新年の誓いを考える〜2023年〜 | やまびこDr.の診療日記

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人生の大事業の子育ては、ほとんどぶっつけ本番! 分からない事だらけで心配がつきません。
でも正確な情報を知り納得できれば心配は減らす事が可能です。
薬よりもっと大切な事をお伝えする小児科医のブログです。

「人間は考える葦である」とはパスカルという方のお言葉。

 

「我思う、故に我あり」とはデカルトという方のお言葉。

 

どちらの方も、哲学者でもあり科学者でもあり、あらゆる分野の専門家だった様です。

多分、何かの専門分野を追求していったら、この世のしくみというところに行きつき、人間とは何ぞや? なぜ生まれてきたのか? なぜ生きていくのか? そしてなぜ死ぬのか? といったところまで考える様になったのではないかと思います。

 

僕は幼少期より人の体のしくみに興味があり、かなり無理して医学部に入りましたが(4年かかりました^^;)、今振り返って考えてみると、結局は人間のしくみを知りたかったのだろうと思います。

 

医学部で西洋医学を学び、医者になってから現代医療を学び、面白くて楽しくてとても良かったのですが、でも人間の体はあまりに上手く出来すぎていて、あまりに素晴らしすぎていて、とても人間が解明できる代物ではないのも分かりました。

 

西洋医学や現代医療は「科学」の上に成り立っているので、人の「想い」「気持ち」「意識」といった「科学」の範疇を越す部分は扱いません。

 

さらに「魂」とか「生まれ変わり」とか「スピ系」の各種用語など使おうものなら、医療者からは「頭大丈夫ですか?」という扱いを受けがちです。

 

でも、あまりに上手くできすぎている体のしくみを理解するには、どうしても「科学以外」の部分があるものと「想定」して考えないと、理解できないのです。

 

そもそも「人はそのうち必ずお空に帰っていくのに、なぜわざわざ生まれてくるのか?」とか「命はどうして生まれたのか?」とか「自分はなぜ生まれてきたのか?」とか、その部分は現代医療では全く教えてくれません。

 

人間のしくみの一番根本的な部分が「命」とか「生まれてくる意味」であり、それは現代医療の対象外なので、違う分野にも踏み込む必要が出てきます。

 

なので今の僕の診療形態は、検査や薬ではなく、会話により心の奥のごちゃごちゃを整理して引き上げて認識して自分で選び行動することのお手伝い、というものになっているのです。

 

パスカルやデカルトも、最初は科学の分野から入り、それを探究していったら最後には「人間とは何ぞや」に行き着いて、「葦がどうの」とか「我思う云々」とかになったのではないかと、勝手に想像しております。

 

入り口は何であっても、多分同じなのです。

 

僕は小児医療から入って行きましたが、農業だったり食品だったり、経済や宇宙や教育や、各種分野の専門家たちが、結局同じ様なことを言っています。

 

壮大で荘厳で人間が計り知れない何かの力により、命が生まれ我々が生まれ、今こうして生きている、生かされている、ということです。

 

でもちっぽけな人間には壮大で荘厳なシステムが理解できるはずもないので、全てを理解できなくてもよくて、でも瞬間瞬間に自分の感じる「感覚」や湧き上がる「感情」を元に思い、考え、行動することが、自分の生まれてきた意味に繋がるものであり、命を理解することになるのだと思います。

 

2023年の自分の行動計画!

 

自分は日々想い、考えるからこそ自分であり、想いや考えを辞めてしまうと自分ではなくなります。

誰かの言葉や何かの教えは参考程度にとどめ、自分の中から湧き上がるこの瞬間の想いに忠実に従い、のんびり過ごして行きま~す。^^