エゴの肥大化と共に、人は能力と権威をはき違えるようになります。

 

何故なら、エゴの肥大化は、更なるアドレナリンの分泌を伴い、意識レベル200未満に埋没してゆきます。

 

すると、誰もインスピレーション(天啓、啓示、励まし)やイントゥイション(直観)を受け取れなくなるためです。すると、まさにそれは動物と同じ感性で思考し、行動することになります。

 

獣性は、「何を持つか?」に象徴されるように、意識レベル200未満の共通の思考回路と行動パターンにみられます。

 

残念ながら、私の両親も神を絶対者としていなかったため、『モーゼの十戒』の重要性に全く気づいていませんでした。

 

 

あなたは、神が人に、この宇宙で最高の能力をお与えになった意味をご存じでしょうか?

 

神が、人類に対し、あらゆる生物の中で最高の能力をお与えになった意味とは、人が生態系のトップに立ち「生きとし生けるあらゆるものとの共栄共存」を実現することですね。すなわち、この地球上の生物の統治を、神は、ご自身の代理として人に任せたのが人類です。

 

しかしながら、戦後の日本の学校では、無神論を基盤としているため、そのような人類にとって最重要の教養を、すべての生徒に真っ先に教えることは、まずあり得ない訳ですよ。多くの知的エリート層のエゴは、『全能』であると勘違いし、自己陶酔に陥るとホーキンズ博士は述べていました。さらに次は、誇大妄想や被害妄想から破滅に至ると言います。

 

私の両親は、清和源氏など武家の血を引き、超高級住宅街の元麻布に居を構え、慶應出身で、しかも経済的に恵まれていたことを、まさに自分の力であると確信してたことから悲劇は起きました。

 

権威と能力の違いについて、両親は理解していなかったと言えます。

 

その結果、父は「どれほど稼ぎ、どれほど思いのままに使っても、決してこころは満たされなかった」と言い残し人生の幕を閉じました。母は、私との最期の電話のやり取りで悲しげに「贅沢を止められない」といい、ネガティブなまま亡くなりました。

 

確かに、名家で一等地に家があり、一流大学を出ていて、経済的に恵まれていれば、「自分には能力があり特別な人間である」ことを権威のように思ってしまうでしょう。

 

結果的に周囲から、優秀で幸せそうに見えた両親の人生は、贅沢に溺れてしまい、人類の使命を見失っていたため起きた悲劇的最後でした。

 

幼い頃から私は、両親がそのような贅沢の出来ることについて、自分達の力があり、それは権威であるという認識に違和感がありました。私は文字が読めるようになると、カトリック系の幼稚園の卒園の記念に頂いた聖書の概説を、繰り返し読んでいました。それに加えNHKの大河ドラマのストーリーから、私は、おおよそ人のために生きることこそ、私達人類の使命と気づいていました。

 

そのため幼い頃から私は、両親に度々「パパとママは、人とは何か、人の使命とは何かを、全く分っていない!」と忠告してきました。しかし両親の反応は、「誠一、お前は何もわかっていない。黙っていなさい」といったように怒鳴られるのが、まさにルーチンでした。

 

能力とは、あなたのものではなく神からの贈り物ですよ。さらにまずいことに、両親はカルマの知識に欠けていました。この世は、神による「冷酷な書類管理」の下で、すなわちカルマで成り立っています。カルマの仕組みは神がお創りになった訳で、ホーキンズ博士は、この世で起きていることは神の責任であると明言しています。

 

一方で人類のひとりひとりに課された責任とは、何でしょうか?

 

それは、自分の意識レベルです。意識レベルに応じて責任をとることになります。

 

この人として最も重要な意識レベルに関する教養が、私の両親にはありませんでした。すなわち、意識レベル200以上を保つには、それはまさにその人類の使命「生きとし生けるあらゆるものとの共栄共存」するよう人生をフォーカスしてゆくことですね。

 

あなたは、この重大な人類の使命について、理解出来るでしょうか?すなわち結果的に「生きとし生けるあらゆるものとの共栄共存」を実践することでのみ、人は真の幸福に近づくことが出来るというものです。

 

この人の上辺の権威と、本質の権威は、全く違うという究極の真実について、最後の最後まで両親に理解させることは、残念ながら私には出来ませんでした。

 

『Power vs. Force』の発刊は1995年であり、邦訳の発刊は2004年のことでしたし、私が邦訳の『パワーか、フォースか』と出会ったのは2009年のこと。さらに最後の『Book of Slides』の発刊は2016年でしたから、全く両親を救うには時間が足りませんでした。

 

戦後教育の最大の問題は、『無神論』をベースに、神から人類に与えられた使命を全く教えないことですよ。私の両親は、そのことを知らなかったため、悲劇的最後を遂げました。

 

あなたには、そのような悲劇を経験していただきたくない為、私は書き続けます。