意識があるため生命があるという理解は、どちらかというと生命があるため意識はあるという理解より正確です。

 

何故なら、生物学上の生命は限界があり死に絶えて土に戻ります。

 

しかし意識は、生物学上の生命とは無関係に永遠に存在するものですから。そうでなければ輪廻転生はなく、天国や地獄なども不要です。意識が生物学上の生命と共に失われるなら、輪廻転生も天国や地獄も、単なる空想の産物。

 

意識の永遠性は、バクテリアのような生命の最小単位の原形質も同じです。

 

付言するとマテリアル(物質世界)は、完全なる幻影であって、意識レベル600未満では、そのことに気づけません。そのように600未満の限界のある知覚された認識によって、人は、他のものとの分離しているように思えます。

 

すなわちそれは、あなたと神との分離も、当然のことのように受け入れられてしまいます。

 

しかしながら、真実は、一昨日ご紹介した通り、神(ひかり)と身体(原形質)とあなたの意識は、三位一体であり分離は誤解であり全く知覚の錯覚です。

 

さらに、カルマ的に三位一体になった時、進化と創造は起きます。逆説的に、三位一体にならない限り、あなたの意識の成長さえ起き得ないことを忘れませんように。

 

そのことを考慮に入れると、創世記やウパニシャッドで説かれている通り、人類は神の代理として創造されたことは疑う余地などないかと。

 

ゆえにその使命は「生きとし生けるあらゆるものとの共栄共存」であると断言出来るでしょう。

 

そうであれば、人間関係も、どのようにあるべきか自ずと理解出来るはずで、『モーゼの十戒』は、守って当然といった気持ちになれるでしょう。

 

そのように誰もが認識出来るなら、過労自殺に追い込むような職場の雰囲気も変わるはずですよ。

 

痛ましいニュースを目にしました。

 

それは、日立造船の27歳の若者が赴任先のタイで、自殺を伝えるものです。

 

『3月に労災と認定されていたことが判明した。初めての海外勤務だったのに専門外の業務を命じられ、上司にミスを度々叱責されたという。社員がこれらの複合的な要因で精神新患を発症し、自殺されたと判断された。(中略)印型異なウイルスの感染が広がっており、通常行われる実地研修も受けられず渡航した。タイでもコロナ禍で休日はホテルに籠りがちになるほど孤独な状況に置かれた。タイ語を一切話せないうえ現地では英語に堪能な人が少なく、コミュニケーションで苦労する様子が見られたという。(中略)それまで全く経験がなく、知識もないためミスが多くなり、他の従業員の面前で上司から毎日のように叱責されたという。(中略)当時の日記には「仕事がぜんぜんできなくて毎回おこられてばかりでとてもつらい」とつづっていた。3月中旬~4月中旬の残業時間は100時間を超えていた。』(毎日新聞3月25日5時配信) 

 

日立造船では、電通の高橋まつりさんの死の教訓を、社内で何も生かされていなかったのですね。

 

このような悲劇がなくならないのは、日本の社会が依然としてスピリチュアルの真実に目を向けようとしていない証拠かと。

 

「人はどこから来て、何のために生き、そして何処へゆくのか?」を正確に理解し、人生に生かしていないため、この幻影の世界での責任のあり方を不明確にしています。

 

毎日、皆の前で叱責するという行為は、単にその上司のネガティブなエネルギーの放散の道具にされていたとういうこと。

 

200未満の手放し方を、フェイスブックページ『パワーか、フォースか』において、ここ10年間、幾度となくお伝えしてきました。

 

もし、その上司の怒りが『焦り』から来ていたとしましょう。

 

静かに座り、「~~への焦り」を感じきり、そのエネルギーが枯渇したなら「~~への焦り」と書かれた看板をこころのなかでイメージし、その看板を手放し、見えなくなるまで見送りましょう。それで、出来の悪い部下を激しく叱責するのではなく、しっかり論理的に指導できるようになるかと。

 

これからも、折に触れ様々なスピリチュアル・ワークをお伝えしてゆくつもりです。

 

どうか、ホーキンズ博士の論述が、多くの方の目に触れ、真実を知っていただくことを祈るばかりです。

 

TF405-4(認識されたものを誤って同定してしまうという、生得的欠点)

When mankind, in frustration or disillusionment, moved from faith in the unseen to faith in the linear world of science, new hope arose, reinforced by the very tangible and visible benefits of trust and faith in the linear, external world of ego perception. But then, the very same process resulted in giving priority and power to the content of consciousness rather than to the unseen power of consciousness itself, by which content could be realized and recognized. The power was in the Light and not in the details of what was illuminated. The linear is also limitation and thus prone to error by virtue of the intrinsic defect of misidentifying perception as reality.

人類が、欲求不満や幻滅の中にあって、目に見えないものに対する信心や信仰から科学の線形世界に対する信頼へと移った時、新しい希望は生まれました。すると線形の世界に対する信頼性から、科学は非常に具体的で目に見える恩恵と、エゴ/自我の知覚と認識による線形で、こころの外側の世界に対する信心や信仰によって強められました。しかしその時に、全く同じ過程は、意識そのものの目に見えないパワーに対してよりも、むしろ意識のコンテントに対して優先順位とパワーを与える結果に終わりました。何故ならばコンテントは実現化され、認識され得たことによります。同時に線形の知覚には限界があり、またそれゆえに真実性のように、認識されたものを誤って同定してしまうという生得的欠点のために過ちを犯す傾向にあります。

 

TF406-1(非線形のフィールドは、ただ“知っている/分かっている”のみ)

To transcend the linear to the nonlinear is the way of the mystic – the pathway of nonduality – to realize the linear light of consciousness itself, the True Immortal Self. Everyone trusts the inner sense of reality or capacity to “know” that underlies all experiencing and witnessing, no matter what the content. The content of mind thinks, but only the nonlinear field “knows”, or how else would it be possible to know what is being thought?

線形を超えて非線形に至るためには、『真の不死の偉大なる自己/真我/アートマン』である意識の線形の“ひかり”そのものを実感するという-非二元性の道-神秘家の道があります。誰もが、こころの内側の真実性の感覚や、例えコンテントが何であろうとも、経験をすることと目撃をすることのすべての基盤であるところの、“知る/分かる”能力を信頼します。マインドのコンテントは、考え、あるいは思いますが、しかし非線形のフィールドは、ただ“知っている/分かっている”のみであり、さもなければ、他の誰が何かを考えていることを、知ることが出来るのでしょうか?

 

「Truth vs. Falsehood: How to Tell the Difference

/ 真実か嘘か:違いを見分ける方法

David R. Hawkins, M.D., Ph.D. / デビッド・R・ホーキンズ医学、哲学博士

2005, Axial Publishing Company, Toronto, Canada,

Section IV Higher Consciousness and Truth / セクション4高位の意識と真実

Chapter 18 Summary and Resolution /第十八章 要約と解決策」より