あなたは、4月病とも5月病ともいわれていますが、そのような状態に陥ったご経験は?

 

私は、シュルツのピーナッツの4コマ漫画、小さい頃から好きでした。

 

日曜の夕方になると「明日は月曜だ」とため息と共に、チャーリー・ブラウンは暗い表情に・・・。

 

私は、学生時代やサラリーマン時代に、ほぼそのような落ち込みを経験したことはありませんでした。

 

特にサラリーマン時代に、「山本さんは、どうして月曜の朝、そんな元気なの?」と同僚から、よく言われたものです。

 

言うなれば私は、、目いっぱい音楽(バッハなど)を聴いたり、鉄道模型(Märklin社のHOゲージ)で遊んだりで、完全に気持ちを切り替えることができていたのかと。

 

それと同時に、決して私自身、仕事の進め方は本意ではなく、投薬を欠かせない状態であったものの、仕事自体、ひとつひとつ問題をクリアしてゆくことに対し、やりがいがありました。

 

例えば、数字が上がり、あるいは示談成立の過程、それは例え死亡事故であっても遺族とのやり取りは楽しく、全く苦にはならなかったからでしょう。

 

いま、それを私が振り返ると、心身がボロボロであったことは事実ですが、そのようになった理由は顧客のためではなく、会社のために仕事をすることで、自然に恥や罪の意識を蓄積していったからだと回想出来ます。

 

どうして私は、そのようなメンタルを持てたのでしょう。

 

それは、一言でいえば、私の人生は「ノーブレス・オブリージュ」を常に念頭に置いていたからですよ。

 

私が小学生の時、NHKの大河ドラマ「天と地と」を見ていた時、母から、「あなたは源氏の血を受け継いでいる」と言われました。

驚きました。

 

それは、武士の時代なら、政権を開き、その重責を担える家柄であり、まさに身の引き締まる思いでしたね。

 

領主や領民のために生きることが、武士の生き方であり、しかも領主であれば、天下国家のために命を捧げるのは当然のことと、私には思われました。

 

しかし、どうすれば、そのような生き方が出来るのか?

 

中学生の時に、『論語』を読んだものの、未熟な私は「とても自分には無理だ」と当時は思ったものです。

 

どうして私は、そのように思ったのでしょう?

 

いまそのような私の心境を振り返るなら、振り返るなら、日本の学校教育は、マテリアル(物質世界)のことのみで、スピリチュアル(精神世界)のことを教わらず、土台のない家に住むことを勧めているようなものです。

 

意識の永遠性、因果応報、輪廻転生を確信していた私ですが、「いい子」を優先する生き方は、『論語』とは反対の生き方を求められた訳です。

 

「いい子」は、まさに自己中心的な考えであり、明らかに「ノーブレス・オブリージュ」と矛盾します。

 

そのような矛盾に満ちた人の愚かは、どうして生まれるのか?

 

私が、生涯にわたり、「人とは何か」を知りたいとの猛烈な欲求は、そのような人の矛盾が起点にあったのかもしれません。

 

歴史、政治学、哲学、宗教、理論物理学などの本を読むことが、私のライフワークのひとつとなり、「ノーブレス・オブリージュ」で生きるために、土台のある家に住みたかったから。

 

「ノーブレス・オブリージュ」の答えとして、スピリチュアルに関しての私の発信は、2005年の春のこと。

 

それゆえ、私の「ノーブレス・オブリージュ」での生き方こそ、落ち込んでも、災難にあっても、4月病や、5月病のように落ち込むことはありませんでした。