あなたは、日本とアメリカの風土の違いを、どのように考えていらっしゃいますか?

 

その違いは、権威に対する認識にあると言えるでしょう。

 

日本は、人類でも最も古く、最も長く続くエンペラー、天皇家を権威の象徴として、他の国々とは異なる文化を築き上げてきました。

 

農耕民族の長所である組織的に、我慢強く、まとまりのあるところなどは、しっかり今日にも引き継がれています。

 

一方のアメリカは、国家としての歴史が浅く、何事も組織というよりは、個人の能力を生かすことに力点が置かれています。

 

元々英語は、狩猟採取民のアングロ・サクソンの言葉を起源としていて、権威とは能力のことを示しています。

 

GHQの占領で、最も力点を置かれていたのは、その権威を利用し組織的なまとまりの中身をすり替えることでした。

 

ひと言でいえば、表向きは長所を継承させつつも、土台の権威の本質を空洞化させることに力点を置きました。

 

占領政策は、政官財すべて100%米軍の管理下に置かれることになりました。あらゆる種類の役人の給料を大幅に上げ、マスコミを無罪放免し、しかしその統制管理は、米軍が行っています。

 

その管理は、経済的繁栄をある程度保証しつつも、自主性を認めないことです。

 

それを完遂するために考案された教育の二本柱は、無神論教育と東大を頂点とする、まるで科挙のような左脳優先主義によるモルモット化です。

 

モルモットの代表例として、例えばお役人の使命とは、上意下達であり、「出る釘は打たれ」ます。それは善意ある改革さえもさせないためのものです。

 

山一証券の飛ばし、東京相互銀行の不正融資、雪印乳業の不正、その他大手企業などの検査データの捏造、自民党の裏金問題、ビッグモーターの不正とそれを見過ごす保険会社、スタップ細胞研究の小保方さんを守れなかったことなど、次々に起きる不祥事や「出る釘は打たれる」風土は、戦後教育の賜物です。

 

今からほぼ半世紀前、当時東大の名誉教授だった大叔父宗宮尚之は、私と父に「これからの日本は大変なことになる」と述べていたのですが、それは現実に目の前で繰り広げられています。

 

アメリカは、「出る釘を尊敬します」が、一方の日本はまさに正反対です。その権威に対する認識には、『貞観政要』を千年の時をこえて、世界で初めて完璧に復元した大東文化大学教授の原田種重も危惧を表明していました。

 

 

そのような日本の現状を変える活躍は、ダルビッシュや大谷でしょう。彼等は、大リーグで自分の力を試すというレベルを超えています。

 

ダルビッシュの渡米は、「日本の野球の向上のため」と言います。すなわち「日本人でも出来るんだ」ということをアメリカの人々に示したいためと言っていました。

 

大谷は、「世界一の野球選手になりたい」と言います。その超越的なパフォーマンスを見ることで、野球のみならずスポーツを好きになる子供達を増やしたいという思いを常々表明していますね。彼は、昨日の第一打席でいきなりバントヒットを決めました。

 

今シーズンドジャースにおいて相手チームのブルペンデーに、あまり打線が機能していないことを考慮し、サードの守備位置の深さを見て、とっさに判断したのでしょう。

 

ドジャース番の記者は、このバントヒットについて「エゴがない。勝つためには何でもする」と述べていたのですが、まさにその通りでしょう。

 

彼等は、スポーツを通して、人としても高みに達することになるのだと、明らかに自覚しています。

 

日本という枠を超越した活躍は、日本人の旧来の武士道のように自分の心技体を磨くことで、「人は輝ける」ことを思い出させ、不正で利益を得ようとする風潮を打破するモチベーションになり得るでしょう。

 

因みに3度三冠王を達成した落合博満は、監督時代に「心技体の順ではなく、鍛える順番は、体技心である」と選手達に話ていたそう。

 

 

人の意識は成長し続けます。人類全体の平均年齢はおよそ72歳ですが、およそ人生の1/4もの期間教育があるのは、他の生物には全く見られない現象です。鍛え学ぶことは、人類の使命と言ってもいいでしょう。ゆえにモルモット化による『権威』の歪曲と、無神論教育による『道徳』をないがしろにするのは、本当にもったいないことと分かります。