私はかつて地方自治体をクライアントに観光プランニングを主業とする会社に勤めていたが、観光分野の仕事だけでは食っていけないので、実質、“何でも屋”化していた(土地利用評価や景観形成から生涯学習や各種福祉計画まで硬軟手がけた)。
確か2003年だったと記憶するが、市区町村レベルの『防災計画』も1プロジェクト+α(他のスタッフの手伝い)やった。
平成の大合併前、全国に市区町村は約3,300あり、各自『防災計画』を作るよう、国からお達しがあった。
『防災計画』は「風水害」「地震」「火山」の3つに分かれ、「火山」は過去の噴火歴等から該当する自治体のみ、大抵の場合、「風水害」と「地震」の二本立てだった。
その成果として、住民は情報公開により『防災計画』の計画書を閲覧でき、住民配布用の防災地図(段階別の避難所等が明記されている)を役所(場)の窓口で入手可能なはずだ。
ただ、『防災計画』については、作成しながら思うところがあったので、後で触れたい。
防災のヒントの多くは、今住んでいる場所、またはこれから住もうと思っている場所の“土地の生い立ち”に潜んでいる。
日本列島のスケールで見た時、山地が7割、平地は3割とよく言われる。
人口が密集する3割の平地はどうやってできたか?
河川が上流から肥沃な土を運んできて、それが堆積してできた
しかし、〇〇平野など日本の広大な平地は河口部に展開しているので、この回答だと「海」の存在が見落とされている。
海面上昇、海蝕、海風(季節風)など、今風に言えばシーパワーとランドパワー(河川)のバランスで平野はできている。
河川が運んで来た土砂が堆積した土地が、海面上昇によって海に没し、海底としても堆積物を蓄え、氷河期と間氷河期で、陸⇔海底を繰り返していたりするのだ。
それを踏まえて、今住んでいる場所、またはこれから住もうと思っている場所について、押さえておいて欲しいことを参考まで列挙してみる。
①「縄文海進」時(縄文時代の海面上昇期)に陸だったか?海だったか?
今時はネットで調べれば容易にわかる。
「縄文海進」のピーク時は今より海面が5メートルほど高かったと言われる。
関東平野を例に挙げると、現在、我々が河川と認識している所が、当時は古鬼怒湾(鬼怒川)、や奥東京湾(利根川、渡良瀬川、荒川)だったなど、海だったりする。
東海道線が走っているラインが「縄文海進」時の海岸線(当時も陸だったライン)だと言われて「大森貝塚」(今でも車窓から碑が見える)がそれを証明している。
今も海進時も陸だった所は、構造物を建てる時に打つ杭の岩盤までの距離が短く、海だった所は厚い堆積層の下に岩盤があるので、その分長くなる。
具体に後者は地震発生時に揺れが大きかったり、液状化が起こりやすいなど地盤としては脆弱だ。
次に市区町村の図書館に行って、市町村史と地図から下記3点を調べてみる(ネットでも可能)
②市区町村史から治水、灌漑など土地改良事業と災害歴を洗い出す
(例:今回の多摩川の堤防決壊は70年代にも起こった)
③明治期の測量に基づいた地図(デジタルデータとして閲覧・プリントアウトできるはず)で下記の事を調べる
・海岸線、河川、湖沼、溜池、湿地帯など水系の原形を把握する
(今は存在しなくても水害、地震発生時にリスクとして露呈する場合がある)
・土地の古名を把握する
(先人の知恵で地名が災害リスク伝承になっている場合がある。また、ニュータウンなどは地名変更されていることも多い)
④明治から現代に至る土地利用の変遷を追う
(地図好きなら明治期から10ヶ年毎に追っても面白い)
・水にまつわる土地の埋め立て(水田も含む)、宅地化を把握
先に述べた『防災計画』についての留意点
⑤広域連携の視点が希薄である
市区町村単位での作成義務だったので、域内全体が氾濫原に含まれ、逃げ場のない自治体も自己完結型で作成している(絵に描いた餅のケースもある)。
今回の台風19号の避難公報で江戸川区長が「できれば区外に逃げるように」言った英断には拍手を送りたい。こういうリスクを負った地域もある。
⑥災害の種類によっては使えない避難場所もある
私が遭遇したケースだが、小高い地形の上に学校があり、避難所として有用なのだが、地震時には使えるが、水害時にはアクセス道が冠水して辿り着けないことが想定された。
その他、参考になること
⑦地価にも土地の脆弱性は加味されている。
(周辺に比べて地価の安い所には理由がある。等価線を描いてみると面的にわかる)
⑧市街地再開発の遅延・未着手には何らかの理由がある。
(後発タワマン建設の武蔵小杉などはその例かも)
以上、参考になれば幸いです。