「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
結局のところ、人類の全員が、この真意を理解し、どのような状況においても、その行動にこの理念を落とし込めるなら「平和な世界」は実現します。
真理というのは、実に単純明快なもの。
私は、小学生の時、歴史の教科書に書かれたこの一文に感動し、授業中にもかかわらず涙さえこぼれたことを、今でも鮮明に覚えています。
とはいえ、予習をしていなかったことがバレますね(笑)
この福沢諭吉の一文は、アメリカの独立宣言における「We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty, and pursuit of Happiness.
/ 我々は自明の真理として、すべての人々は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利、すなわちそれらは生きること、自由であり、および幸福の追求もある中に平等に賦与されているものである」に通じます。
さらに、福沢が『天』と述べているものについては、独立宣言における創造を司る「Natural God / 自然神」が相当するかと。
これらこそが、唯一無二の人類全体の『神』です。
持論ですが、福沢が『神』という語ではなく、『天』を使ったのは、明治政府が天皇陛下を『太陽神の子』と位置づけていたためと想像出来るでしょう。
ゆえに福沢は、八百万の神々を生んだ普遍的存在として、むしろ天という語を選んだのであり、万物の創造は、天のお陰と解釈出来るでしょう。
すなわち『天』は、自然神を示しているということ。
ホーキンズ博士は、神という言葉とその概念は、あらゆる文化にあると指摘しています。
かつて神を認識しなかった文化は、人類の何処にも存在しなかったのですよ。
しかし、エディプスコンプレックスのマルクスは、ヘーゲルのいう唯一無二の絶対者が神そのものであることを理解出来ません。
すなわちマルクス(計測値:160)は、権威を認めることの出来ない歪んだ思考回路から、神を否定する弁証法を展開することになりました。
エンゲルス(計測値200)は、それを受け次の3つのような弁証法を用い、マルクスの理論を正当化することで神の人類への関与を否定したのですよ。
1.生命の起源は、原形質(単細胞)の発見により神とは無関係であることを人類は明らかにした。
2.進化論の発見により、生命の進化は神と無関係であることを人類は明らかにした。
3.エネルギーの活用法の発見により、神と無関係に人類の文明は進化することを明らかにした。
おりしも人類は、ニュートン物理学(計測値:440)のパラダイムにおいて、線形科学の進展と共に産業革命以降、多くの科学的発見や、それに伴う発明により目覚ましい発展を遂げました。
エンゲルスの安っぽい弁証法は、まさに『科学万能』主義により、人類の『全能』という勘違いと共に知的エリート層にとって、 “ぴたっとはまる”ことになります。
しかし博士は「マルクス主義者は、『どうして原形質は誕生したのか?どうしてエネルギーとして利用出来るものは存在しているのか?』について回答せず、『何かでそうなった』とうそぶくのみ」と反論していますね。
無神論教育の広がりは、ある意味、科学万能主義者の思惑通りと言ってもいいでしょう。
ゆえに人類の共通認識として、自然神の存在を認めない限り、争いのなくなることはないでしょう。何故ならエゴは、争うことでのみ生きながらえるのですから!
そういう訳で、世界中のあちこちでエゴの強いリーダーは、次々に争いの種をまき、それを育てて、最終的に戦争を起こさせる訳です。