あなたは、神の代理として生きていることを忘れてはいけません。

 

なによりも、まず人は「殺したり、殺されたりしてはいけない」最大の理由のひとつは、『神の代理』という尊厳をお互いに守らねばならないためです。

 

次に重要なことは、殺生が神によって人類に授けられた使命である『共栄共存』に反する行為のためです。さらに、神から与えられた人生の目的は、『悟り』を開くために学び、ワークを実際に行動することですね。生きている間にしか、その学びとワークは出来ないためです。すなわちあなたの意識レベルを上げることは、生物学上の生命のあるおかげです。あなたに身体のない時には、ほとんど意識レベルは変わらないとホーキンズ博士は述べていますね。そういうことです。天使になれば別の仕組みで、成長出来るということです。

 

ゆえにあなたは、生きる意志を失ったり、自暴自棄になったり、ひどい時には自殺をしたりといった、自傷行為は、完全に神のご意志に反していることに、あなたは気づかねばなりません。

 

付言すると、あなたが意識レベル500に到達すると、75万人もの私利私欲に溺れ、200未満に埋没する哀れな人々のネガティブなエネルギーと均衡します。『愛』は地球を救うとは、ほんとうのことでした。

 

 

さて、平安時代には『貞観政要』の教えを、帝王学として天皇とその嫡子は、積極的に学んでいました。『貞観政要』の主人公の太宗と諫議大夫(かんぎだいふ)の魏徴とのやり取りは、まさに儒教/道教/仏教によるものでしたね。

 

「今日から、死刑の罪は、すべて宰相と中書省・門下省の四品以上の高官及び尚書と九卿とに命じて、死罪の可否を評議させよう」(『貞観政要』原田種成訳、明徳出版、1967年、172頁より)と、太宗が命じたことで、極刑の数は激減すると同時に、極悪犯罪も大幅に減少したと報告されていますから、仏教等の影響によって、平安時代には極刑はなかったと断言できましょう。

 

「ユーモアのセンスの役に立つ理由は、一旦、私達がそれらを理解するならば、それらのイメージは滑稽だからです。それについて、何もひどさはありません。それは、無意識の操作イメージで、単にその観点です。あなたが、腐った人、または潜在的に犯人であることを、それは意味していません。人の動物的マインドが、どのようにこの局面を操り、素直になり正視され、ちょうどそれであなたに意味づけます。それについてメロドラマ風、自己批判的、または悲劇的であっても無駄です。無意識の事柄は、粗くて野蛮なものです。あなたの知性は進学校に行く一方で、あなたの無意識はジャングルに残り、そこで無意識は、まだ木を揺らしています!幻影の側面を見ることは、堅苦しく神経質になるような経験ではありません。いずれにしても象徴であり、しかも本質において原始的であるため、文字通り悪く解釈する時ではありません。もしも意識的に機能されるならば、その原始的な獣性を茶化すことは、獣性にとりつかれるよりも、むしろ私達に大きな権能を与えるようになります。」

(『Letting Go: The Pathway to Surrender』97頁より)

 

真面目な人の怖いところは、国家の為と思って「国家の悪事」に加担してしまうところでしょう。CIAやモサドなどの協力者も同じです。エゴは、あなたに、そういう時だけ「真面目になれ」とそそのかすものです。

 

私はと言えば、「こちらの景色はいいよ」と、幾度も誘われても、DSの側には一切「真面目になれ」を適用しませんでした。このホーキンズ博士の論述の通り、自分が地獄に堕ちて苦しんでいるところを、茶化すことが出来たためです。とはいえ、おそろしいからいやだと🥶

 

私は、そのため無位無官でお金がなく、それも茶化し、それで「アホな自分」を思い描くことで、妙に落ち込むことはありませんでしたね。

 

集団ストーカー犯罪に加担し、私をイジメ、財産を奪った連中も、私に対しては「ぬかに釘を打ち込んでいる」ように、手ごたえがなかったことでしょう。しかも『地獄に堕ちるぞ』と脅され・・・🤣

 

電子書籍を発刊しました。「愛 その真実とは」

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