愛となります。
ここまで来ると無償の愛、即ち慈悲となります。
この慈悲の徳を発徳出来るのは男では無く、女です。
この徳が備わった女性を「婦徳のある人」と昔からいいます。
どんな英雄豪傑でも子供を産むことは出来ません。
であれば、女は天地の造化に最も近い、天地自然の法則に最も近い存在としてあります。
マザーテレサが
「神様が女性に与えてくれた最高の贈り物は母性です」
といみじくも言ってくれたのは、ここに在ります。
陰ながら愛する人を支え、陰ながら愛する人を生育発展せしめる、この陰徳を本当の「内助の功」と言います。
「我自ら先に立たんとすれば、先ず人を立てよ」これが常に意識しなくとも出来てればこそ、初めて人に必要とされ、人に頼られ、人に頼ることが出来るんじゃないかと思います。
この婦徳の備わった女性の仕草は美しく、その声は、聞く人をなごまし、勇気を呼び覚まし、子供や文化を生成発展せしめるものであると信じてます。このような女性をこそ強い女性と言うのです。
現代の女性が婦徳のある強い女性になってくれることを願ってやみません。
上の分は我々山伏が加持祈祷の時に読む「五体加持」と言う祭文の一種で、その冒頭の文句です。
天地万物に易理陰陽五行を配当し、その全てに仏性が備わっていると言う内容が書かれています。
そもそもの易理・陰陽説では天を乾と言い父・男・剛健・発展・昼・積極的・能動的なことがらに配当し、地を坤と言い母・女・従順・統一・夜・消極的・受動的なことがらに配当されます。
よく乾坤一擲などと使われる語源になっていますが、大自然の法則・天地の理(ことわり)を表わしています。
その天と地が交わる、即ち天から雨が降り地がそれを受け、水蒸気となり天に上がってやがて雲となり、また天から雨が降る。
この交わりによって草木・作物が生じる。この理は人間でも同じで、決してコウノトリさんが赤ちゃんを運んでくるのではなく、男と女が交わることによって子供が出来るのは皆さんご存知だと思います。
私はこの世に性別が四種(男・女・男女・女男)だという考え方に肯定派であるが、男と女が人数的には多いと思います。なので性別が二種しかない前提でお話します。
最近男が弱くなったとよく聞きますが、私は逆だと思います。女が弱くなったのです。その弱い女に弱々しく育てられた子供はやはり弱くなります。
我が国には素晴しい歴史上の人物が沢山いました。英雄豪傑、名僧傑僧が多く輩出しましたが、全部女から生まれ、ほとんど幼少期を女が育てているのです。弱い女ではこのような人物を育てられません。では強い女とは何なのか?強いと言っても男らしい女ってことではありません。
自己の本分を守り、統一性があり、従順で包容力がある、つまり上に記した地の徳・坤徳がある女性を強いと言うのです。
思えば日本文学は女が生み出したものです。紫式部や清少納言などが書いた物語は千年の時を越えいまだに愛され続けているのは世界に例が無いと思います。
日本の文化は女の人を崇拝する文化です。昔は男が女に惚れると「俺はすっかりあの子に参った」などと言いました。「参る」とは参拝やお参りなどの「参る」であります。即ち拝みたいぐらいの敬意の念を持つということです。
このような土壌からたくさんの女傑・賢女が生まれその女傑・賢女から英雄豪傑が育ちました。今の女性と覚悟の程が違うのです。
白虎隊の悲劇は有名ですが、その少年たちを育てた母親達や姉妹がそれぞれ一ヶ所に集まり集団で自害していたことはあまり知られていません。やはり覚悟の問題です。
よく「愛は永遠」などと言いますが、一生愛する努力をし続けてこそ、愛は永遠になるのです。
これは凄く難しいことで、覚悟が要ることです。だからこそ尊く、美しいものとなります。
これを広く人々に向けた時、博愛となり、さらに進めると慈愛となります。
ここまで来ると無償の愛、即ち慈悲となります。
この慈悲の徳を発徳出来るのは男では無く、女です。
この徳が備わった女性を「婦徳のある人」と昔からいいます。
どんな英雄豪傑でも子供を産むことは出来ません。
であれば、女は天地の造化に最も近い、天地自然の法則に最も近い存在としてあります。
マザーテレサが
「神様が女性に与えてくれた最高の贈り物は母性です」
といみじくも言ってくれたのは、ここに在ります。
陰ながら愛する人を支え、陰ながら愛する人を生育発展せしめる、この陰徳を本当の「内助の功」と言います。
「我自ら先に立たんとすれば、先ず人を立てよ」これが常に意識しなくとも出来てればこそ、初めて人に必要とされ、人に頼られ、人に頼ることが出来るんじゃないかと思います。
この婦徳の備わった女性の仕草は美しく、その声は、聞く人をなごまし、勇気を呼び覚まし、子供や文化を生成発展せしめるものであると信じてます。このような女性をこそ強い女性と言うのです。
現代の女性が婦徳のある強い女性になってくれることを願ってやみません。