あなたは、人がスピリチュアルに目覚めるなら、その探求や修行の目的を一言で表せるでしょうか?

 

私は、若い頃から、スピリチュアルに目覚めている人とは、特別な能力を操れる人のことだと思い込んでいました。

 

その能力とは、普通の人とは違うもの。

 

そう、超能力の使い手こそ、スピリチュアルに目覚めている人だと。

 

しかしその認識が間違っていたことを、2009年11月3日に、生まれて初めて邦訳の『パワーか、フォースか』を読んで気づかされたのです。

 

なんだ、私は小さい頃からスピリチュアルに目覚めていたのか!」と。

 

スピリチュアルの人とは、人類の真実に気づき、神のご意志に気づき、そして人類の使命に気づき、それを実践している人のことだった訳です。

 

人類の真実に気づき、神のご意志に気づき、そして人類の使命に気づき、それを実践しているというなら、何のことはない、私自身、幼い頃からスピリチュアルの人であったとホーキンズ博士のお陰で知ることが出来たのですよ。

 

その『パワーか、フォースか』と2010年3月に発刊された『わたし:真実と精神性』の邦訳は、英語原典と比べると残念ながら真実レベルを大きく落としていています。ご存じの方も多くおられるでしょうが、明らかに文脈や論理破綻している箇所が多くあります。

 

そこで、私は15年かけて、11冊すべてを訳すことになりました。

 

その翻訳作業の折り返しの頃、ひとつの単語に注目することになりました。

 

それは『clarification』でした。

 

そうなんです!

 

『浄化と解明』ですよ。

 

200未満のエネルギーを浄化すること。

 

好き嫌いをなくすこと。

 

このふたつのワークをすることで、次第にあなたは、あなた自身のこころの内側に既にあった叡智に気づけるようになります。

 

真理/真実は、証明する必要性のない、ただこころの内側にあり、それであるものです。

 

神の存在を証明出来ません。ただあなたは、こころの内側を浄化することにより、神を主観的に体感することになります。

 

「トマス・アクィナス(計測値570)は、ナポリにおいて『神学大全』(700)第三部の著述に取り組んでいた時期、1273年12月6日、聖ニコラウスの祝祭日に突如としてその執筆を止め、二度と再び自ら筆をとることもなければ、口述筆記させることもなかった。この日の早朝ミサのときに、彼の身に何かが起こったのである。著述を続行するようにという同僚たちの度重なる要請に対して、トマスは次のように言ったと伝えられている。『私にはもうできない。私は或るものを見た。私がこれまでに書いたものはすべて、今となってはただの藁くず同然である』。かくして『神学大全』は未完のまま残されることになった。」(『非神秘主義』上田閑照、2008年、岩波現代文庫、335頁より)

 

 

アクィナスは、神を何らかの形で主観的に体験したのでしょう。

 

その体験の仕方は、人によって様々あります。

 

私の場合は、スローモーション・シーンであったり、エクスタシーであったり、ムドラーであったり、そしてチャクラから放散されるエネルギーであったり、そのような実体験により神の存在を主観的に認識してきました。

 

そして何よりもまず、神は私と共にあるという主観的な実感こそ、私が一番大切にしていることです。その主観的な認識の感覚は幼い頃からすでに、私はありました。

 

付言すると、あなたにとっての本物の幸せも、またこころの内側でのみ育まれるものです。

 

神の愛を信じ、祈りましょう。

 

電子書籍を発刊しました。「愛 その真実とは」

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ホーキンズ博士も推奨

https://www.facebook.com/pages/アコースインミラクルズに挑戦/445418912236157?ref=hl