~原始仏典 スッタニパータ 第3章 第10節 コーカーリャ より ~
664 ”口(言葉)汚く” ”不実” で ”卑しい者” よ。
”生き物を殺し” ”邪悪” で ”悪行” を なす者よ。
”下劣” を 極め ”不吉” な ”出来そこない” よ。
この世で あまり おしゃべりするな。
お前は ”地獄” に 堕ちる者だぞ。
665 お前は ”塵(ちり・わざわい)” を 撒(ま)いて ”不利(不幸)” を 招き・・・
”罪” を 作りながら ”諸々の善人(聖者)” たちを ”非難” して・・・
また ”多くの悪事” を 働いて・・・
長い間 ”深い坑(あな・地獄)” に 陥る。
666 けだし(確かに) 何者の ”業(ごう)” も 滅びることはない。
それは 必ず ”戻ってきて”・・・
”業” を ”作った主” が それを 受けることになる。
”愚者” は ”罪” を 犯して・・・
”来世” にあっては その身に ”苦しみ” を 受けるのである。
こんにちは
私たちは この人生で さまざまな ”行為” を します。
しかし それは ”現世” だけで 終わるのではなく・・・
私たちの ”死後の来世” まで ”大きな影響” を 及ぼすものです。
それゆえに 私たちは 自分自身の ”行為” に ついて・・・
きわめて ”慎重” に なるべきのようです。
世界の ”主要な宗教” というのは・・・
そのほとんどが ”共通する教義” で 成立しています。
つまり ”死後の来世” を いかに ”良い世界” に するか?・・・
それは ”現在の生活” よりも ”重視すべき問題” として 扱われます。
その理由は このたび ご紹介している 第10節の 内容のように・・・
”死後の来世” における ”地獄世界” というのが・・・
現在の ”人生の期間(~100年ほど)” とは まったく 比較にならない・・・
”数億年” あるいは ”数兆年” という ”途方もない期間” において・・・
”激しい苦しみ” を ”繰り返す” ことが 待っているからです。
だから ”本物の宗教家” というのは ”厳しい修行生活” であっても・・・
むしろ みずから ”喜んで” 厳しい修行生活を ”実践” しているのです。
このたび ご紹介している 原始仏典の内容も・・・
ブッダによる 非常に ”厳しい言葉” が 続いています。
それは 弟子たちに その教えを 説いている というよりも・・・
”罪深い人間” を ”非情” にも ”突き放す” ような 言葉です。
しかし それは ブッダが ある意味 ”非情” にも ならざるを 得ないような・・・
”死後の地獄世界” に 陥ることの ”重大性” が 伝わってきます。
では No,664~665の内容を 見てゆきますと・・・
”口(言葉)汚く” ”不実” で ”卑しい者”・・・
”生き物を殺し” ”邪悪” で ”悪行” を なす者・・・
”下劣” を 極め ”不吉” な ”出来そこない” よ・・・
”塵(ちり・わざわい・苦しみ)” を 撒(ま)いて ”不利(不幸)” を 招き・・・
”罪” を 作りながら ”諸々の善人(聖者)” たちを ”非難” して・・・
また ”多くの悪事” を 働いて・・・ というのは・・・
ブッダが これまで 説いてきた・・・
”真理の教え” に ”反する生き方” が 羅列されています。
これが 意味していることは・・・
いわゆる ”逆説(ぎゃくせつ)的” に・・・
”真理の教え” に 従いなさい! という意味 が 込められているのです。
つまり ブッダは・・・
”言葉を正しく” ”誠実に生きる” ”尊く生きる”・・・
”何も殺さず” ”善良に” ”善行をなす”・・・
”高尚(こうしょう)に” ”吉兆(きっちょう)に” ”完成された人間” として・・・
さらには ”周囲を苦しめず” ”不幸を広げず” ”罪を作らず”・・・
”聖者” を ”非難せず” あらゆる ”悪事をしない” で・・・
あなたたちは ずっと 生きてゆきなさい! と 説いているのです。
そうでなければ・・・
”この世で あまり おしゃべりするな!” (これ以上 周囲に 迷惑をかけるな!)
”お前は ”地獄” に 堕ちる者だぞ!” (地獄に 落ちることを 自覚せよ!)
”長い間 深い坑(あな・地獄) に 陥るぞ!”・・・と 弟子たちを 厳しく 戒めています。
これは 現代に 生きている 私たちも・・・
厳しい ”警告の言葉” として 受け取るべきであると 考えられます。
そして No,666 の 内容とは・・・
何者の ”業(ごう)” も 滅びることはない。 それは 必ず ”戻ってきて”・・・
”業” を ”作った主” が それを 受けることになる。
”愚者(愚かな人間)” は ”罪” を 犯して・・・
”来世” にあっては その身に ”苦しみ” を 受けるのである。・・・
ここで登場する ”業(ごう)” という言葉は 辞書を引くと・・・
人間としての ”身(からだ)・口(くち)・意(精神・こころ)” が 行う・・・
”善悪の行為” 特に ”悪業(あくぎょう・悪い行為)” のこと・・・
また ”前世(ぜんせ)” からの ”悪行の報い(むくい)”・・・などと あります。
つまり ブッダは・・・
私たちの 人生における さまざまな ”業(悪い行為)” というのは・・・
ずっと ”滅びない・消えることがない” のであり・・・
さらに その ”悪い行為” は ”時空(前世・現世・来世)” も 超えて・・・
やがては 自分自身に ”戻ってくる” と 説いています。
つまり ”悪い行為” によって ”誰かを 苦しめる” ことになれば・・・
いつか それと ”同じ分” だけ ”自分が 苦しめられる” ことになるのです。
そして この人生で 犯すことになった さまざまな ”罪” も・・・
それは ”死後の来世” へも ”悪影響を及ぼす” と 説いています。
この内容は 原始仏教だけに とどまっておらず・・・
世界の ”主要な宗教” においても ”同様の内容” が 示されています。
それゆえに 私たちは この人生において・・・
限りなく ”悪業(あくぎょう)” を ”行わずに” ・・・
”ブッダの教え” や 他の宗教における ”貴重な教義” に 従って・・・
”より善い生き方” を ”実践する” ことが きわめて 重要です。
その意味は 自分自身を ”数億年” あるいは ”数兆年” という 時間の中で・・・
”激しい苦しみ” が 続く ”地獄世界” に ”落とさない” ことを 目的にするのです。
そのために 私たちが 第一に ”重視” すべきなのは・・・
日常生活における ”言葉づかい” なのです。
それが 私たちを この人生で ”幸福” に 導くことになり・・・
さらには ”死後の来世” も ”本当の幸福” に 導くことになります。
私たちは この ”宇宙の真理” を ”重視” したいですね。
来月も この続きの内容を 考えて参ります。
(※) ”ブッダの教え” による ”言葉づかい” についての 内容である・・・
”ブッダの教え みごとな言葉 とは?” の 記事は こちらから お読み下さい