中学・高校の時は水泳部で毎日泳いでいました。
4時から6時まで部活で泳ぎ、帰宅してすぐ(高校は帰宅途中に)スイミングスクールで泳ぎ、帰宅は10時近く、という生活をしていました。
とにかく速くなりたくて、飽きもせず毎日泳いでいました。
朝起きても体は重く、全身の疲れを感じながらも何とか朝起床し、学校の授業にも身が入るわけもなく、でもなぜか次第に疲れが取れていき、午後4時ごろには元気になり泳ぎ始める、というのが常態化していました。
僕にとって1日の始まりは午後4時だったわけです。
そんな状態なので勉強をする時間も気力もあるわけもなく、でも勉強しないわけにもいかないので、定期試験の1週間前は練習は休んでその時だけ勉強をして、何とかギリギリ卒業したのです。
医者というと、小学校の頃から成績がよくエリート街道まっしぐらというイメージがあると思いますが、僕は努力と奇跡により医者になれたレアケースの医者です。
2年浪人しても医学部に受からなかったため諦め、他の大学に行くも面白いはずもなく、1年したら又医学部受験の意欲が沸々と、というか火山の噴火のごとく湧き上がって来て抑えきれなくなったため、再受験をして何とか合格した、という経緯の持ち主です。
その最後の年はとにかく苦しかったのですが(詳細略)、極限まで努力すると神様(か何か知りませんが^^;)はご褒美をくれるのでしょうね。
僕が苦手で成績の足を引っ張っていた英語を、第一志望にしていた山梨医大の入試から削除してくれ(!)、センター試験の英語で9割とらせてくれ(!!)、だからその年に合格することができたのです。
その最後の年はあまりにも苦しかったのですが、でもモチベーションを保ち続け、今自分ができる事を坦々とこなすことで、その時にしかできない経験(学び)を一つずつクリアーしていったため、「よくがんばりました。じゃあもう学びは必要ないのでステージクリアーです」と合格させてくれたのかなと思います。
現在病気や悩みを持つ方の相談を受けていますが、全ての困難は嫌なことではあるのですが、でもそれは嫌がらせで生じていることではなく、その人がその人らしく生きていくために必要な登り坂であり、それを登っていくとその先には登らないと見えなかった風景が広がっていて、その風景を味わうことで自分らしさを取り戻し幸せな方向に進んでいけるのだと思います。
坂を登るのはつらいため、登らざるを得ない状況に追い込まれないと登ろうとしないので、だから病気や人間関係のトラブルといった見た目に嫌なことを引き起こすのでしょうね。
僕もその坂(崖?)を登らざるを得なくなったので登って行ったのですが、それは病気や人間関係のトラブルといった追い込まれた状況だったわけではなく、自分で勝手に登りたくなって登って行っただけです。
そうしようと思ったのは、自分の心の深いところから湧き出て来た「想い」があったから。
それは自分ではコントロールできない不可抗力的なものです。
坂を登ろうとするきっかけが、自分の中から湧き出る、どうしても○○したいという「ポジティブな想い」か、自分の中で起きる病気や自分の外で起きる人間関係といった「ネガティブな想い」かの違いであって、結局は「登りたいから登る」のだと思います。
そうすることで、自分らしさに近づく(戻る)ことができて、自分で自分を喜ばせることができるからです。
僕が中高生の時にずっと泳いでいたのも、何度も医学部受験をしたのも、それが自分らしさに近づくと自分の心の奥底では知っていたから。
その先がどうなるのかはもちろん誰にも分からないことですが、でも今自分が「こうしたい!」という「想い」が湧き出て来たのなら、それは少なくともその瞬間においての「絶対的正しさ」です。
その「絶対的正しさ=ポジティブな想い」に従って生きていけば、自分らしくいられて幸せな方向に向かっていけるのだと思います。
でもその「絶対的正しさ」というポジティブな想いに従わなくても、多分その先に「まだ分からんのか。じゃあ次はこの手を使うか」と、病気や人間関係のトラブルといった「ネガティブな想い」を湧き立たせてくれることで、結局自分らしさに近づくようにしてくれているんでしょうね。
自ら進んで登るか、追い込まれてしょうがなく登るか、その違いだけです。
「ポジティブな想い」に従い、自らチャレンジするのもよし、ポジティブな想いに従わずに病気になって「ネガティブな想い」に追い込まれてからでもよし。
どうなっても良き方向にしか向かわない様にできているのだと思います。