朝ドラの寅子に「なんで、悪い人のものを盗んではいけないの?どうして自分の体を自由に使ってはいけないの?どうして人を殺してはいけないの?」と質問をした女子高校生は、昭和11年生まれです。

 

実は、私の母と同じ年齢でした。母は、慶應義塾大学法学部法律学科の出身。

 

実に母は頭脳明晰で、札幌の藤女子高等学校を首席で卒業し、歴史、文学、芸術や、クラッシック音楽について驚くほど豊富な知識があり、また深いレベルで理解していました。手先も器用で、家事や手芸などでも抜群の能力を持っていました。

 

しかし母は、宗教学や哲学に関する知識は、ほぼ皆無でしたね。

 

その理由は、母方の祖父によりました。すなわち、祖父は哲人のようだったためです。祖父があまりにも、宗教学や哲学に関連する書籍を「読みなさい」と進めることに、母は辟易としていたそうです。そのため母は、トルストイなどの純文学にのめり込んでいたと、若き日を回想していました。それでも母の連れ添った父も、また全くスピリチュアルの知識は皆無でしたから、離婚せずに添い遂げられたのでしょう。私は無理ですが・・・。

 

戦前の日本の学校教育では、天皇陛下を太陽神の子孫とする似非スピリチュアル教育が徹底されていました。しかし「人を神に定めると、ハートチャクラに好戦的なエネルギーをためる」ことになります。

 

このことは、『Truth vs. Falsehood: How to Tell the Difference』と『『Book of Slides: The Complete Collection Presented at the 2002-2011 Lectures with Clarifications』にのみ書かれていて、他のホーキンズ博士の著作には書かれていません。

 

明治以降の日本が、穏やかな江戸時代とは反対に、暴力を正当化し、まさに血に飢え、死に急ぐ好戦的な国民へと豹変し、戦争に明け暮れることになります。それは『天皇を神に祭り上げた』結果だったのですよ。スピリチュアルの真実を歪めることで、これほど悲惨な結末を迎えることになると歴史が証明しています。明治政府のこの愚策こそ、広島と長崎に原爆を落とされる結果になったというのが真相

 

戦後GHQは、死を恐れない日本人を骨抜きにするために、有神論から180度転換させるマルクス主義の無神論を教育の柱にしました。

 

 

そういう訳で、母も、またマルクス主義の無神論教育の犠牲者であったことに、気づかされました。それは今からちょうど20年前の今頃のことでした。母は、父の死から8年経ても落ち込んでいて、なんとか元気にしたいと私は思っていたものです

 

それで私は,深い感銘を受けた松原泰道の『般若心経入門』を買って、母に渡しました。ちなみに般若心経は、計測値780ということで、普遍真理レベルにあり、とても尊いお経

 

母の感想は、なんともネガティブな表情で、「こんなものにうつつをぬかして、こんな本読んでいてはダメでしょう!」と言われ、私は大きなショックを受けました。あんな顔をした母を生まれて初めて見ました。

 

母は、永平寺の東京別院である長谷寺のお坊さん達の唱える般若心経を、三十数年にわたり、年に何回も聞いていたはずですからね。「ええ、般若心経の内容も理解せず、どうしてあんな神妙な態度で正座していたのか?」と、私は全く理解出来ず、とても悲しい思いでした。

 

なんと、母は上辺だけ神妙にしていたということ。私は、呆れました・・・。

 

4年半ほど前のこと、母が野沢スキー場のゲレンデを滑走中、突然死する前に、私と電話で交わした最期の言葉は、「贅沢をやめられない」という訴えでした。

 

80歳を過ぎても海外を含めスキーへゆくなど、外から見た目には幸福な人生のように見えて、実に優雅な老後生活とは裏腹に、内面は常に満たされない状態でした。まさに見た目だけの幸福で、内面は常に意識レベル200未満に埋没し、父の死後の母は、いつも「もういい、早く死にたい」と口癖のように言っていたことを思い出します。

 

それは、まさに慶大を出て、元麻布に住み、お金があっても、「自分のことにだけに、お金を使う人生」が、どれほど空しく、内面を満たすのが不可能なことを証明しています

 

母は、例えば、私が募金や寄付などを含め、いつも何か人のためにすることを冷めた目で見ていました。しかもその後、私は塾の経営に失敗し、投資に失敗したため、母は軽蔑の目で私を見下し、あたかも人生の落伍者のように罵っていたものです。

 

私が、人生の奈落の底に落ちた時、母の人間性を明確に垣間見ることが出来ました。いってみれば上辺だけ家族で、こころは一切通じていない関係性でした。

 

私の内面は、博士の著作にあるスピリチュアル・ワークを実践したことで、いつもエンドルフィンで満たされ幸福感に包まれています。一方、アドレナリンを分泌させている母は、何かにつけイラつき、不満を漏らし、残念ながら、私の幸福感を1%も分かち合うことは出来ませんでした。

 

父が四半世紀前に亡くなった時、私は、母に「贅沢な暮らしにばかり目を向けていても幸せになれないよ」と言いました。その後もことある度に、スピリチュアルの重要性を説いていたものです。その「贅沢をやめられない」という最後の電話の後、ふと私が思ったのは、母が私のアドバイスを結局のところ、全く理解できていなかったことへの哀れみと虚しさでした。

 

すれ違ったまま、母との関係は永遠に途絶えてしまったのです。父の場合も同様でしたが・・・。

 

ホーキンズ博士の著作11冊を、私が完読完訳した結果として、『意識マップ』を理解出来ない方々は、決して内面の充実、言い換えると『愛』を理解不可能で、結果として誰も幸せになれないことを痛感している今日このごろです。

 

マテリアル(物質世界)の充実は満足のみで終わる一方、スピリチュアル(精神世界)の充実は満足のみならず幸福そのものも手に入るにもかかわらず、左脳優勢の時は誰も気づけないのですよね。