~原始仏典スッタニパータ 第3章 12節 ”二種の観察” より~
No,742
”執著(執着)” に 縁(よ)って ”生存” が 起こる。
”生存” せるものは ”苦しみ” を 受ける。
”生まれた者” は ”死ぬ” 。
これが ”苦しみの起こる原因” である。
No,743
それゆえに 諸々の ”賢者” は
”執着” が ”消滅” するがゆえに 正しく知って
”生まれの消滅” したことを 熟知して
再び ”迷いの生存” に 戻ることがない。
No,746
”生存” に対する ”妄執(愚かな執着)” を 断ち
”心の静まった” 修行僧は
生を くりかえす ”輪廻(りんね)” を 超える。
かれは もはや ”生存” を 受けることがない。
こんにちは
前回の記事では ”自殺” について 考えました。
そして 文末の関連記事でも ご紹介しましたが・・・
人間が ”自殺” する 場合には・・・
さまざまな ”執着心” が 存在しているようです。
そして その人は ”死後の来世” においても・・・
”人間” や ”生物” に ”生まれ変わる” ことになり・・・
そこで 再び ”苦しみの一生” を 送ることになります。
それが ”輪廻転生(りんねてんしょう)” という・・・
そこから 抜け出すことが 難しいとされる ”悪循環のサイクル” なのです。
その内容を 原始仏典 スッタニパータで 示されているのが・・・
冒頭で ご紹介した 3つの詩経です。
今回の記事では この内容について 考えます。
まず 第3章 12節 ”二種の観察” の タイトルとは・・・
人間の ”苦しみ” ついて 考える場合に・・・
一種・・・”苦しみの原因” を 示しており・・・
二種・・・その ”苦しみの原因” を ”取り除く” ことによって・・・
人間が ”苦しみ” から ”解放される” ということを 示しています。
それを ブッダは 弟子たちに ”観察せよ”・・・
つまり ”しっかり 観(み)て 理解しなさい” と 説いていたのです。
No,742の 詩経からは・・・
私たちが ”苦しむ” その ”原因” というのは・・・
”生存” していること つまり ”生物だから” と 説かれているわけです。
私たちが ”生物” としての ”人間” であることで・・・
その一生で さまざまなことで ”苦しむ” ことになり・・・
最終的には ”死” によっても ”苦しむ” ことになるわけです。
”人間の苦しみ” の ”根本的な理由” が ここで 示されているわけです。
そして 私たちが ”生存する理由” というのが・・・
”執着(執着心)” であると 説かれています。
つまり 私たちが 何かに ”執着” するだけで・・・
ずっと ”生物” や ”人間” で あり続けることを 意味しています。
それゆえに 私たちは ”苦しみ続ける” ということに なるのです。
それで ”賢者” といわれる・・・
この世界の ”真理” を ”よく知っている者” というのは・・・
自分自身の さまざまな ”執着” を ”消滅” させようとするので・・・
その結果 この世界に ”生まれる” ことが ”消滅” することになります。
それで 賢者は ”迷いの生存” に ”戻らなくて済む” ことになり・・・
それが いわゆる ”輪廻転生からの脱出” を 意味しています。
私たちが ”輪廻転生のサイクル” に 存在していることは・・・
そこで ”さまざまな生物” に ”生まれ変わる” ことを 意味します。
それは まるで ずっと 抜け出せないような ”巨大な迷路” を・・・
”途方もない時間” を かけて ”さまよう” ことに 似ているようです。
それを ブッダは ”迷いの生存” と 表現したようです。
そして No,746にも あるように・・・
自分自身が ”生物としての人間” としての・・・
さまざまな ”愚かしい執着心” を ”完全に断つ” ことができれば・・・
その修行僧は ”心の静穏” が 達成されることに なります。
それによって ”輪廻転生” を ”超える” ことが 可能になり・・・
もはや ”生物としての人間” にも ”生まれ変わらない” ことになります。
そして その人は この 宇宙の中で・・・
”苦しまない存在” へ 移行することが できるわけです。
ここでの内容は 私たちが 人間として ”生まれてきた理由” も 示しているようです。
それは おそらく 自分自身の ”前世” においても・・・
そこには ”生物としての執着心” が 存在していたからです。
その結果 私たちは ”人間” として 生まれてきたのであり・・・
それゆえに この人生で さまざまな形で ”苦しむ” ことに なったわけです。
しかし 私たちが この ”現世” において・・・
”生物としての執着心” から 完全に ”離脱” できれば・・・
私たちは 自分自身の ”苦しみの原因” から ”開放” されることになり・・・
やがて この人生で ”死” を 迎えることになっても・・・
”死後の来世” でも ”苦しみから解放される” ことが 実現されます。
それは 自分自身が ”生物ではない” ことが 実現されるからです。
これが 私たちが 知っておくべき ”重要な真理” であると 考えられます。
ブッダは 人間の ”理想的な状態” として・・・
”平穏” や ”静穏” を 示しました。
そして その状態になるのを ”邪魔するもの” というのが・・・
ここで 示された 私たちの ”執着心” であることが わかってきます。
私たちも 修行僧たちと 同様に ”自分自身の静穏” を・・・
”何が 邪魔しているのか?” ということを・・・
まず 日常生活の中で 明らかにすることが 第一であると 考えられます。
そして その ”邪魔もの” としての・・・
自分自身の ”執着心” を ”捨て去る” ことを 努力すべきのようです。
それが 私たちが ”苦しみ” から ”解放される” ための・・・
”最善のアプローチ” であると 考えられるからです。
皆様も もし ご自身が ”苦しみ” を 感じている 場合には・・・
それは 自分自身が ”迷っている証拠” であると お考え下さい。
そして 自分自身が ”迷っている原因” というのが・・・
ご自身が ”執着していること” なのです。
人間の ”苦しみ” というものは 放っておくと・・・
どんどん ”増大する” という 性質が あるようです。
それゆえに 自分自身が ”苦しみ” を ”受ける前” に・・・
自分自身の ”苦しみの原因” を いち早く 理解することが 必要です。
そして その ”原因” から いち早く ”離脱” しておくことで・・・
”取り返しのつかない状況” を 招かないことが 重要なのです。
皆様も 今後の 人生において・・・
ご自身の ”苦しみの原因” とは いったい 何か? という問題について・・・
じっくりと ”観察” されてみては いかがでしょうか?
(※) ”執着” についての 関連記事ですので お読みください
”ブッダの教え 執着は 悪魔の言葉” の 記事は こちらです
”執着 を 捨てましょう” の 記事は こちらです
No,742
”執著(執着)” に 縁(よ)って ”生存” が 起こる。
”生存” せるものは ”苦しみ” を 受ける。
”生まれた者” は ”死ぬ” 。
これが ”苦しみの起こる原因” である。
No,743
それゆえに 諸々の ”賢者” は
”執着” が ”消滅” するがゆえに 正しく知って
”生まれの消滅” したことを 熟知して
再び ”迷いの生存” に 戻ることがない。
No,746
”生存” に対する ”妄執(愚かな執着)” を 断ち
”心の静まった” 修行僧は
生を くりかえす ”輪廻(りんね)” を 超える。
かれは もはや ”生存” を 受けることがない。
こんにちは
前回の記事では ”自殺” について 考えました。
そして 文末の関連記事でも ご紹介しましたが・・・
人間が ”自殺” する 場合には・・・
さまざまな ”執着心” が 存在しているようです。
そして その人は ”死後の来世” においても・・・
”人間” や ”生物” に ”生まれ変わる” ことになり・・・
そこで 再び ”苦しみの一生” を 送ることになります。
それが ”輪廻転生(りんねてんしょう)” という・・・
そこから 抜け出すことが 難しいとされる ”悪循環のサイクル” なのです。
その内容を 原始仏典 スッタニパータで 示されているのが・・・
冒頭で ご紹介した 3つの詩経です。
今回の記事では この内容について 考えます。
まず 第3章 12節 ”二種の観察” の タイトルとは・・・
人間の ”苦しみ” ついて 考える場合に・・・
一種・・・”苦しみの原因” を 示しており・・・
二種・・・その ”苦しみの原因” を ”取り除く” ことによって・・・
人間が ”苦しみ” から ”解放される” ということを 示しています。
それを ブッダは 弟子たちに ”観察せよ”・・・
つまり ”しっかり 観(み)て 理解しなさい” と 説いていたのです。
No,742の 詩経からは・・・
私たちが ”苦しむ” その ”原因” というのは・・・
”生存” していること つまり ”生物だから” と 説かれているわけです。
私たちが ”生物” としての ”人間” であることで・・・
その一生で さまざまなことで ”苦しむ” ことになり・・・
最終的には ”死” によっても ”苦しむ” ことになるわけです。
”人間の苦しみ” の ”根本的な理由” が ここで 示されているわけです。
そして 私たちが ”生存する理由” というのが・・・
”執着(執着心)” であると 説かれています。
つまり 私たちが 何かに ”執着” するだけで・・・
ずっと ”生物” や ”人間” で あり続けることを 意味しています。
それゆえに 私たちは ”苦しみ続ける” ということに なるのです。
それで ”賢者” といわれる・・・
この世界の ”真理” を ”よく知っている者” というのは・・・
自分自身の さまざまな ”執着” を ”消滅” させようとするので・・・
その結果 この世界に ”生まれる” ことが ”消滅” することになります。
それで 賢者は ”迷いの生存” に ”戻らなくて済む” ことになり・・・
それが いわゆる ”輪廻転生からの脱出” を 意味しています。
私たちが ”輪廻転生のサイクル” に 存在していることは・・・
そこで ”さまざまな生物” に ”生まれ変わる” ことを 意味します。
それは まるで ずっと 抜け出せないような ”巨大な迷路” を・・・
”途方もない時間” を かけて ”さまよう” ことに 似ているようです。
それを ブッダは ”迷いの生存” と 表現したようです。
そして No,746にも あるように・・・
自分自身が ”生物としての人間” としての・・・
さまざまな ”愚かしい執着心” を ”完全に断つ” ことができれば・・・
その修行僧は ”心の静穏” が 達成されることに なります。
それによって ”輪廻転生” を ”超える” ことが 可能になり・・・
もはや ”生物としての人間” にも ”生まれ変わらない” ことになります。
そして その人は この 宇宙の中で・・・
”苦しまない存在” へ 移行することが できるわけです。
ここでの内容は 私たちが 人間として ”生まれてきた理由” も 示しているようです。
それは おそらく 自分自身の ”前世” においても・・・
そこには ”生物としての執着心” が 存在していたからです。
その結果 私たちは ”人間” として 生まれてきたのであり・・・
それゆえに この人生で さまざまな形で ”苦しむ” ことに なったわけです。
しかし 私たちが この ”現世” において・・・
”生物としての執着心” から 完全に ”離脱” できれば・・・
私たちは 自分自身の ”苦しみの原因” から ”開放” されることになり・・・
やがて この人生で ”死” を 迎えることになっても・・・
”死後の来世” でも ”苦しみから解放される” ことが 実現されます。
それは 自分自身が ”生物ではない” ことが 実現されるからです。
これが 私たちが 知っておくべき ”重要な真理” であると 考えられます。
ブッダは 人間の ”理想的な状態” として・・・
”平穏” や ”静穏” を 示しました。
そして その状態になるのを ”邪魔するもの” というのが・・・
ここで 示された 私たちの ”執着心” であることが わかってきます。
私たちも 修行僧たちと 同様に ”自分自身の静穏” を・・・
”何が 邪魔しているのか?” ということを・・・
まず 日常生活の中で 明らかにすることが 第一であると 考えられます。
そして その ”邪魔もの” としての・・・
自分自身の ”執着心” を ”捨て去る” ことを 努力すべきのようです。
それが 私たちが ”苦しみ” から ”解放される” ための・・・
”最善のアプローチ” であると 考えられるからです。
皆様も もし ご自身が ”苦しみ” を 感じている 場合には・・・
それは 自分自身が ”迷っている証拠” であると お考え下さい。
そして 自分自身が ”迷っている原因” というのが・・・
ご自身が ”執着していること” なのです。
人間の ”苦しみ” というものは 放っておくと・・・
どんどん ”増大する” という 性質が あるようです。
それゆえに 自分自身が ”苦しみ” を ”受ける前” に・・・
自分自身の ”苦しみの原因” を いち早く 理解することが 必要です。
そして その ”原因” から いち早く ”離脱” しておくことで・・・
”取り返しのつかない状況” を 招かないことが 重要なのです。
皆様も 今後の 人生において・・・
ご自身の ”苦しみの原因” とは いったい 何か? という問題について・・・
じっくりと ”観察” されてみては いかがでしょうか?
(※) ”執着” についての 関連記事ですので お読みください
”ブッダの教え 執着は 悪魔の言葉” の 記事は こちらです
”執着 を 捨てましょう” の 記事は こちらです