『言論の自由』は、ポストモダン主義、神にネガティブな感情を持つ者、無神論や、唯物主義といった相対主義者達にとって、かっこうの宣伝道具です。

 

それとは別のレベルで、例えばアメリカ大統領候補の発言のように、物理的に危害を加えねば、誹謗中傷による個人攻撃さえ裁かれることは、ほぼありません。

 

しかし実際のところ、すべて神による『冷酷な書類管理』によって裁かれるのですが・・・。

 

2005年に教皇ベネディクト16世は、「現代社会の抱える最大の問題は『相対主義』である」と述べられています。

 

今ならその代表例は、アメリカはウクライナに侵攻したロシアを『侵略者』と非難する一方で、国連決議を破ってパレスティナ人の土地を奪うイスラエルを『侵略者』と呼ばず、反対に支持していることでしょう。

 

これは、アメリカ外交が、完全に相対主義に陥っている証拠です。

 

イスラエルの侵略は正義である一方、ロシアの侵略は不正義であるとアメリカは主張するのであり、神から与えられた人類の『権利』を高らかに宣言した独立宣言と矛盾しています。しかしアメリカの政治家達は、そのことに気づいていませんね。

 

何回も申し上げているように、この相対主義は自然神を唯一無二の絶対者としない限り、道徳も絶対なものではなくなることを意味します。

 

神に畏敬の念を示すことが出来な限り、どのような法も無効になることを示しています。

 

ホーキンズ博士は、『Transcending the Levels of Consciousness: The Stair way to Enlightenment』の中で、キリスト教プロテスタント系のHerbert W. Armstrong(1982-1986: Philadelphia Church of God)によって発刊され始めた無料の月刊誌『フィアデルフィア・トランペット』の2005年6月号の論述を引用していました。

 

以下、その引用文の私訳です。

 

道徳的相対主義は、正しいか、間違っているか定めることを、個別的、個人的選択であるとする信念です。絶対の法律の存在を否定しいるこのイデオロギーは、あらゆる決定が個人的裁量の感覚的問題であると考えています。例えば道徳的相対主義は、客観的に姦通は悪くないことを意味します。私は、結婚を無効にする行為と思うかもしれませんが、一方であなたは、それは権利であり、それは結婚の絆を更に深めると思う資格があります。これと同じ推論は、殺人、盗み、ロリコン、その他、あらゆる人の人生の側面に当てはまります。一方でこのイデオロギーは、完全な『正しい』や、『間違い』に関する定義などは存在していません。ただあなたが「何が正しいか、間違いか」について認識するのみです。

この歪曲された信念は、私達の世界中で大変な侵害を冒しています。世俗主義(無神論)者達によって、作り出された道徳的相対主義は、総合大学(訳注:欧米では神学部を含む大学のこと)の文化、特に科学の二次的産物です。神の存在を否定することにより、進化論は、道徳的相対主義の種をまきました。仮に神が存在しなければ、その時、世俗主義者達の理性に絶対なる法は存在していません。彼等の武器である道徳的相対主義を用いる、自由主義の世俗主義(無神論)者達は、彼等が望む、「どのような絶対の法も破ることを可能にする」ものです。社会を統治する法でさえも破られるでしょう。ほとんどの人々は、アメリカの法、イデオロギー、および道徳律は、ユダヤ・キリスト教の信仰である『十戒(じっかい)』によって根本的に統治されていると認識しています。

神が存在しない以上、その時、相対主義者によれば私達が扱っているすべては『十戒』ではなく『十の疑問』です。法は存在しません。絶対の法は存在しないことから、正しいか、間違っているか、定義するのは完全に個人的問題です。これは、ワード・チャーチル、ハリス・ミルキン、そして事実上の相対主義の人々が、「反アメリカ主義と、ロリコンといったイデオロギーを、何故、支持することが出来るのか?」ということです。

仮にある人が、絶対の法に信頼を置けないならば、その時、彼や彼女は、ロリコンは悪いと信じることを求められません。道徳的相対主義は、正しいか間違いか、道徳的か、それとも反道徳的か、定義する法を無効にします。(以上、引用終わり)

 

かくして自然神と自然法の概念を無視すると、世界は混迷から抜け出すことは出来ないということですね。

 

ホーキンズ博士は、キネシオロジーの技術の確立と、『意識マップ』の発見は、人類にとって、ぎりぎりのタイミングであったと述べています。

 

 

『Truth vs. Falsehood: How to Tell the Difference』には、西側の知的エリート層が、無神論のマルクス主義の亡霊といえるポストモダン主義にかぶれ、その影響は世界中のマス・メディアにも及び、道徳的相対主義が目に余る状況に至ったこと、そして、イスラム原理主義者が水面下で世界征服を企んでいる(例えば、2005年当時、ホメイニ氏、ビン・ラディンや、フセイン大統領などによる)ことなどを明らかにしました。

 

まさに、人類の危機を救う結果になったと述べています。

 

言論の自由が相対的になったなら、その時、自由と平等は失われることを意味します。