※『職・住・墓近接のまちづくり(上)』からの続きです。

2008年9月、リーマンショックの直撃を食らった時、工場(メーカー)の生産縮小対応は早かった。
派遣会社も8月まで「新入社員ウェルカム」だったのが一転、9月からは「採用見合わせ・雇止め・解雇」へと舵を切った。

 

最初は勤怠状況の悪い者の雇止めを出して様子見をしたが、工場(メーカー)は我々が製造していた分野を他工場へ移し、派遣会社全社との提携を打ち切ることを決断した。
但し、急に対応すると生産も労働者も混乱するので、少しずつ人員を減らし、その穴埋めをメーカー直属の期間工社員に替えていった。

 

私の社では、希望退職者とキャリアの浅い者、生産終了ライン従業者から辞めてもらって縮小していったが、派遣会社の正社員も例外ではなく、転勤を断った者は解雇になった(正規も非正規も転勤希望者はほぼ残れた)。

 

私が住んでいた寮(アパート)は4階建て40部屋あったが、一時期、私ともう一人(正社員)だけになり、少しすると派遣社員に代わるメーカー期間工社員が入居し始めて多数派になってしまった。
ただ、彼らも生産縮小のプロセスで来たので、長期的に住むのか否かは不明だった。(他社のことは、ましてや我々が撤退した後のことはわかりようがない)

 

私が住んでいた寮(アパートは)はガスコンロも二口あったし、バス・トイレ・洗面台独立、洗濯機置き場も室内にあって、ベランダに洗濯物も2列干せたし、独り暮らしには割と快適な上、行政・商業・交通利便も良かったが、それでも賃貸情報誌に空き室情報は出ていた。
公表されている家賃が私が寮として借りている賃料(家電等他のレンタル料と水道代も含むが)より2万円近く安くなっていてビックリしたのを覚えている。

 

賃貸情報誌には一帯の空き室情報が溢れ、杵築市の中心街にあった私の寮でも空きが出たくらいだから、郊外の日出町はもっとひどい状況だった。

 

2010年6月、私がいた人材派遣会社はほぼ最後に撤退し(早いところは3月に撤退していた)、私は退職翌日には東京に戻って一週間程雑務に費やし渡米してしまったので、その後のことは知らないが、日本も安倍政権になり日銀総裁も代わったあたりから経済も復調して工場(メーカー)の生産も盛り返し、また派遣労働者需要も高まったものと推察している。

 

ただ、将来を見据えた時に少子化、人口減少により若手を中心に日本の労働人口は減少していく(女性や高齢者の労働参画を促したところで)ので、より多くの外国人労働者に頼らざらるを得なくなってくる(既にそうなってきている)。

 

日出町、杵築市に即して考えてみると、日出町にイスラム教徒に向けた土葬墓地ができればモスクもできるだろう。
すると、彼らはモスクの近くに住みたがるだろう。

 

住居としては既に派遣労働者向けアパートが林立してので、受け入れの下地ができている。

 

よく「大家さんは外国人に部屋を貸したがらない」と言われるが、それは個人で直に契約する場合で、派遣会社を間に挟んで寮扱いにし、部屋の使用マナーの徹底を派遣会社が責任を負う契約にすれば、大家さんは自己管理の手間や管理費委託料を省略できて、むしろ好条件になる。

 

職は工場(メーカー)が近くにある。

 

私がいた頃は他の派遣会社が若い中国人女性を技能実習生として数十名投入していた。
世界の製造業を担う中国から来ただけあって、精鋭部隊であったろう彼女達は「仕事を覚えると日本人より優秀」と言われるくらいだった。
だが、彼女達は実習生なので、労働時間の中に日本語や日本の生活習慣を学ぶ座学が含まれていて、私がライン従業員と重ならないよう食堂で早めの昼食を摂っていた時に彼女達も食堂を使って学んでいた。

 

「技能実習制度は奴隷労働」と流布されているが、(仮)奴隷(技能実習生)が(仮)平民(日本人)より労働時間が短いなどというのは聞いたことがない。

 

彼らは日本語ができないので、契約事務や作業教育、生活サポートに及んで専用通訳を用意するコストもかかる。

 

それで日本人と同じ賃金にしなければならないなら、むしろ日本人差別になってしまう。

 

それでも「奴隷労働」と諸外国、国際機関から言われるのなら、政府が日本の体面を保つために彼らの賃金を補填するしかないと思う。

私が勤めていた人材派遣会社でも東海地方の事業所では私と同様の事務系スタッフに日系ブラジル人が何人もいた。
そういう人達は日本語会話や読み書きができて、通訳も兼ねて他のブラジル人労働者をサポートする立場にいたのだろう。(リーマンショック後は居なくなったが・・・)

 

日出町・杵築市にイスラム教徒の人々が定住するとしたら、同様に技能実習生からキャリアを積んでビザを乗り換え、職場でも昇進してニューカマーをサポートするポジションに就いていくのではないかと思う。

 

どんなまちの将来像を描くかは住民が決めることだが、案外現実的な姿のような気がする。

(おわり)

 

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