お分かりでしょうか?芝生の花です。この庭の芝はおよそ40年間、張り替えていません!

 

 

約30年前から、我が家の剪定をお願いしている庭師の親方にも褒められる自慢の芝。

 

 

さて、あなたが、スピリチュアルに全く目覚めていないなら、ホーキンズ博士の論述は、すべて未知の奇異なもので「何がいいたいのか分からない」レベルでしょう。

 

私も、またスピリチュアルの知識に乏しかった時、道元禅師の『正法眼蔵』は、一体「何がいいたいのか分からない」ところだらけでした。

 

ホーキンズ博士の著作を5冊ほど完読、完訳し終えた5年ほど前、もう一度分からなかったところを読み返すと見事に“するっと”理解出来たのですね。

 

驚きました!本当に驚きました。

 

それまで、読んでも分からないため購入を控えていたのですが、今私の手元に全巻あります。

 

最近、何名かの方々に、私のホーキンズ博士の私訳を読んで頂きました。

 

その際に私は、過去に邦訳の『パワーか、フォースか』と『わたし』を読んだものの、文脈や論理破綻している箇所が多くあり、自分で原典を訳さねばならないという思いから11冊全部訳したことも、伝えたのですね。

 

そして、11冊全部読まねば、分からないと思われるいくつかのことについても伝えました。それは、私の私訳を読む際の予備知識として必要な事だったからです。

 

ところが、共通する感想は、「逐語訳で、何を言いたのか分からない」というものでした。

 

興味を持っていただいたので読んでもらったのものの、やはりホーキンズ博士の論述は、スピリチュアルに目覚めていて、しかもある程度の高度な知識がなければ理解出来ないことに、あらためて気づかされました。

 

博士の意識レベルは、900を超えています。身近にそれほどの高い真実レベルの内容の本は、かつてほとんどありませんでしたから、誰も読む機会などなかったでしょう。

 

さらに博士は、『意識レベル700を超えると、個人の見解は皆無で、そのすべてがアートマンの言葉です』と複数の著作で述べています。アートマン(偉大なる自己/真我)とは、ハイヤーセルフで、ホーリースピリットで、すなわちブラフマン、言い換えると神です。

 

私が、その神のお言葉を、かみ砕いて分かりやすくするというのは、それは失礼以外のなにものでもありませんよ。そうではなく原典に忠実な形で訳すことは、神のご意志を正確に伝えために必須のことでしょう。

 

私は、博士の原典を読んでいると、うっとりさせられ、崇高な心持ちになります。しかも、その文体は、ホーキンズ博士の教養を反映していて本当に相当格調高いものです。おそらく英語圏の方々でさえ、完璧に理解するのは容易ではないかと。

 

私自身が訳したものを、それなりにスムースに読めるよう推敲をかさねているものの、やはり、私自身でさえ、すらっと早読みしても、そう簡単に理解出来るものではなりません。

 

何故なら、前後の文に関係性のない挿入文が、突然入っているケースも多く見られます。

 

しかし、その前後関係を理解しようとするのでなく、その章全体のテーマを念頭に、その突然の挿入文を読むなら、まさに「するっと」理解出来るでしょう。

 

言い換えると、それぞれの章のテーマを、直観的にイメージしながら読み進めてゆかねば、理解は難しいと言えます。

 

明らかに、このホーキンズ博士の著作群の真価に気づけるのは、スピリチュアルに目覚めた極少数の方々のみ。

 

しかも真価に気づいても、全貌を明確に把握出来るのは、もっと極々少数の方々と言えるでしょう。

 

私が、生まれて初めて『般若心経』を読んだ時、はっきりって言って何も分かりませんでした。若い頃、私は何冊かの入門書や解説書を読んで、ようやくその全貌を把握することが出来るようになったことを、いま懐かしく思い出しています。

 

あなたは、いかがでしょう?

 

「分からなかったら、何度でも読み返しなさい」と博士はアドバイスをしていますよ。