スピリチュアルは、気づきによってのみ、その重要性を理解します。その重要性に、本人が『気づく/aware』までは、周囲がどれほど熱心に話したところで、ほぼ無駄かと。

 

まさに私の両親がそうでしたから!

 

ところで、ウクライナ軍がロシアのクルスクに侵攻しています。何とも下品な笑顔が印象的なウクライナ兵が、ウクライナの旗を立てる兵士と共に自撮りしているシーンが、繰り返しニュースなどで放映されています。

 

完全に彼等は、ロシアを侮辱していますね。この兵士達が、どれほど低い意識レベルで行動をしているか分かります。

 

祖国防衛といった大義とは無関係の獣性をむき出しにしていることから、彼等は軍規など無視することでしょう。すなわち、まさにそのような低い意識レベルなら、レイプ、略奪や惨殺など、簡単にやってのけそうですね。戦争の実態とは、そのようなものです。

 

日本軍でさえ、どの戦場においても、負けが明らかになった時、軍規は完全に崩壊していたことを記された日記が多く残っています。

 

戦場において人類の80%の将兵は、レイプ、略奪や、惨殺に、いとも簡単に関与する可能性があるということですね。スピリチュアルの重要性に気づいていないなら、誰もがそうなるということ。

 

私は、幼い頃から意識の永遠性、人と神の意識はつながっていること、輪廻転生や、因果応報を確信していました。ゆえに、道徳的な人生を送らねば、必ず地獄に落ちるという強迫観念をもっていました。

 

その私の道徳観念は、両親が望む「いい子」になることといった、そのような両親による洗脳を私はされていました・・・。その呪縛を解くのに50年かかりました!

 

両親のいう「いい子」とは、礼儀正しく、行儀よく、おとなしく、テストは100点、間違いは許されず、東大に入り立身出世することでした。

 

それらの要望に、私が応えられない時、両親は、あからさまに不機嫌でしたね。

 

そして、本当に100点をとれないと、あからさまに私は、両親からバカにされていたことを思い出します。

 

両親共に、慶大法学部卒でしたから、両親の求めるような人物でなければならないという、そのような強迫観念のもとに、私は子供時代を過ごしていました。

 

 

しかしながら、私には違和感がありました。それこそ、おそらく「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」をはじめて私が知った頃からでしょう。

 

それから「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という福沢諭吉の言葉は、大学に入りアメリカの独立宣言に由来するかも知れないと気づきます。それゆえ、その頃から明白に私は、あからさまに人をバカにし、見下す両親の態度に疑問を感じ始めたのです。

 

私は、そのような心構えの両親に対し、幼い頃からあった違和感の正体に気づかされたのは、人をバカにする際に分泌されるアドレナリンと、人を尊重することで分泌されるエンドルフィンの違いを、ホーキンズ博士の著作を読み理解出来ました。私は幼い頃から明白にアドレナリンとエンドルフィンの違いを分かっていたということ。

 

アドレナリンを分泌する意識レベル200未満は、利己的、自己中心的で、私利私欲に走り、『何を持つか?』が人生の目的となり、それが上手くゆくなら自己陶酔に陥り、最後は自身のネガティブさから人を信頼出来ず、結局被害/誇大妄想により、まさに逃走か闘争の人間関係になります。

 

エンドルフィンを分泌する意識レベル200以上は、利他的で、他者と自分は同列で、他者のために『何をするか?』によって生まれた成功を自分の喜びにし、それが次に愛へと結びつき、完全にスピリチュアルに目覚めると、最終的に統合と調和の人間関係になります。

 

東大に入れず、慶大に行ったこと自体、、すでに私は両親から「いい子」ではないとあからさまに思われていました。その頃から、私の両親は、私がノーブレス・オブリージュや、世の中のためになることをしたいといった、そのような心構えに危惧を持っていたようです。

 

当時から、無神論教育で育った両親による私と弟へのアドバイスは、「自分のことだけを考えて生きてゆきなさい」でした。しかし私は、その考えを、明確に地獄行きを意味することだと直観していたため、両親との人間関係は、両親と永久の別れを迎えるまで、ぎくしゃくしたままでした。

 

そういう訳で、両親のように人類の80%を占める意識レベル200未満の方々には、幼い頃からのスピリチュアルの真実の教育が、いかに重要かお分かりいただけるでしょう。