アートマンは、あなたの唯一の実在です。

 

「この地上において、人が得るあらゆる富は、つかの間のものにすぎないように、そのように、供犠を執り行うことによって獲得される天界の享楽もまた、つかの間のものに過ぎない。従って、アートマンとその正しい望みを真に理解することなく死んだ者たちは、どの世界に行っても永遠の幸福を見出すことは出来ない。一方で、アートマンとその正しい望みを真に理解した者たちは、どこにおいても永遠の幸福を見出す。」

(『ウパニシャッド』日本ヴェーダーンタ協会、2009年:チァンドーギア・ウパニシャッド、151頁より)

 

趣旨は、悟りを開き解脱せねば、永遠の幸福は手に入らないということ。

 

 

昨日ご紹介した通り、どのような悲惨な状況においても神の愛を垣間見えるものです。「この宇宙の『真理』は、神の本質であるところの『愛』そのものが背景にあること」を明らかにする、私のもうひとつのお気に入りの映画があります。

 

それは、『On Golden Pond /黄昏』(1981年製作)です。

 

この作品は、ヘンリー・フォンダの遺作になりました。しかもこの映画は、企画した娘ジェーン・フォンダからの年老いた父への贈り物でした。

 

アカデミー賞の無冠の最後の大物と言われたヘンリー・フォンダですが、この作品で、ついにアカデミー主演男優賞を受賞します。

 

悔しい思いをし続けてきた名優のヘンリー・フォンダが、娘の企画した映画で、ついにアカデミー賞を受賞というのは、神の優しさとしか言いようがなく、映画を見る前に、そのエピソードだけで涙が出て来てしまいます。

 

映画で描かれているように、実際ヘンリー・フォンダとジェーン・フォンダは、母の本当の死に至る状況を隠していたことがきっかけとなり、20年近く冷戦状態がありました。まさに自分達親子の歴史を描いたような作品のストリーです。

 

昨日の『フューリー』同様、主人公の名はノーマン。

 

年老いた老夫婦が、美しい湖畔にある別荘で、夏のひと時を過ごした日々を描いたものです。

 

ノーマンは、元大学教授でした。

 

まあ、その職業を聞いただけで、誰もが頭脳明晰で理屈っぽく、頑固な爺さんであると想像出来る通りです。元教授の夫人エセル(キャサリン・ヘプバーン)のみならず、誰が話しかけても皮肉たっぷりに切り返し、周囲に呆れられるような人物像です。

 

彼自身のままならない老いによる皮肉を、愛情のこもったユーモアと理解出来ない娘チェルシー(ジェーン・フォンダ)は、父を避けていました。私でもそうするかと・・・。

 

気ままに夏のひと時を過ごそうとしていたにもかかわらず、数年も顔を見せていないチェルシーが、突然現れます。なんと婚約相手の男性の子供を、この老夫婦に預け欧州旅行へ行くことになりました。

 

ノーマンは娘の身勝手さに、当初、かなりご機嫌ななめでした。しかし純真な子供ビリーの発言や行動に、次第に教育者の本分の如く頑ななこころは、ときほぐされてゆきます。

 

その二人のプロセスを、強く優しいエセルによって演出される光景が、実に自然で心温まる数々のエピソードとして描かれていて、思わず私は、何回も涙をこぼしてしまうのです(笑)教育とは、かくあるべきという感じで、まさに大和言葉『惜しむ』が『教える』に転じるありさまを目撃出来ます。

 

旅行から帰って来たチェルシーは、ビリーがあまりにもノーマンになついている事に驚き、自分もノーマンとの関係を修復したいと努力し始めます。

 

そして、その娘の涙ぐましい努力にノーマンもこころを動かされ、皮肉を封印し、チェルシーをほめるのでした。

 

ついに、親子関係は修復され、お互いの愛を確かめ合い、物語はエンディングを迎えます。

 

これも、エゴを乗り超え、相手を尊重することで奇跡が起こったのですよ。言い換えると、神の愛が降り注がれたと言えるでしょう。

 

原作は、1978年に公開されたミュージカル『On Golden Pond』で、ジェーン・フォンダが、父のために映画化の権利を、著作権のあるアーネスト・トンプソンより取得したものでした。

 

製作のエピソードも、「親子はかくあるべし」といった、そのようなところが、まさに私のお気に入りの映画である理由です。