~原始仏典 スッタニパータ 第3章 第9節 ヴァーセッタ より~(内容要約)

 

 (巻末の注釈の内容などを 付け加えて ご紹介します)

 

 

621 すべての ”束縛” を 断ち切り 

 

    怖れることなく ”執着” を 超越して

    

    とらわれることの ない人

    

    ~かれを 私は ”バラモン” と 呼ぶ~ (以下この部分省略)

 

 

 

622 (人間に 縛りつける) 紐(ひも・怒りの意味)と 

 

    革帯(愛執の意味)と 綱(誤った見解)とを 

 

    手綱(潜んでいる煩悩) ともども 断ち切り

   

    (真理への)門を 閉ざす 閂(かんぬき・障礙) を 滅して 

 

    ”目覚めた人(真理を悟った人・ブッダ)” 

 

 

 

623 罪がないのに 罵られて 殴られても 

 

    拘禁されることも 耐え忍び

 

    ”忍耐の力” があり こころの 猛き人 

    

 

 

 

624 ”怒る” ことなく ”慎み(つつしみ・小欲知足の意味)” が あり 

 

    ”戒律” を 奉じて(大事にして)・・・(※)

 

    ”欲” を 増すことなく 身を整えて 

 

    ”最後の身体” に 達した人

 

 

 

 

625 蓮の葉の上の 露(つゆ)のように 

 

    錐(きり)の先端の 芥子粒のように

 

   (粘着したり とどまることがない という意味で 執着しないこと) 

 

    諸々の ”欲情” に 汚されない人

 

 

 

626 すでに この世において 

 

    ”自分の苦しみ” が 滅びたことを 知っており

 

    ”重荷” を 降ろしており ”とらわれ” の ない人

 

 

 

 

627 明らかな ”智慧(ちえ)” が 深くて ”聡明” で 

 

    ”種々の道” に ”通達(熟知)” しており

 

    ”最高の目的” を 達している人

    

 

 

 

628 在家者 出家者の いずれとも 交わらずに

 

    ”住処(すみか)” が なくて ”遍歴(へんれき)” しており 

 

    ”欲(欲望)” の 少ない人

 

 

 

 

629 強く あるいは 弱い 生き物に対して ”暴力” を 加えることなく

 

    (なにものも) ”殺さず” また ”殺させる” ことの ない人

 

    ~かれを 私は ”バラモン” と 呼ぶ~

 

 

 

 

こんにちは わんわん

 

 

 

今回の記事は 前回の記事の内容の 続きですが・・・

 

”バラモン” とは 人間における ”最高の地位” を 意味しています。

 

つまり これこそが ブッダが 説いている ”人生の目標” なのであり・・・

 

私たちは この内容を この人生で 実現することが 必要なのです。星

 

 

 

 

つまり ここで登場する さまざまな 詩経の内容は・・・

 

私たちが 目指すべき ”理想の状態” なのであり・・・

 

ブッダは それを 具体的に 説いているわけです。

 

私たちは それぞれを ひとつづつ ”実現されているか?” ということを・・・

 

自分自身で ”自問自答する” ことが 重要です。得意げ

 

 

 

 

ここで 仏教の開祖であった ブッダが 何を 目指していたのか? 

 

それは 私たちが ”生物” としての ”人間” であることが・・・

 

私たちにとっての ”苦しみ” の ”根本的な原因” であり・・・

 

それゆえに 私たちは ”人間” から ”卒業する” ことが 必要なのです。

 

そして そのために ”必要なこと” が この部分に 示されているわけです。目

 

 

 

 

621の詩経から 考えますと・・・

 

すべての ”束縛” を 断ち切り  ”執着” を 超越して・・・

    

何事にも とらわれない・・・

 

(人間に 縛りつける) 紐(ひも)と 革帯と 綱とを 手綱を 断ち切り・・・というのは・・・

 

 

 

 

私たちが 自分自身で ”人間としての束縛” や ”人間への執着” を 認めていれば・・・

 

今後も  さらには ”死後の来世” においても・・・

 

”人間に生まれ変わる” ことが 起こってしまうのです。

 

だから まず 自分自身で・・・

 

”人間からの脱出” を "決意する” ことが 必要なのです。目

 

 

 

 

では 次に 私たちが・・・

 

”人間からの脱出” を するためには どうすれば いいのか?

 

それを 623以降の 詩経の内容が 示しています。ひらめき電球

 

 

 

罪がないのに 罵(ののし)られて 殴られても・・・

 

さらには (留置場などに) 拘禁されることも 耐え忍ぶような・・・

 

”忍耐の力” があり こころの 猛き人・・・。

 

 

 

たとえば 私たちが 他人から このような ”ひどい仕打ち” を 受けたとして・・・

 

果たして ”平然” として いられるでしょうか? 

 

しかし ブッダは 私たちが もし ”人間からの脱出” を 実現したければ・・・

 

このことを 実現しなければならない と 説いているわけです。

 

そのためには 私たちは どうすれば よいのか?

 

そこが ”修行者” としての ”智慧(ちえ)” の 見せどころなのです。星

 

 

 

 

そして ブッダは そのための ”良いヒント” を 示しています。

 

それは 私たちの ”苦しみの原因” を 示しているのであり・・・

 

それが 私たちの さまざまなな ”欲望” なのです。ラブラブ

 

 

 

 

つまり 自分自身の ”欲望” を ”最小限” に できれば・・・

 

私たちの ”苦しみ” も ”最小限” に できるのです。

 

それゆえに 罪がないのに 罵(ののし)られて 殴られる・・・

 

さらには (留置場などに) 拘禁される などという 出来事も・・・

 

自分自身に ”起こらなくなる” ということを 意味するのです。星

 

 

 

 

では 私たちが ”欲望” を ”最小限” に できると どうなるのか?

 

それが 624の 詩経にあるように・・・

 

私たちにとって ”怒る” という 現象が なくなり・・・

 

”慎み(つつしみ)” 深い 人間性が 実現されてきます。 ドキドキ

 

 

 

 

そして ここに 書かれている 内容というのは・・・

 

実質的に ブッダが 具体的に 説いていた ”戒律” なのであり・・・(※)

 

巻末の注釈では ”戒律” とは・・・

 

① ”身” と ”語(言葉)” に ”悪” を なさない

 

② ”感官” を 制して 整える

 

③ ”生活” を 正しくする

 

④ ”生活必需品” を 節制する・・・ という 基本的な内容が 示されています。

 

そして 私たちが この ”戒律” を ”奉じて(大事にして)” ゆくと・・・

 

やがては ”最後の身体” に 達することができる と 示されているわけです。星

 

 

 

 

つまり ”最後の身体” とは・・・

 

私たちにとっての ”最後の人生” を 意味するのであり・・・

 

私たちが 今後 未来永劫 ”人間” に ”生まれ変わることがない” のであり・・・

 

これこそが ”人間からの卒業” としての ”解脱(げだつ)” なのです。

 

ブッダは このことを 私たち人類に 明確に 示しているのです。目

 

 

 

 

そして 628の詩経の 内容は・・・

 

在家者 出家者の いずれとも 交わらずに・・・

 

(定住する) ”住処(すみか)” が なくて ”遍歴(へんれき)” する というのは・・・

 

一定の場所に ”定住しない” ライフ・スタイル を 実現することで・・・ 

 

”人間関係の軋轢(あつれき)” からの ”解放” を 意味しています。

 

人間とは ”人間同士” での ”欲望による争い” が どこでも 始まります。

 

そこで 私たちは さまざまな形で ”苦しむ” わけです。

 

ブッダは それゆえに ”遍歴” による ”独立” を 奨めていたのです。クローバー

 

 

 

 

さらには 629の 詩経である・・・

 

強く あるいは 弱い 生き物に対して ”暴力” を 加えることなく・・・

 

(なにものも) ”殺さず” また ”殺させる” ことの ない人・・・というのは・・・

 

同じ ”生物同士” で ”暴力” や ”殺意” を 持つことは・・・

 

”心の動揺” を 同時に 発生させることを 意味します。

 

そのような ”動揺” というものが・・・

 

実は 私たちを ”解脱” から ”遠ざける” ことを 意味するのです。ガーンあせる

 

 

 

 

ブッダは ”人間からの解脱” を ”理解する” ために・・・

 

”ニルヴァーナ” という ”平穏の境地” を 示しました。(※)

 

それは 私たちにとっての ”心の平穏” が ”基本” に なります。

 

つまり 私たちが この人生で さまざまなことで ”動揺” していれば・・・

 

どれほど ”熱心な修行”  を している つもりでも・・・

 

まったく ”目標” には ”到達できない” ことを 意味するのです。ショック!あせる

 

 

 

 

つまり 私たちが 仮に ”死” を 迎えたとしても・・・

 

”死後の来世” では 再び ”人間” に ”生まれ変わる” ことになり・・・

 

再び ”苦しみの人生” が 待ち受けていることを 意味するのです。しょぼん

 

 

 

 

では そうならないためには どうすればよいのか?

 

それが 626の 詩経にも あるように・・・

 

この世において 自分自身の ”欲望” や ”動揺” を 消滅させることで・・・ 

 

”自分の苦しみ” が ”滅びた” ことを 知ることができて・・・

 

この人生での ”苦しみの重荷” を 降ろすことが できるのです。虹

 

 

 

 

それによって 627の 詩経にある・・・

 

明らかな ”智慧(ちえ)” が 深くて ”聡明な人間” に 導かれるのであり・・・ 

 

さらに ここで登場する ”種々の道” とは・・・

 

① 悪への道 ② 善への道 ③ ニルヴァーナへの道 ④ 道ならぬ道・・・であり

 

”聡明” とは それぞれの道を ”通達(熟知)” している という意味です。

 

そして ”最高の目的(解脱のこと)” を 達している人・・・

 

それが ブッダが 説いていた ”バラモン(最高の修行者)” なのであり・・・

 

人間界における ”最高の地位の人間” と 考えられるのです。目

 

 

 

 

 

皆様も もしも 日常生活において・・・

 

さまざまなことで ”苦しみ” や ”動揺” が 起こっているならば・・・

 

それは ”人間” に ”縛りつけられる” ことの ”証拠” を 意味します。

 

私たちは そのような ”不幸な次元” からの ”脱出” が 必要なのであり・・・

 

そのための ”具体的な方法” を 知れるのが ”ブッダの教え” なのです。

 

次回の記事でも この続きの内容を 考えます。ニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(※) ブッダの教えによる ”戒律” についての 内容である・・・

 

    ”ブッダの教え 戒律 とは?”   の 記事は こちらから お読み下さい 星

 

 

 

    ”ニルヴァーナ” についての 内容である・・・

 

    ”涅槃寂静(ニルヴァーナ) の 真意” の 記事は こちらから お読み下さい 星

 

 

 

 

    そして ”智慧(ちえ)” についての 内容である・・・

 

    ”智慧(ちえ) とは 何か?”  の 記事は こちらから お読み下さい 星