キネシオロジーは、人類を完全に丸裸にします。

 

キネシオロジーは、人類史上初めてあらゆる物事の真偽を明らかにする技術のため、人類にとって途方もない影響を与えるものですよね。

 

明らかに、キネシオロジーは、どの発明や発見よりも、人類にとって重要な意味を持っています。

 

何故なら、「人類の使命とは?」「神とは?」「意識の成長とは?」「悟りとは?」「人はどこから来て、何のために生き、そして何処へゆくのか?」といった、そのようなこれまでは、いまひとつあやふやだったスピリチュアルの真実のすべてが、いまや白昼の下にさらされることになったのですから!

 

すなわち、目に見えない領域について、完全に人類は把握出来るようになったということ。

 

しかしながら、例えば現在、日本を支配している人達、およびそれを知りつつも従っている人達は、順調そうに見える人生を送っていることでしょう。しかしながら自分達のしていることについて、意識レベル200未満に埋没していることに、すなわちそのネガティブな自分自身のこころの内側と向き合わねばなりませんから、スピリチュアルは厄介ですよ。

 

その内面を見つめるという作業は、相当程度きつく、しかもまさか、それで200未満だったら地獄に落ちるとは、誰も思えませんから!しかし、今まで自分達が誇りに思っていたことや特権など、すべてを見直さねばならない訳ですよ。

 

そのきついと言う思いは、例えば他者の善意を逆手にとり、利己的に利用してきた方々にとっては、蓋を開けたくない、そうどうしても目をそむけたくなる内容かと。

 

まさに、昨日ご紹介した通り、200未満に埋没している方々にとってスピリチュアルの真実や神は、自分を脅かす存在であるように思う訳ですよ。

 

私自身、保険会社勤務の際、会社のことを思い、募集を大企業、自動車の販売店や整備工場などに任せるのではなく、保険は、あくまでも専業のプロに任せねば損害保険会社の将来はないと訴え続けました。

 

しかし結局会社は、容易に数字の上がる大企業、自動車の販売店や整備工場に頼り続け、結果として、共同保険のカルテルや、ビッグモーターなどの不祥事を起こし続けています。

 

その結果、私は入社20年目の同期の中でただひとり主任でした(笑)上司に媚を売るつもりは、全くありませんでした。『郷に入るならば郷に従え』を私が実践すれば出世したでしょう。しかしそれをするなら、私はネガティブなエネルギー・レベルに魂を売ることになります。ゆえに、決して妥協しませんでした。何故なら、地獄へ落ちたくありませんからね。私は!

 

戦後日本のマルクス主義の無神論教育の影響により、その人の肩書、収入、財産などの既得権益を持っている方々にとって道徳律の基準は、自分の判断でどうにでもなりました。自然神が唯一無二の絶対者でない方々の怖いところは、道徳基準の判断が個人の裁量によるため、あらゆる法は無効にされることにあります。

 

その肩書、収入や、財産について既得権益を守るというのは、利己的、自己中心的、私利私欲による意識レベル200未満に埋没している証拠。

 

人類の使命は、『生きとし生けるあらゆるものとの共栄共存』ですから、「こちらの景色がいい」とお花畑で遊んでいる自民党系のブロガー達のように生きるなら、この世の春とは裏腹の死後の世界があり、本当のところ、そのようなのんきさを伴い人生を謳歌している場合ではないのですよ。

 

何故なら、その肩書、収入や、財産について既得権益があるからこそ、それを『生きとし生けるあらゆるものとの共栄共存』に活用せねば、人類の使命を果たせませんから!

 

アダム・スミスの見えざる手は、明らかにイエスの『山上の垂訓』における「施しは人目につかずに」実践することを隠喩しています。そのことに、肩書、収入や、財産について既得権益のある方々は、仮に気づけても、なかなか抜けられないのが、小文字のsで始まるself/小さな自己/自我/エゴの本質です。

 

ホーキンズ博士は、ほとんどの人は、食欲、性欲、支配欲、権力欲や、所有欲の追求に人生のすべてを費やしていると述べている通り、エゴの属性は、アンチ・スピリットの路線をひたすら進むのみと言えるでしょう。

 

例えば、『生きとし生けるあらゆるものとの共栄共存』を無視する無神論国家の中国と、困惑する周辺国による東シナ海の利権争いなど、まさにエゴの属性の見事な“症例”ですね。

 

 

周辺国は、中国に、「あなたたち地獄へ落ちるよ」と言えばいいのですよ!