レディ・ガガやセリーヌ・ディオンの登場で面目を保ったパリオリンピックの開会式でしたが、その背後にある相対主義は、誰の目にも明らかでした。

 

戦争中のパレスティナとイスラエルの両国の出場は認めてるのに、ウクライナとロシアでは、ロシアの参加を認めないなという露骨な政治姿勢が、平和の祭典とは名ばかりであることを示しています。

 

勿論、選手達には、全くそのような『大人の事情』を超越して最高のパフォーマンスをして欲しい限りです。更に、韓国の国名を間違えたり、五輪旗を逆さまに掲揚したりと、お粗末も・・・。

 

愛よりも、エゴが勝っている証拠と言えるでしょう。

 

次に、あなたが、このブログの熱心な読者の方なら、パリオリンピックの開会式のセレモニーには、嫌悪感を持たれたことでしょう。

 

ポストモダン主義が、知的エリート層に広く浸透しているフランスらしいオリンピックと言ってしまえばそれまでですが・・・。

 

ホーキンズ博士は、ポストモダン主義とは、芸術の中における表現のみならば、それは価値を見出せるものの、それが政治や社会生活に浸透するなら、非常に大きな問題を引き起こすと警告していました。

 

何故なら、道徳律の健全性を無視するのが、ポストモダン主義の創造の源泉のためです。

 

自身の生首を持つマリーアントワネットを模したと思われるフィギャーによるパフォーマンスは、あからさまに暴力を正当化するものですよ。

 

あなたもご存じの通り、人類の使命は『共栄共存』です。ゆえにギロチンを含め死刑というのは、真実レベル30の『罪の意識』のレベルで計測されます。そのように人類の使命を無視し、死刑にした人物に対し、反省を促すのか、もしくはフランス革命を勝ち誇ったように見せつけるのは、まさに人権の冒涜のそのものです。

 

 

フランス革命において処刑された人々の数は2万名にも及び、聖職者を辱めるため、神の冒涜を認めたことによる弊害がその処刑人数に表れています。

 

しかし問題は、このようなパフォーマンスは、人類の2.6%占める潜在的犯罪者達を刺激しかねないことにあります。

 

以下引用です。

 

殺戮本能は、小さな自己/自我/エゴ(フロイトの“Id”)で最も抑制された、隠れたこころの奥底にあります。すなわちそれはそれ自身の目的のための暴力について、その愛着のために殺害をするレベルです。その行為そのものがそれ自身の源泉で充足感があるにもかかわらず、言い換えると心理的な前提はありません。歴史的に、1930年代の日本人、および第二次世界大戦の強制収容所で、それは不必要に人々を虐殺した征服者バイキングによる“狂った”活動に見られます。それは、洗脳、刺激的な政治的レトリックや信仰的熱狂(80の計測値)によって誘発される誇大(被害)妄想/自己中心的状態(悪意のある自己陶酔的な行動パターン)から成る極端さが同時にあります。

(中略)

全人類の65パーセントもの人々は、テレビと映画における暴力シーンの結果として異なる程度のPTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しむというのは意味があります。著しい例は、サイコ映画鑑賞後症候群(計測値80)でした。人々の大多数は、その後何年も家の中でシャワーを、ひとりで浴びることを怖がりました。そして誰もが、入浴中にバスルームのドアを見ました。(PTSDは、恐怖のフラッシュバックによって特徴づけられます)。

(『Truth vs Falsehood: How to Tell the Difference』より)

 

そういうことで、テレビ、映画やビデオゲームなどで、暴力的なシーンを見ると、きっかり5時間後にニューロンは反応し、前述のような反応を人々は見せるようになります。

 

また現代のアメリカの国立衛生研究所の調査によると、アメリカ国内には、およそ3,100万人もの先天的、および後天的人格障害と思われる人々がいて、それは全人口の7.5%にも上ると言います。それらの人々による常軌を逸した行動は、無神論や唯物主義など、すべて信念体系によるといいます。(『Truth vs Falsehood: How to Tell the Difference』より)

そういう訳で、日本も含め、いかに自然神と自然法の教育が、幼い頃から必要であるか、それをこの数字は物語っています。

 

死刑などは、トリコロールの『自由』、『平等』と、『友愛』の精神に明らかに反することにフランス人は気づいていないのなら、一刻も早く気づいて欲しいもの。まだまだ人類の意識の成長は、発展途上であり、成長は非線形であると博士はいいます。

 

フランスは、革命のプライドを克服し、トリコロールの精神を純粋に遂行する基盤を持っています。例えば、ノートルダム大聖堂は、790という悟りのレベルで計測されることからも、それは証明されています。

 

ホーキンズ博士の著作のすべてが、正確にフランス語に訳され、知的エリート層の間で、密かにブームになることを祈っています。