あなたが、カルマを避けることは不可能です。しかし、それでも奇跡を起こすことは出来ます

 

奇跡は、そのアトラクターフィールドとつながって起きます

 

すなわち、意識マップでおよそ540からのレベルですね。これは個人的なフィールドではなく、集合的フィールであり、個人の能力ではありません。

 

例えば、私は交通事故の際、すべてを神に委ねました。

 

すると、本来『悟り』のレベルである深遠な感覚を伴うスローモーション・シーンを経験することが出来ました。

 

図表のように、様々な障害を取り除くことで、あなたはまさに奇跡を日常的に利用できます。

 

私は、いつも神の助けを必要とするとき、考えることを止めます。

 

その際、常に神様に『人類の最高善に捧げる』言葉が浮かんでくるようにお願いをします。

 

ただし図表のトップに書かれている通り、その時のカルマは避けられないのです。

 

 

そう、私は交通事故を起こしましたが、それを避けることは出来ませんでした。

 

しかし、本来600レベルの悟りを開かない限り経験できないスローモーション・シーンを体験できたのですから、それは一生の宝であり、交通事故に遭わない限り、そのような体験は出来なかったのですから!

 

一番良くないと思うのは、「Desire to control /支配したいという欲望」ですね。ゆえに、私は、この世の出来事をコントロールしようとは思っていません。そう、すべては神のご計画、言い換えると神のご意志にお任せするということ。

 

やるべきことをやって、後は寝て待つのみです。

 

不思議なことに、若い頃から、何か知りたいことや勉強したいことがあり、本屋さんへ行くと、一番最初に目に飛び込んできた本に、その答えや情報や、方法が必ず書かれていたものです。

 

人によっては、それは奇跡のように見えるでしょう。

 

しかしネットで購入すると、その直観力は働きません。それはイミテーションには、オリジナルの波動はないからですね。

 

更に、私にとってホーキンズ博士の著作との出会いも奇跡と呼べるかもしれません。

 

「人とは何か」を求め政治、宗教、哲学、歴史や、理論物理学の本を生涯かけて読んできたからこそ、博士の著作を読んでも理解出来ます。

 

さらに、塾を経営していた時、20年離れていた英語を基礎から学び直していました。

 

それらがなければ、博士の著作を15年で11冊共訳すことなど出来なかったでしょう。

 

私が博士の本と出合ってからも、その時に必要な情報は、たまたまテレビのスイッチを入れ、新聞を開き、あるいはフェイスブックのウォールに突然現れ、奇跡は日常的です。

 

例えば私は、NHKの19時以降のニュースを見ることなど、数年に1度あるかないかです。

 

そんな稀なことを、たまたましていたある日、「1975年ハダールで発見されたアウストラロピテクス類の通称『ルーシー』のゲノム解析が終了し、その結果、人類すべての母であることが判明しました」とアナウンサーが語り、その瞬間、私は背筋が寒くなりました。

 

『ルーシー』のことは、大学を卒業して間もなくの頃のある日買った本にかかれていたのですね。

 

それは、本屋さんの店頭で紹介されていた新刊の1冊『人類の起源』(リチャード・リーキー、講談社、1985年)が突然目に入り、どうしても買わねばならない本とのインスピレーションを受け取り買いました。

 

 

NHKの衝撃的なニュースからしばらくして、『Discovery of the Presence of God』でルーシーのことを訳していると、「人類の最初の祖先は、『ルーシー』である」と書かれていて、私は感動のあまり、しばらく涙が止まりませんでした。

 

このような例は、私にとって枚挙にいとまがありません。その度に、感激の涙を流し、鳥肌を立て、私の人生は、本当に忙しい限りです。はっきり言って、私の人生は『奇跡』に彩られた人生であると断言できるでしょう。