人によって、見えているものが違うのですよね。

 

左脳しか働いていない人は、信じられるのは「見えるもの」のみと認識するため、見えないものを信じることは出来ません

 

ですから、例えば、「立身出世するぞ!」や「金持ちになりたい!」や「有名になりたい!」や「贅沢したい!」や「遊びたい!」といった欲求を満たすことこそ幸せだと信じてしまうもの。

 

それが、200未満の人々の人生の目的が『何を持つか』に焦点を当てていることで理解出来るでしょう。

 

 

左右の大脳を同期化させている人は、左脳しか働いていない人の欲求に理解を示すものの、「自分のことだけ考える」ことに躊躇するでしょう。

 

何故なら、左右大脳半球の同期化により、インスピレーション(天啓/啓示/励まし)を受け取れるようになるため、「どうも自分のことだけ考えていたら、幸せになれそうにない」ことに気づきます。すると、その人は他者の幸せを実現することこそ、自分も幸せになれると分かります。

 

その証拠に、世界的大企業の幹部クラスは、意識レベル300台で計測され、その性質といて、意欲、不偏不党、受容、誠実さ、道徳律の健全性や、勤勉さによって、200未満の自己中心的な一般社員のお手本になります。

 

それが、200以上500未満の人々が、誰かのために『何をするか』を人生の中心に据える理由ですね。

 

さらに、誰かのために『何をするか』の先にあるのは、そこにハートの入る余地があるかどうかです。

 

あくまでも『何をするか』が、理性のレベル、言い換えると頭の中で考えることに終始していると、それが本当に人のためなのか、自己満足なのか分からなくなります。

 

その代表例こそ、頭の中でこの世界の起源や意義を見出す『哲学』の領域に踏み込むことで、人は、ただ森の中を彷徨っている状態に陥り、全く解決策を見出すことなく、自分を納得させる方向へ、ただ赴くのみになります。

 

何故ならば、理性は、どれほど磨かれていても、デカルト、フロイト、アインシュタインや、ホーキングといった意識レベル499では、結果として線形の目に見える世界を処理することしかできないという限界を思い知らされます。

 

ここで、人が考えることを止め、すべて天に委ねると、500の壁は超越され、データや思考に依らず、物事の本質を見抜く能力、すなわちイントゥイション(直観)を手にします。

 

これは、明白な非線形領域の真実に気づけるレベルです。

 

すると、人類と神の関係や、人類の神から授かった使命などに気づき、自分自身が『何者になるか』を人生の中心にし、その性質は優しさや、愛情表現として誰にでも好かれるようになります。

 

更に、600に達するなら、この宇宙の仕組みが暴露され、「幻影」の世界で、いかに人類がもがき苦しんでいるかに気づき、同情の観点を持つと同時に、神から特別の使命を帯びない限り、人知れず肉体を捨て、解脱の道を選らぶことになります。

 

そういう訳で、どうして人は意見が異なるのか引き続き表から、みてゆきましょう。

 

意識レベル200未満は、コンテント(content:内容/中身/個々の事象)のみに焦点を当てます。

意識レベル200から500未満は、コンテントに加えコンテクスト(context:背景/前後関係/情況)にも焦点を当てます。

意識レベル500以上600未満では、コンテクストでコンテントにも焦点を当てます。

意識レベル600以上ではコンテクストのみに焦点を当てるということ。

 

意識レベル200未満は、唯物主義(materialistic)で、まさに目に見えるもののみ真実とみなします。

意識レベル200から500未満は、道徳(moral)が目に見えるものよりも重要であると気づきます。

意識レベル500以上600未満では、優しさ、愛(loving)こそ本当の幸せを手に入れる道であることに気づきます。

意識レベル600以上では、この世の哀れ(compassion)に気づき、人類に同情を示します。 

 

明日も、この続きをお楽しみに!