~ブッダのことば スッタニパータ 第4章 14節 ”迅速” より~
No.919
修行者は ”心のうち” が 平安となれ。
外に ”静穏” を 求めてはならない。
内的に 平安となった人には ”取り上げられるもの” は 存在しない。
どうして 捨てられるものが あろうか。
こんにちは
このブログでは これまでも ”原始仏典 スッタニパータ” を 取り上げて参りましたが・・・
今月からは その中でも 極めて 重要と考えられる 詩経について・・・
適時に クローズアップしつつ ご紹介しながら 考えて参ります。
前回までの記事でも ご紹介いたしましたが・・・
私たちは 今後の ”宇宙時代” を 生き抜くうえでは・・・
自分自身の ”心の静穏” を 維持することが 重要になります。
つまり 今後の世界では・・・
私たち 人類にとって 何が起こるか まったく 予測しづらくなり・・・
私たちは そこで いちいち ”動揺” していては・・・
自分自身の ”苦しみ” が ”増える” ことに なってしまいます。
そして それを ”回避する” ことが・・・
私たちは 人間として ”賢明” であると 考えられます。
そして その ”方法” を 2500年前に 人類に 示していたのが・・・
仏教の開祖であった ゴータマ・ブッダ だったのです。
今回 クローズアップした 詩経の内容は・・・
人間としての ”静穏” というものを・・・
私たちは ”どこに 求めるべきか?” を 示しています。
それは 自分自身の ”心のうち(内部)” なのです。
さらには 自分自身の ”外部” には 求めてはならない ことも 示しています。
私たち 人間は この人生において・・・
あらゆるものを ”獲得” しようと ”努力” します。
つまり あらゆるものを ”所有” することを ”生きる目標” に しているわけです。
そして そのような 自分自身の内部ではない ”外的な要素” である・・・
”所有物” としての ”モノ” や ”お金” や ”家屋” や ”土地” ・・・
さらには ”配偶者” や ”子供” などの ”家族” においても・・・
それらを ”所有” することで ”心の平安” を 得ようと しているわけです。
それが 人間としての ”幸福” であるとも 考えています。
しかし ブッダは そのような状況において・・・
そのような ”所有物” というものは・・・
いずれ ”取り上げられる” ことになると 説いているわけです。
すべてのものは 決して 永遠に 自分の手元に あり続けることはなく・・・
やがて すべてが ”失われる” ことに なるわけです。
そして そこで 人間は 激しく ”動揺” することになり・・・
さらには 深く ”絶望” することにも なってしまいます。
つまり この詩経が 何を 言っているのか?
それは 本当に ”心の平安” が 実現される者 というのは・・・
”所有物” などの ”外的な要素” を 持っておらず・・・
”捨てるもの” など まったくない というような・・・
”自分の身一つ” で 生きている者である ということです。
そして さらに その人は 自分の周囲での さまざまな 出来事における・・・
”外的な状況” にも ”動揺することがない” ということも 示されているのです。
また ここでの ”修行者” というのは・・・
単に 仏教での修行者 だけに 限定されません。
それは すべての人間の ”理想像” を 示しているのです。
つまり 私たちが ”心の平安” を 実現できれば・・・
私たちは ”苦しみから 解放される” ことを ブッダは 示していたのです。
私たちは この人生で いったい 何を 苦しんでいるのか?
それは ほとんどが 自分が ”所有するもの” に 関しての・・・
それらが ”失われることの苦痛” であると 考えられます。
そして それらを 失わないために どうするのか?
それは 場合によっては ”他人との争い” も やむを得ないと 考えることになり・・・
場合によっては ”殺人” すらも 肯定することになります。
やがては 自分の母国の ”国家の利益” を 失わないためにも・・・
”戦争” すらも 肯定することになります。
そして 人類は これまで 数限りない ”地獄世界” を 出現させてしまい・・・
”激しい苦しみの世界” を 自らが 招いてしまったのです。
そして 仮に 自分自身が 他者と 争わなくても・・・
自分自身が 受けることになる その ”最大の苦痛” というものが ・・・
誰にでも 訪れる ”自分自身の死” であると 考えられます。
そこでは 自分の ”所有物” のみならず・・・
”自分自身の肉体” も ”失われる” ことになります。
それが 人間としての 生物としての ”宿命” であるわけです。
ブッダが 2500年前に なぜ ”仏教” を 興したのか?
それは 人間の ”苦しみの本質” を 解き明かしたからであり・・・
人間が ”苦しまなくて済む方法” を 明らかにしたからです。
私たちは 今後の 宇宙時代においての ”厳しい現実” に 直面する前に・・・
自分自身が ”苦しまない” ためにも・・・
”ブッダの教え” を 十分に 理解しておくべきであると 考えられるのです。
私たちは 今後の 人生において・・・
自分の周囲でおこる さまざまな出来事に ”一喜一憂” することなく・・・
自分自身の ”内面” を 重視して・・・
”本当の意味” での ”こころの静穏” を 実現して 参りたいですね。
それが 自分自身が ”苦しまない” ための・・・
”最善の方法” であると 考えられるからなのです。
(※) ブッダの教えによる ”所有物” についての 内容である・・・
”所有という 考え方を捨てる” の 過去記事は こちらから お読み下さい
No.919
修行者は ”心のうち” が 平安となれ。
外に ”静穏” を 求めてはならない。
内的に 平安となった人には ”取り上げられるもの” は 存在しない。
どうして 捨てられるものが あろうか。
こんにちは
このブログでは これまでも ”原始仏典 スッタニパータ” を 取り上げて参りましたが・・・
今月からは その中でも 極めて 重要と考えられる 詩経について・・・
適時に クローズアップしつつ ご紹介しながら 考えて参ります。
前回までの記事でも ご紹介いたしましたが・・・
私たちは 今後の ”宇宙時代” を 生き抜くうえでは・・・
自分自身の ”心の静穏” を 維持することが 重要になります。
つまり 今後の世界では・・・
私たち 人類にとって 何が起こるか まったく 予測しづらくなり・・・
私たちは そこで いちいち ”動揺” していては・・・
自分自身の ”苦しみ” が ”増える” ことに なってしまいます。
そして それを ”回避する” ことが・・・
私たちは 人間として ”賢明” であると 考えられます。
そして その ”方法” を 2500年前に 人類に 示していたのが・・・
仏教の開祖であった ゴータマ・ブッダ だったのです。
今回 クローズアップした 詩経の内容は・・・
人間としての ”静穏” というものを・・・
私たちは ”どこに 求めるべきか?” を 示しています。
それは 自分自身の ”心のうち(内部)” なのです。
さらには 自分自身の ”外部” には 求めてはならない ことも 示しています。
私たち 人間は この人生において・・・
あらゆるものを ”獲得” しようと ”努力” します。
つまり あらゆるものを ”所有” することを ”生きる目標” に しているわけです。
そして そのような 自分自身の内部ではない ”外的な要素” である・・・
”所有物” としての ”モノ” や ”お金” や ”家屋” や ”土地” ・・・
さらには ”配偶者” や ”子供” などの ”家族” においても・・・
それらを ”所有” することで ”心の平安” を 得ようと しているわけです。
それが 人間としての ”幸福” であるとも 考えています。
しかし ブッダは そのような状況において・・・
そのような ”所有物” というものは・・・
いずれ ”取り上げられる” ことになると 説いているわけです。
すべてのものは 決して 永遠に 自分の手元に あり続けることはなく・・・
やがて すべてが ”失われる” ことに なるわけです。
そして そこで 人間は 激しく ”動揺” することになり・・・
さらには 深く ”絶望” することにも なってしまいます。
つまり この詩経が 何を 言っているのか?
それは 本当に ”心の平安” が 実現される者 というのは・・・
”所有物” などの ”外的な要素” を 持っておらず・・・
”捨てるもの” など まったくない というような・・・
”自分の身一つ” で 生きている者である ということです。
そして さらに その人は 自分の周囲での さまざまな 出来事における・・・
”外的な状況” にも ”動揺することがない” ということも 示されているのです。
また ここでの ”修行者” というのは・・・
単に 仏教での修行者 だけに 限定されません。
それは すべての人間の ”理想像” を 示しているのです。
つまり 私たちが ”心の平安” を 実現できれば・・・
私たちは ”苦しみから 解放される” ことを ブッダは 示していたのです。
私たちは この人生で いったい 何を 苦しんでいるのか?
それは ほとんどが 自分が ”所有するもの” に 関しての・・・
それらが ”失われることの苦痛” であると 考えられます。
そして それらを 失わないために どうするのか?
それは 場合によっては ”他人との争い” も やむを得ないと 考えることになり・・・
場合によっては ”殺人” すらも 肯定することになります。
やがては 自分の母国の ”国家の利益” を 失わないためにも・・・
”戦争” すらも 肯定することになります。
そして 人類は これまで 数限りない ”地獄世界” を 出現させてしまい・・・
”激しい苦しみの世界” を 自らが 招いてしまったのです。
そして 仮に 自分自身が 他者と 争わなくても・・・
自分自身が 受けることになる その ”最大の苦痛” というものが ・・・
誰にでも 訪れる ”自分自身の死” であると 考えられます。
そこでは 自分の ”所有物” のみならず・・・
”自分自身の肉体” も ”失われる” ことになります。
それが 人間としての 生物としての ”宿命” であるわけです。
ブッダが 2500年前に なぜ ”仏教” を 興したのか?
それは 人間の ”苦しみの本質” を 解き明かしたからであり・・・
人間が ”苦しまなくて済む方法” を 明らかにしたからです。
私たちは 今後の 宇宙時代においての ”厳しい現実” に 直面する前に・・・
自分自身が ”苦しまない” ためにも・・・
”ブッダの教え” を 十分に 理解しておくべきであると 考えられるのです。
私たちは 今後の 人生において・・・
自分の周囲でおこる さまざまな出来事に ”一喜一憂” することなく・・・
自分自身の ”内面” を 重視して・・・
”本当の意味” での ”こころの静穏” を 実現して 参りたいですね。
それが 自分自身が ”苦しまない” ための・・・
”最善の方法” であると 考えられるからなのです。
(※) ブッダの教えによる ”所有物” についての 内容である・・・
”所有という 考え方を捨てる” の 過去記事は こちらから お読み下さい