現在、私は、幾つかの訳語についてこれまですっきりしていなかった箇所の見直しも、ようやくほぼ完結し、それぞれの本の最終的な推敲をはじめたところです。

 

我が家では、数日前に鶯が鳴き始めました。昨年は確か1月下旬だったため、1月半も遅かった・・・。

 

梅は、昨年よりもはるかにはやく12月下旬に咲き始めたものの、すべて開花したのは3月の上旬で、実に2月半も咲き続けていました。今日の熱海は観測史上の最低気温の記録を塗り替えるとのこと。

 

今年は、漸進的に春を迎えるのではなく、何か大陸型の寒暖差の激しい気候で・・・。

 

さて、イエズス会が、日本のキリシタン大名と奴隷の売買をしていたという事実を、あなたはご存じでしょうか?

例えば、肥前の国主大友純忠は、領民達に改宗を迫ります。

 

拒否した僧侶や神官達を殺し、神社仏閣を取り壊し、その廃材を、なんとポルトガルに売りました。また改宗しない領民達を、奴隷としてイエズス会に売り渡していました。

 

大友は、その売り上げで、ポルトガルから最新の武器を購入していたのですよ。

 

また豊後の国の国主大友宗麟は、日向の国をキリスト教の理想郷とすべく神社仏閣のすべてを焼きつくしました。

 

島原南部を支配していた大友純忠の甥の有馬晴信は、領内の少年少女をイエズス会へ奴隷として献上したとのこと。

 

総勢5万人とも推計される日本人奴隷がイエズス会による合法的な契約書と共に、ポルトガルの商人達によって世界中に売り飛ばされました。

 

そのあまりのひどさをみかね一旦は、1571年にポルトガル王によって日本人奴隷の売買を禁じられたものの、その後も水面下で売買は続いていたことは、南米各国の公文書で確認出来ます。

 

徳川政権の樹立後も、ポルトガルとスペインとの交易で大いに潤っていた長崎などの利益を優先するため、そのまま奴隷の売買について様子見の状態でした。

 

しかしイエズス会は、日本中にキリスト教を布教した後、イエズス会が日本を支配し、それを足場に明さえも征服しようという目論見を立てていたことが発覚します。

 

「キリスト教は侵略的植民地政策の先兵であり、人倫の常道を逸し、日本の法秩序を守ろうとしない」ことを理由にキリスト教の禁教令が1612年に徳川秀忠の名で発布されることになりました。

 

これを機に、ようやく半世紀ちかく続いた日本人奴隷の売買は終焉を迎えます。

 

その後、1873年までわが国では、キリスト教禁止令は実践され続けました。

 

キリスト教の教えそのものが悪い訳ではないものの、如何に宣教師やキリスト教国家の支配者達は、その権威を悪用し人類を支配しようとしてきたか、この奴隷売買や植民地支配の歴史からも、お分かりいただけるでしょう。

 

アフリカの混乱は、植民地支配の際に恣意的にひかれた国境線によって起きています。

 

とはいえ、世界史を紐解くと、ゴート族やフン族のような皆殺しから、ヴァイキングによる奴隷制度の登場により、人類の意識は少し上昇したと言えるとホーキンズ博士はいいます。

 

更に、19世紀にはいると、まず1807年イギリス議会は、世界で初めて奴隷制の廃止を議決しました。

 

その流れは、次第に欧州全域に広がり、最後はポルトガルさえ1863年に奴隷売買と奴隷制の禁止を決定します。

 

アメリカにおいても、奴隷制を巡り南北戦争(Civil War)が勃発しましたね。アメリカは世界で最後まで奴隷の存在を法で認めていた国家でした。

 

何故なら、ようやくケネディの肝いりで動き始めた公民権法(Civil Right Act)が1964年に成立したことによって黒人蔑視を法的に禁じたのですから・・・。

 

アメリカの独立宣言に謳われた『造物主は人類を平等に創造し』の宣言から2世紀も後に、公民権法は制定されたということ。

 

そして、1994年南アフリカの人種隔離、分離政策のアパルトヘイトが失効したことによって、人類は、ようやく法的な差別に終止符が打たれました。

 

人類は、聖書の創世記にある「産めよ、増やせよ」に含意されている生きとし生けるあらゆるものとの共栄共存を、いまや法的にも実現できる状況にたどり着いたといえるでしょう。

 

TF401-4(神聖な本は、争い、戦争と大量虐殺の理由として、まさに正当化されるものに)

The faith of the followers became exploited, and aggrandizement fed the ego instead of the worship of God. Religion was corrupted by the ego inflation of zealous religiosity, which led to millennia of ceaseless wars that continue unabated to this very day. By virtue of these distortions, the holy books of the Sons of Abraham became the very justification for conflict, war, and genocide.

信者達の信仰と信心は利用され、しかも権限の強化は神の礼拝ではなく、エゴ/自我を満足させました。宗教は熱心な信仰心に対しエゴの肥大化によって腐敗しました。すなわちそれは、現代まで変わらず続く絶え間ない戦争から成る千年期へと導きました。これらの歪曲によって、アブラハムの息子達の神聖な神から提供された叡智の編は、争い、戦争と大量虐殺の理由として、まさに正当化されるものになりました。

 

TF402-1(教義は、真実による解放よりもむしろ、精神と感情の抑圧と恐怖の道具になり)

Despite the abuse and misappropriation of organized religion by usurpers within each faith, the essential truths were preserved and still available beneath their obfuscation and upstaging by pomp and ceremony. Thus, doctrine became the tool of oppression and fear rather than liberation by truth. Freedom was neither a value nor a practical alternative where the consequences for alleged heresy were gave indeed. Orthodoxy was therefore the only safe mode of life, and its perimeters were enforced by the fear of excommunication and the ominous consequences of sin readily enforced by the terrorization of the Inquisition and its persecution of mystics.

各々の信仰、信心の内側での強奪者達による組織化された宗教の、そのばかばかしさと悪用にもかかわらず、重要な真実/真理は失われずに、華麗さと儀礼によって悪の混乱と影を薄くされる状況にあってもまだ利用出来ました。そういう訳で教義は、真実による解放よりも、むしろ精神と感情の抑圧と恐怖の道具になりました。自由や解放は、無価値で実用的な選択肢のいずれもありませんでした。何故ならば自由や解放は、異教を疑われるという当然の帰結のためでした。ゆえに教会権威を守るための因習的慣習は、人生における唯一の安全手段であり、そのためその周辺部は破門の恐怖、宗教裁判所の弾圧、およびその神秘主義者の迫害によって即座に実施される処分といった不吉な結果を強いられました。

 

「Truth vs. Falsehood: How to Tell the Difference

/ 真実か嘘か:違いを見分ける方法

David R. Hawkins, M.D., Ph.D. / デビッド・R・ホーキンズ医学、哲学博士

2005, Axial Publishing Company, Toronto, Canada,

Section IV Higher Consciousness and Truth / セクション4高位の意識と真実

Chapter 18 Summary and Resolution /第十八章 要約と解決策」より