エゴが好むものとは、一体どのようなものでしょう?

 

何よりもまず、『手に入れること』に執着します。

 

ゆえに、人であるならエゴから欲望をなくすことは不可能であると、ホーキンズ博士は述べています。

 

支配欲、権力欲、肩書やポストへの執着、性欲、所有欲、物欲、金銭欲など、まさに留まるところを知りませんよ。

 

しかし、それらはすべて幻です

 

幻ゆえに、それらを追い求めても、永遠に真の幸せは『手に入れること』は出来ません。

 

ところが・・・。

 

あなたは、その『手に入れること』に執着する性質から、人はスピリチュアルの情報を『手入れること』が出来るということに気づきましょう

 

脳の三大欲求は、まさにマテリアル(物質世界)の追求からスピリチュアル(精神世界)の追求にシフトすることで、その欲求を満たすことが出来るということですね。

 

脳が、最も幸せを感じるのは、『生きたい、知りたい、そして仲良くなりたい』を達成するときですから、スピリチュアルの追求は、人類にとって必然なのですよ。

 

ところが、エゴの粘着性は半端なく、ゆえに意識レベル500に達している方々は、わずか4%足らずと言ってもいいでしょう。

 

 

しかも、その意識レベルに応じた『善』があります。

 

ホーキンズ博士は、ほとんどの著作で次のソクラテスの言葉を度々、引用しています。

 

「人は、常に最善であると思うことを選択するのであるものの、真偽を区別することが出来ないゆえに罪はなく、ただ無智なため間違った選択をするだけである」

 

博士のすべての著作で必ず紹介される『ア・コース・イン・ミラクルズ』には、何回も繰り返し人の無罪性について言及されています。

 

そいうことで、人が過ちを犯すのは、『無智』だからですよ。

 

意識レベルの上昇と共に、真偽の正確性は増すものの基本的に意識レベル600に達しない限り、人は真偽を見極める能力はありません。

 

それを裏づけるように、キネシオロジーの技術は605で計測されます

 

しかし極まれに意識レベル570近辺に達した人が、神の恩寵により第三の目のチャクラの開眼を許され、スピリチュアルの真偽を見極める能力を与えられます

 

そういう訳で、これまで人類は、正確に真偽を見極める道具を持ち合わせていなかったため、誰もが陥る『手に入れること』こそ人類の姿だと思われてきました。

 

ゆえに、私の両親の私にたいする期待も『立身出世』でした。

 

それをかなえるためにも『いい子』を演じねばならなかったと言えるでしょう。

 

しかし、人類の使命は、共栄共存にあり、決して『立身出世』ではありません。

 

幼い頃から私は、意識の永遠性を確信していたため、ホーキンズ博士の『パワーか、フォースか』の邦訳との出会いは、幼い頃から愛を示すことこそ人類の姿との思いの正しかったことに安堵したものです。

 

すなわち、『いい子』ではなく、人や世のためになることに重点を置く生き方をすれば、人の使命を果たせると思ったものです。

 

同時に、生まれて初めて『意識マップ』を見て、私は驚愕してしまったことがあります。

 

それは、恥、罪の意識、無関心/憎しみ、深い悲しみ、恐怖、欲望、怒り、プライド/妬みといった、200未満のレベルすべて、私は持っている事に愕然とし、まさに恐怖を感じました

 

「なんだ!?地獄へ落ちてしまうではないか?」との不安を感じてしまったのです。

 

その不安を解消してくれたのは、2012年の夏に発刊された博士の遺作『Letting Go』、すなわち“手放す”でした!