あなたの意識と神の意識はつながっていることを、ご存じでしょうか?

 

私は、幼い頃から、「私の意識の奥底で神が、私をご覧になっているのではないか?」と感じていて、両親に対する「いい子」の心構えとの矛盾に悩んでいました。

 

早産であった私は、当時、有栖川公園の横にあった『愛育病院』で半年ほど生死を彷徨っていたそうです。

 

家族内のいざこざを、もろに受け、幼い頃の私は、いつも何かに怯えていた記憶があります。

 

我が一族は、清和天皇から、戦国時代の土岐、西尾といった大名の末裔で、現在まで『家系図』を示すことの出来る血筋です。

 

しかし、祖母は討幕派の大名家の家老の家柄、母は佐幕派一族の家柄で、明治以降それぞれの一族が隆盛を極めていたため、なにかと衝突していたようです。

 

祖父も、父も、その対立に何も解決する糸口を見つけられず、結果的にいつも母は孤立し、私の幼少期の思い出は、成城にあった母の実家で遊んでいたことばかりです。

 

そのような嫁と姑の確執の激しさを聞かされたのは、母の亡くなる直前のことでした。

 

その話を聞いて幼い頃を振りかえるなら、私は、いつも何かにとても怯えていたことを思い出しました。

 

「いい子」を演じるというのは、そういった背景があり、怯えから両親の顔色を窺っていたのですね。

 

そのような怯えから、私は神をも、恐ろしい存在になり、年と共にどんどんその感覚は膨れあがってゆきます。

 

実のところ私は、怯えを神に投影していたといえるでしょうね。

 

そのため私は、幼い頃から落ち着きがなく、人前では言いたいことを言えず、試験などの本番に極端に弱かったものです。

 

その理由を私は、そのような幼少期の影響だったと知ったのも、またホーキンズ博士の著作を読んでのこと。

 

「この世の出来事は、カルマである」とホーキンズ博士はいいます。

 

私の身に起きたことも、またカルマだったのですね。

 

ホーキンズ博士の前に、もしも「お前を殺す」という人物が現れるなら、「それは、あなたのカルマの問題であり、私には関係のない」ことであるといいます。

 

すなわち、暗殺者は、自らネガティブなカルマを積み上げようとしていることを、博士は指摘しています。

 

暗殺者は、『モーゼの十戒』に反することを、例えばお金のために、あるいは憎しみのために、怒りのために実行しますが、そのネガティブなカルマ手帳に、それは記載されます。

 

しかしお金に夢中で、憎しみが強く、あるいは怒りに任せ、その後どうなるかまで、見通せなくなります。

 

そうなんですよ!

 

意識レベル200未満の場合、左脳しか機能せず、誰もインスピレーションやイントゥイションを利用出来ません。それは、動物の進化の過程で培われた獣性をむき出しにした思考や行動を示すようになります。

 

 

200以上500未満で、個人的な獣性は、左右大脳半球の同期化により収まります。そしてインスピレーションが生まれるものの、まだ相手を救えるほどのパワーはありません。

 

500以上になると、ようやく争うのではなく交渉により何とか解決をとなるものの、個人的な利益を排除するのは540の『無条件の愛』のレベルに達する必要があると言います。

 

更に最高の解決策を提示するために必要なのは、570レベルで、そこに達するなら、様々な駆け引きにさえ興味はなくなるため、損得抜きに解決出来るとホーキンズ博士は言います。

 

理想の政治家は、なんと聖者のレベルということ。

 

それは、実際、なかなか現実的に容易な事ではありませんね・・・。