パリオリンピックが終わりました。

 

元陸上選手としてオリンピックに3度出場した経験を持つ為末大が、Xに過去に投稿したnoteを再掲しています。

 

そこには、「お伝えしたことがあります。メダルを取っても幸せになるとは限らない、ということです」と述べています。

 

燃え尽き症候群と言われる症状が出ることがあります。アスリートは極度の重圧にさらされているために一般の方よりも精神的なダメージを受けやすい状況にいます。人間が精神的に落ち込むのは危機的な状況の最中ではなく、危機的な状況が過ぎ去った後だと言われています。」

 

「オリンピックに向かう時には自分では気がつかなくても、強い重圧の中で自分も抑制し集中していますから、精神的に疲労しています。身体の疲労は実感しやすく、最近は血液検査などで測定も可能なのである程度予測がつきますが、精神の疲労は実感しにくいために見過ごされがちです。」

 

「私も引退して10年ほどが経ちましたが、上ることよりも降りることの方が難しく感じます。」(引用終わり)

 

オリンピックでは、ありませんが、私も、また燃え尽き症候群の経験があります。それは、志望校に合格の後に起きました。

 

小学4年生から中学3年生までの6年間の受験勉強は、熾烈でした。特に中学3年生の冬休みから、受験までの1か月半は、学校を休み塾に泊まり込みをして、朝から晩まで受験対策に明け暮れました・・・。

 

その結果、私は見事に慶應義塾高等学校以下、私立3校に合格し、念願だった第一志望の慶應高校への入学がかないました。合格発表のボードに張り出された紙に、自分の番号を確かめると、私は、ほっとしたのと同時に全身の力が抜けてしまうような感覚に陥りました。

 

それから、約2年間、私は、多くの時間をひたすらぼーっと過ごしていたものです。

 

合格発表の翌日、私は、約2か月ぶりに中学に登校しました。抜け殻のような状態の私に、担任の先生は、笑顔と共に「どうしたの?人生で最高の時間のはずなのに」と言われたことを、今も鮮明に覚えています。

 

燃え尽き症候群など、メンタルの疲労すべては、意識レベル200以上、言い換えると左右大脳半球の同期化の結果、エンドルフィンの分泌によって解決されます。

 

そのためにも、スピリチュアルの『勇気』は最低限必要であり、自身を癒すためには『無条件の愛』のレベルに達することで、常に、人は幸福感に包まれるようになりますよ。

 

さて、パリオリンピックは、史上最高の観客動員数であったことからも、相当成功だったと言えるでしょう。

 

その過程を、組織委員会のエスタンゲ会長は、「フランスは文句ばかりの国民」と運営の大変さを、そのような言葉で締めました。またIOCのバッハ会長は、セーヌ川の水質について批判を浴びていたこともあり「セーヌ・セーションな大会」とおやじギャグ。今大会はTGVの施設への破壊工作で始まり、様々な批判や誹謗中傷の嵐だったことを認めるかのようなこの発言で、これは「まあ、大目に見てくださいよ」といっているようでした。

 

閉会式にはトム・クルーズが登場し、会場は大変な盛り上がりを見せました。まさにお祭りは次へつながるといった、そのような感じの演出は、ハリウッドのお膝元ロスオリンピックのエンターテイメントに期待を膨らませるものですね。

 

オリンピックも、またフランスの305という国の意識レベルを反映していたと言えるでしょう。すなわち、305というの意欲的であるものの、寛容さを受け入れる余裕(350)に欠けるというもの。

 

 

ジーコをはじめとして盗難事件が頻発し、エアコンのない選手村、あまりにも野菜を重視した食事の問題や、審判団に対するルールやマナーの徹底不足により、誰の目にも「忖度」に見えるご都合主義的な会場設定や判定に、それは如実に表れていました。

 

次回開催されるアメリカは国家としては、計測値421で世界最高峰である一方、全米50州のなかで最も低く計測される280のカリフォルニア州、およびハリウッドのプライドのレベル190という計測値が、どのようにバランスを取るのか注目です。

 

何かと既存の価値観を否定する西海岸の政治姿勢は、伝統的なピルグリムの精神を受け継ぐ共和党とは、正反対の社会民主主義を標榜する民主党の左派や、無神論の急進左派勢力によるものでもまた、あります。

 

いずれにしても、オリンピックという平和の祭典を、政治による『大人の事情』を脇に置いて運営して欲しい限りですね。