善悪の逆転を生むのは、意識レベルのみならず、二元的に知覚された認識による理由も、おろそかに出来ません。

 

神との分離、被害者と加害者の分離、あなたと私の分離、もちろん、善悪、白黒、正邪も、また二元性による認識から生まれています。

 

『わたし:真実と主観性』に、それらの二元的な見方は、善い悪いという観点ではなく、愛があるのかないのか、およびその段階的変化に過ぎないと書かれています。

 

すなわち、摂氏40度は、とても暑く、摂氏マイナス10度は、とても寒いのと同様に意識レベル400と200の臨界点を下回ったプライドの175は、愛の濃淡であるとホーキンズ博士は言います。

 

小さな自己(自我/エゴ)は、物質的身体と自分を同一視し、身体の死と共に、自分もなくなるという恐怖心を抱いています。意識レベル200未満に埋没し、しかも意識の不滅に関する叡智が無い場合、その身体の生き残りのために『手に入れること』に執着するでしょう。

 

財産や、居住地、教育、職業などの上辺の肩書でエゴは肥大化し全能と勘違いし、するとその人は、「人としての自分の使命」を忘れがちです。

 

例えば、私はこれまで、財産や、居住地、教育、職業などは超一流でも、内実は贅沢に溺れ、お金だけだが唯一大切で、他のものを犠牲にしても、自分だけ贅沢出来れば、何でもいいという人を何人も見てきましたが、彼や彼女等の内面は、「恥」や「罪の意識」や、「無関心」や、「無感動」や、「恐怖」で彩られていました。

 

 

人の使命は、「生きと生けるあらゆるものとの共栄共存」であるにも関わらず、それを忘れ、欲望のままに生きてしまうといった、そのような事例を私は多く見てきました。

 

そのような生き方では、天国へは行けないと、幼い頃から直観してた私は、彼等や彼女等のみじめな最後に、「そうなるよね」と思わざるを得ないのです。

 

一時的に600を超え、また500台のエクスタシーを経験したことのある私としては、物質世界に固執する人々を、ただ同情の眼差しで見るしかないのは、実に悲しくて切ないものです。しかし、意識レベルによって、真実が異なる以上、本人が気づかない限り、なすすべはありません。

 

更に深刻な問題があります。

 

エディプス・コンプレックスのカール・マルクスの哲学が、いまやポスト・モダン主義の流行により、学術の世界を席巻しているという事態です。これは、フランクフルト学派のヘルベルト・マルクーゼに端を発するとホーキンズ博士はいいます。すなわち、加害者/被害者モデルです。

 

財産を独占したい意識レベル200未満の人々は、財産を分かち合いたい500以上の人々を『加害者』とみて、自分達を『被害者』とみます。

 

200未満の『被害者』は、500以上の『加害者』に憎しみを持ち、するといつの間にか加害者/被害者のモデルは逆転するとうもの。世界情勢でいうなら、その代表例が、9.11によって生じたイラク戦争であり、いまガザ地区で起きている事態です。

 

NHKの2024年5月14日16時34分配信の『【解説】ガザ戦闘とイラク戦争の3つの共通点 得られる教訓とは』に、次のように解説されています。

 

『非常なテロに対する怒りが高まる中、アメリカの当時のブッシュ大統領は、国際テロ組織アルカイダへの報復だとして、アフガニスタンへの武力行使に続いて、2003年にイラク戦争を推敲します。(中略)フセイン打倒後のイラクの統治について具体的な計画を持っていなかったのです。イラクには「権力の空白」が生じ、その混乱に乗じてイラクに入り込んだ過激派によるテロが相次いで、治安は極度に悪化します。アメリカ軍は、その対応に追われるようになり、泥沼にはまったように、結局、2011年末まで8年以上も駐留を余儀なくされました。』

 

3つの共通点として、『1.それぞれの背景に「攻撃」。2.軍事力の限界。3.「出口戦略」の不在』でした。

 

テロや戦争は、加害者と被害者を逆転させてしまうということですね。怒りや、憎しみによる行動は、そのマルクス主義の加害者/被害者モデルを取り入れることとなり、しかもこのモデルは、人類の知的エリート層に蔓延しているという由々しき事態にあります。

 

解決策は、話し合いの中で『自然神』と『自然法:例えばモーゼの十戒』に頼る以外にないかと。

 

あなたは、この加害者/被害者のモデルは、日常生活の中にも、浸透していることに気づくでしょう。そう、反対運動は、その典型です。反対運動ではなく、『自然神』と『自然法』を説くことの重要性に気づきましょう。