アメリカ人の友人(男性)がNY田舎に4ベッド(日本でいう4LDK)の戸建てを買った。
アメリカの戸建て流通は9割が中古で、それをDIYして資産価値を高めて売るというスタイルが確立されている(そのために移民でも難民でも流入させて人口は減らせないんだと思う。供給過剰になったらC国みたくなるからな)。
アメリカの住宅価格は、一部大都市や富裕層住区を除けば日本より安くて、NY田舎(村)だったら2000万円もあれば庭付き、上下水道、都市ガス完備、3ベッド規模の戸建ての購入は十分可能だと思う。
友人はちょいリッチな人なので、それなりの閑静な住区でもっと高い価格の家だとは思う。(ビデオは見せてもらった)
ちなみに“ちょいリッチ”というのは、感覚的ではあるが、以前、年金と現役時代の年収との相関関係を示すグラフを見た時、年収の上限目盛りが120000ドル(為替時価だと1900万円近く)だったので、そこまでを中流(年金が引退後の収入として影響を与える)とみなし、それより多いと思われる人を“ちょいリッチ”と私は見ている。
さて、私がその友人の住宅の買い方について“おかしい”と思ったことを列挙していこう。
彼の年齢は70歳近く、どうやらリタイアの準備らしい。
フツー、日本人の感覚からしたら、定年後に住宅の買い替えはあまりしない。
例外的に部屋数を持て余しているから小さな物件に買い替えるとか、持ち家を売って分譲型介護付き住宅に移るとか、いわゆる終活の一環としてなら見受けられる。
しかし、彼の新居は特に高齢者仕様でない普通の家だ。
加えて、彼の場合、買い替えではなくて、買い増しなのだ。
彼はNY田舎に姉との共有名義で両親が住んでいた家を持っている。
また、奥さんがタイ人(20歳以上若い)でパタヤビーチの近くにプール付き高層マンション一室も持っている。
彼らに子どもはいない。
(このへんから首をかしげたくなってくる)
彼は鉱山関係の仕事をしているので、つい最近までNY田舎⇔ペルーの銅山⇔パタヤビーチの三点移動を繰り返していた。
奥さんはアメリカのグリーンカードは所持しておらず、アメリカ入国時には観光ビザを取得しているとのこと
(そのうち目的外利用で入管で止められるゾ!)。
70歳近くで家を買い増す感覚は理解できないが、奥さんがアメリカ人なら、まあ、相続目的の終の棲家とみなせる。
だが、奥さんがタイに住むタイ人となると、旦那(友人)の老後をアメリカで看るのは現実的でない。
近所に仲の良いタイ人が住んでいるというのも購入の決め手だったらしいが、何もかも(特に夫の命に係わる救急時など)隣人に助けてもらうこと前提というのは無理筋だ(ヘタすると友人関係が破綻する)。
友人の老後は介護人となる奥さんのホーム、タイで過ごすのが安泰だと思うのだが、新居入手で夢心地の彼らにはそんなことは見えないみたいだ。
もう一例はアメリカ人同士の子無し夫婦。
共働きでリタイアする前は庶民的な住宅街に戸建てを構え、すぐ近くに夫の母親も住んでいた。
リタイア後、既に要介護になっていた母親を引き取り家二軒を売って敷地7エーカー(1エーカー=サッカーコート1面)、暖炉が4つもある家(二階建てで部屋数11くらいあった)に引っ越した。
唖然としている内に母親が亡くなり夫婦二人で邸宅に住んでいたが、奥さんが「親類の居るロチェスターに住みたい」と言い出し、数年でその物件を売却、ロチェスターに引っ越して行った。
今度は3ベッドのコンパクトな戸建てを選んだはいいが(終活として進歩したからな。でも老体には厳しい螺旋階段の二階建てだったりする)、敷地が98エーカーもあって、何かあっても誰も気づかない・・・。
「ミイラで発見されそうだよな」と、私らは言っている。
最後は未遂だったが、以前「身内のソープオペラ」として取り上げた銀爺の妹の例。
結局彼らは不用品を処分して今の住居に収まっているが、一時期はコンパクトな戸建てに買い替えようとしていたからな。
彼らに必要なのはほぼ全盲の妹の旦那(モラハラ、頑固爺化している)の生活介助となる支援サービス(含、施設)であって、家の大小ではないと思うのだが、結局、そこは見えていないまま、とりあえず妹のストレスは短期の家出で発散し、小康状態を保っている。
現役時代、ゆとりある収入を得ていた身近な“ちょいリッチ”なアメリカ人達が老後に突入するや否や迷走するのが何とも不思議だ。
多分、余ってしまったお金を使うのに手っ取り早く思いつくのが住宅なんだろうな。