スピリチュアルの真実が、人々の間で広まるなら、どのようなことになるのでしょう?

 

それは、明らかに平和で、穏やかな社会へと向かってゆくでしょうが、しかしその過程はあくまでも『非線形』であることを忘れてはならないでしょう。

 

小さな自己/エゴ/自我は、意識レベル850まで、あなたの人格として、いつ牙をむき反撃してくるのか分かりません

 

過去の歴史を紐解くと、『コーラン』を最初に口述させた際、ムハンマドは意識レベル700の悟りのレベルに達していましたが、しかし38歳の時、突然、彼は意識レベル130に落ち、生涯侵略戦争に明け暮れます。

 

まさに、人の意識の成長は、『非線形』であることを、ムハンマドの例は示しています。

 

そのような状態に陥った時、思い出せねばならないのは、『プライド』を捨てることです。

 

ムハンマドの領土拡大の野望は、自分の教えに絶対的な自信を持ち、それを誇り、自慢する『プライド』に支えられていたいうこと。

 

自分の存在を『有難く思い』、自分はまだ無智ゆえ『謙虚になり』、神に『感謝する』姿勢があれば、ムハンマドのような過ちを犯すことはなかったはず

 

ところで15日(土)のTBSの報道特集では、鹿児島県警の内部告発者の逮捕というおぞましい事件と、諫早湾の通称『ギロチン』による有明海の生態系破壊の状況について伝えていました。

 

私のみるところ、どちらも戦後の無神論教育の結果として起きた悲しい出来事のように見えます。まさに「これからの日本は、大変なことになる」ですね。

 

公務員は、責任を取りたくない為、意識レベル50の『無関心/無感動(apathy)』になるとホーキンズ博士は、複数の著作で述べていました

 

 

特にキャリア官僚は、難関の試験をパスしてきた経験から自分は『特別な人物』と思いがち

 

すると、『プライド』から、他者を見下す結果に終わります

 

その結果、諫早湾の自然を破壊されてゆくことに『無関心』になり、鹿児島県警では忖度や、経費の流用などに『無感動』でいとも簡単に公平性に欠け不道徳な状況に落ちてしまうのでしょう。

 

一方、『自尊心』は、自分が人間であること、言い換えると神の代理として、この地球上の生きとし生けるあらゆるものとの共栄共存を委ねられている誇りに基づくものです。

 

『プライド』は、エゴの肥大化によって生まれる弱さである一方、『自尊心』は、それを克服し、何事も神に委ねるというスピリチュアルの勇気を持つことによって生まれる強さです。

 

この違いを、明確に理解出来たなら、同時に『満足と幸せの違い』や、『ケチと節約の違い』さえ、明確になるでしょう。

 

大谷翔平のプライバシーを侵害したことにより、日本テレビとフジテレビは、ドジャース球団から出禁処分にされました。以下ジャース球団専属のメディアによるレポートです。

 

『Because it jeopardized his safety, the Dodgers revoked the media credentials for both outlets. By Maren Angus, Dodgers Nation / 彼の安全を脅かしたため、ドジャースは、両メディアを取材のための資格を取り消した。ドジャース・ネイション、マレン・アンガス記者より』

Dodgers Revoke Two Outlets' Media Credentials Amid Shohei Ohtani Privacy Concerns | Dodgers Nation

 

このような行き過ぎた取材も、また関係者が、プライドと自尊心の違いを理解していれば、決して起きるようなことはなかったでしょう

 

プライドと自尊心の違いは、相手を尊重出来るか否かでもあります

 

人類の全員が、スピリチュアルの真実として神の代理であり、ゆえに誰一人尊重しない訳にはゆきませんからね。

 

あなたが、自尊心を、真に理解していたならば、決して他者を見下すことや、他者を自分の欲求のままに操ること、嘘をつくことなど全くあり得ないでしょう。

 

このことからも、真の自尊心を理解しているスピリチュアルの師なら、壺などを「カルマ落とし」などと虚言を用い売りつけることは、決してないと分かるかと。

 

何故ならカルマ(因果応報)は、スピリチュアルの真実として神の責任なのですから!