こんにちは
前回の記事では キリスト教の聖典である・・・
”新約聖書” の 内容について 考えました。
その中での ”ルカによる福音書” には・・・
この人生で ”苦しむ人間” には・・・
その後 ”正反対の現象” が 起こり・・・
結果的に ”幸いである” という内容が 記されています。
つまり 私たちが たとえ ”苦しみ (不幸)” に 遭遇しても・・・
その後 確実に ”幸福” になる というのが・・・
”キリスト教” での ”重要な教義” なのです。
それが もし この世界での “真理” で あるならば・・・
私たちには ”不幸” と ”幸福” が・・・
”交互” に やってくる・・・ということが 理解されます。
そして 私は 過去のTV番組の中で ある人が・・・
それと ”同様の内容” を 言っていたのを 思い出しました。
それが 俳優・マルチタレントである ”美輪明宏さん” が 示していた・・・
”正負の法則” というものです。
今回の記事では その内容について 考えて参ります。
美輪氏が 出された書籍には・・・
”あぁ 正負の法則” (PARCO出版) が あります。
そして その中に ”大きく得れば 大きく失う” という節があります。
それでは ここで その内容の一部を 要約して ご紹介します。
まず この世の中には・・・
”正負の法則” が あることを 忘れてはなりません。
”楽” あれば ”苦” あり・・・
”苦” あれば ”楽” ありで・・・
”いいこと” の 後には ”つらいこと” が やってくるものです。
”揺り戻しのない幸せ” は この世には存在しない と言う事を 覚えておくべきです。
器量良く生まれて お金持ちで・・・
素敵な恋や 愛に恵まれ・・・
大きな家で 家族も みんな健康で・・・
仕事も順調 平和で幸せ などと・・・
いくら願おうと それは 本人の自由です。
でも いっぺんに 全部手に入ってしまったら 後は ”落ちるだけ” です。
しかも 恐ろしい程の ”落差” で ”命を落としてしまう” こともあるのです。
別に 脅かすつもりはありませんが。 ただ ”事実” を 述べているだけです。
”大きな正” には ”大きな負” が 必ず ”セット” に なっています。
表だけが 大きいコイン・・・片方だけに 大きく振れる振り子・・・
影のない光・・・などが ないように
これは 変えられようのない ”事実真理” です。
だから ”小さな正” しか 得られなかったからといって 悲観することはない。
”手にする負” も ”小さく” て 済むのです。
私のいる 芸能界でも・・・
もの凄く 人気があって お金を稼いでいる タレントが・・・
家に帰れば ”家庭崩壊” なんて例は ザラにある。
独身の人気タレントなら 休日もない・・・
仮にあっても 外出など 夢のまた夢・・・なんて生活をしている。
あまり 売れないけれど・・・
人望があり 恋人とも 自由にデートできる という人も いますしね。
”悪いこと” も あるかわりに ”いいこと” も ある。
ものごとには 常に ”裏と表” が あるのです。
”明るい部分” だけを 夢見ているようでは・・・
必ず ”しっぺ返し” を 食らうもの。
ですから すべてが手に入らないことを 嘆くのは 間違っているわけです。
”ほどほど” で けっこう。
”無事息災が一番” と 思える様になれば・・・
人を うらやましがることも なくなる。
精神衛生上 大変 よろしいですね。
以上が その主要な 内容でした。
美輪氏は その豊富な 人生経験から・・・
以上のような ”法則” を 見い出されたと 思われます。
私自身も TV番組などで その内容を 知った時・・・
とても 興味深い内容であると 感じました。
さらに 美輪氏が ”キリスト教” にも 影響を受けられていることも 感じました。
そして それを ご自身の 実体験とともに 述べられていることに・・・
”強い説得力” も 備わっていることを 私は 感じたわけです。
では 美輪氏の ”正負の法則” について 考えるとき・・・
私には 具体的に ある図式が 思い浮かびました。
それが 以下の グラフのような ものでした。
このグラフでは 縦軸に ”快楽” と ”苦痛(苦しみ)” を 設定し・・・
横軸に ”時間” を 設定しました。
”快楽” を 感じることが ”正(+)” であり・・・
”苦しみ” を 感じることが “負(-)” です。
つまり 私たちが 生きてゆく ”人生の時間” の中では・・・
”正” と “負” が ”交互にやってくる” ということを 表しています。
そして その ”振り幅” というものは・・・
”正” と “負” が ”同じ長さ(絶対値)” であることを 示しており・・・
”快楽の量” と ”苦しみの量” が ”比例する” ことも 表しています。
美輪氏も 述べていましたが・・・
”正” が “小さい” 場合には・・・
“負” も “小さい” ことに なるようです。
それとは 反対に・・・
”快楽(正)” が “大きい” 場合には・・・
その後に 訪れる ”苦しみ(負)” も “大きい” ことに なるのです。
これが ”正負の法則” であると 考えられます。
このブログの読者の方は すでに お分かりであると 思われますが・・・
この内容は ”原始仏教” における ”ブッダの教え” からも 導かれます。
それゆえに 仏教での 修行者たちは・・・
”煩悩(ぼんのう・欲望)” から ”離れる” ことによって・・・
”苦しみの原因” を ”最小にする” ことを 目指しているわけです。
これが ”本来の仏教” における ”修行の目的” であると 考えられます。
そして 仏教の開祖であった ”ゴータマ・ブッダ” が・・・
最終的に ”何を 目指していたか?” を 考えると・・・
次に示す “赤線のグラフ” になることが 考えられるのです。
私たち人間が 自分自身の ”快楽(欲望)” を・・・
完全に ”0(ゼロ)” に することが できれば・・・
その後 ”苦しみ” も ”0(ゼロ)” にすることが 可能になります。
私たちが その状態を 実現することができれば・・・
人間として 感じている ありとあらゆる ”苦しみ” から・・・
”完全” に ”解放される” と 考えられます。
そして これが 仏教における “無の境地” であると 考えられるのです。
私たちが 仏教における・・・
“無(む)” という 概念について 考えるとき・・・
それについて ほとんど 理解できないことが 多いわけですが・・・
これを ”正負の法則” を ベースにして 考えてゆけば・・・
その意味が 明確に 理解できることにも なるようです。
そして “無の境地” が 何を 意味するのか? を 考えると・・・
それは グラフからも 理解できますが・・・
心理的にも ”平穏の境地” であることが わかってきます。
つまり ”快楽” や ”苦しみ” による・・・
“大きな波” とは ”無縁(むえん)” に なるのであり・・・
これによって 内面的にも 外面的にも ”乱されない” ことが 続くのです。
そして この状態が “永遠” に 続く状態を 示しているのが・・・
ブッダが 説いていた ”ニルヴァーナ(涅槃寂静)” であると 考えられます。
また ブッダは 弟子の修行者たちに対して・・・
いわゆる ”荒行(あらぎょう)” などの ”厳しい修行” は 必要ではなく・・・
”快楽” と ”苦痛” の “中間” を 意味する・・・
”中庸(ちゅうよう)” を 維持しなさい と 説いていました。(※)
つまり その状態も “赤線のグラフ” が 示していると 考えられます。
私たちは この人生において・・・
”快楽” や ”苦しみ” に ”一喜一憂” している わけですが・・・
それが 果たして ”正しい生き方” であると 言えるのか?
私たちは 美輪氏が 示していた ”正負の法則” を 考えることによって・・・
そのことを ここで 改めて 考える必要がある と 思われます。
次回の記事では この内容を 踏まえて・・・
さらに ”死後の来世” を 含めた・・・
私たちにとっての ”進むべき道” について 考えて参りたいと 思います。
(※) 以下は この内容を補足する 過去記事ですので どうぞ お読み下さい。
仏教における “無(む)” の 概念が 登場する・・・
”般若心経(はんにゃしんぎょう)” について 考えました・・・
”般若心経の内容 ② ~無とは?~” の記事は こちらからどうぞ
ブッダの教えでの ”中庸(ちゅうよう)” について 考えました・・・
”ブッダの教え 命の意味 とは?” の記事は こちらです
”断食(だんじき) の 意味” の記事は こちらです
”快楽” と ”苦しみ” について 考えました・・・
”快楽は 苦痛の世界を招く” の記事は こちらです
前回の記事では キリスト教の聖典である・・・
”新約聖書” の 内容について 考えました。
その中での ”ルカによる福音書” には・・・
この人生で ”苦しむ人間” には・・・
その後 ”正反対の現象” が 起こり・・・
結果的に ”幸いである” という内容が 記されています。
つまり 私たちが たとえ ”苦しみ (不幸)” に 遭遇しても・・・
その後 確実に ”幸福” になる というのが・・・
”キリスト教” での ”重要な教義” なのです。
それが もし この世界での “真理” で あるならば・・・
私たちには ”不幸” と ”幸福” が・・・
”交互” に やってくる・・・ということが 理解されます。
そして 私は 過去のTV番組の中で ある人が・・・
それと ”同様の内容” を 言っていたのを 思い出しました。
それが 俳優・マルチタレントである ”美輪明宏さん” が 示していた・・・
”正負の法則” というものです。
今回の記事では その内容について 考えて参ります。
美輪氏が 出された書籍には・・・
”あぁ 正負の法則” (PARCO出版) が あります。
そして その中に ”大きく得れば 大きく失う” という節があります。
それでは ここで その内容の一部を 要約して ご紹介します。
まず この世の中には・・・
”正負の法則” が あることを 忘れてはなりません。
”楽” あれば ”苦” あり・・・
”苦” あれば ”楽” ありで・・・
”いいこと” の 後には ”つらいこと” が やってくるものです。
”揺り戻しのない幸せ” は この世には存在しない と言う事を 覚えておくべきです。
器量良く生まれて お金持ちで・・・
素敵な恋や 愛に恵まれ・・・
大きな家で 家族も みんな健康で・・・
仕事も順調 平和で幸せ などと・・・
いくら願おうと それは 本人の自由です。
でも いっぺんに 全部手に入ってしまったら 後は ”落ちるだけ” です。
しかも 恐ろしい程の ”落差” で ”命を落としてしまう” こともあるのです。
別に 脅かすつもりはありませんが。 ただ ”事実” を 述べているだけです。
”大きな正” には ”大きな負” が 必ず ”セット” に なっています。
表だけが 大きいコイン・・・片方だけに 大きく振れる振り子・・・
影のない光・・・などが ないように
これは 変えられようのない ”事実真理” です。
だから ”小さな正” しか 得られなかったからといって 悲観することはない。
”手にする負” も ”小さく” て 済むのです。
私のいる 芸能界でも・・・
もの凄く 人気があって お金を稼いでいる タレントが・・・
家に帰れば ”家庭崩壊” なんて例は ザラにある。
独身の人気タレントなら 休日もない・・・
仮にあっても 外出など 夢のまた夢・・・なんて生活をしている。
あまり 売れないけれど・・・
人望があり 恋人とも 自由にデートできる という人も いますしね。
”悪いこと” も あるかわりに ”いいこと” も ある。
ものごとには 常に ”裏と表” が あるのです。
”明るい部分” だけを 夢見ているようでは・・・
必ず ”しっぺ返し” を 食らうもの。
ですから すべてが手に入らないことを 嘆くのは 間違っているわけです。
”ほどほど” で けっこう。
”無事息災が一番” と 思える様になれば・・・
人を うらやましがることも なくなる。
精神衛生上 大変 よろしいですね。
以上が その主要な 内容でした。
美輪氏は その豊富な 人生経験から・・・
以上のような ”法則” を 見い出されたと 思われます。
私自身も TV番組などで その内容を 知った時・・・
とても 興味深い内容であると 感じました。
さらに 美輪氏が ”キリスト教” にも 影響を受けられていることも 感じました。
そして それを ご自身の 実体験とともに 述べられていることに・・・
”強い説得力” も 備わっていることを 私は 感じたわけです。
では 美輪氏の ”正負の法則” について 考えるとき・・・
私には 具体的に ある図式が 思い浮かびました。
それが 以下の グラフのような ものでした。
このグラフでは 縦軸に ”快楽” と ”苦痛(苦しみ)” を 設定し・・・
横軸に ”時間” を 設定しました。
”快楽” を 感じることが ”正(+)” であり・・・
”苦しみ” を 感じることが “負(-)” です。
つまり 私たちが 生きてゆく ”人生の時間” の中では・・・
”正” と “負” が ”交互にやってくる” ということを 表しています。
そして その ”振り幅” というものは・・・
”正” と “負” が ”同じ長さ(絶対値)” であることを 示しており・・・
”快楽の量” と ”苦しみの量” が ”比例する” ことも 表しています。
美輪氏も 述べていましたが・・・
”正” が “小さい” 場合には・・・
“負” も “小さい” ことに なるようです。
それとは 反対に・・・
”快楽(正)” が “大きい” 場合には・・・
その後に 訪れる ”苦しみ(負)” も “大きい” ことに なるのです。
これが ”正負の法則” であると 考えられます。
このブログの読者の方は すでに お分かりであると 思われますが・・・
この内容は ”原始仏教” における ”ブッダの教え” からも 導かれます。
それゆえに 仏教での 修行者たちは・・・
”煩悩(ぼんのう・欲望)” から ”離れる” ことによって・・・
”苦しみの原因” を ”最小にする” ことを 目指しているわけです。
これが ”本来の仏教” における ”修行の目的” であると 考えられます。
そして 仏教の開祖であった ”ゴータマ・ブッダ” が・・・
最終的に ”何を 目指していたか?” を 考えると・・・
次に示す “赤線のグラフ” になることが 考えられるのです。
私たち人間が 自分自身の ”快楽(欲望)” を・・・
完全に ”0(ゼロ)” に することが できれば・・・
その後 ”苦しみ” も ”0(ゼロ)” にすることが 可能になります。
私たちが その状態を 実現することができれば・・・
人間として 感じている ありとあらゆる ”苦しみ” から・・・
”完全” に ”解放される” と 考えられます。
そして これが 仏教における “無の境地” であると 考えられるのです。
私たちが 仏教における・・・
“無(む)” という 概念について 考えるとき・・・
それについて ほとんど 理解できないことが 多いわけですが・・・
これを ”正負の法則” を ベースにして 考えてゆけば・・・
その意味が 明確に 理解できることにも なるようです。
そして “無の境地” が 何を 意味するのか? を 考えると・・・
それは グラフからも 理解できますが・・・
心理的にも ”平穏の境地” であることが わかってきます。
つまり ”快楽” や ”苦しみ” による・・・
“大きな波” とは ”無縁(むえん)” に なるのであり・・・
これによって 内面的にも 外面的にも ”乱されない” ことが 続くのです。
そして この状態が “永遠” に 続く状態を 示しているのが・・・
ブッダが 説いていた ”ニルヴァーナ(涅槃寂静)” であると 考えられます。
また ブッダは 弟子の修行者たちに対して・・・
いわゆる ”荒行(あらぎょう)” などの ”厳しい修行” は 必要ではなく・・・
”快楽” と ”苦痛” の “中間” を 意味する・・・
”中庸(ちゅうよう)” を 維持しなさい と 説いていました。(※)
つまり その状態も “赤線のグラフ” が 示していると 考えられます。
私たちは この人生において・・・
”快楽” や ”苦しみ” に ”一喜一憂” している わけですが・・・
それが 果たして ”正しい生き方” であると 言えるのか?
私たちは 美輪氏が 示していた ”正負の法則” を 考えることによって・・・
そのことを ここで 改めて 考える必要がある と 思われます。
次回の記事では この内容を 踏まえて・・・
さらに ”死後の来世” を 含めた・・・
私たちにとっての ”進むべき道” について 考えて参りたいと 思います。
(※) 以下は この内容を補足する 過去記事ですので どうぞ お読み下さい。
仏教における “無(む)” の 概念が 登場する・・・
”般若心経(はんにゃしんぎょう)” について 考えました・・・
”般若心経の内容 ② ~無とは?~” の記事は こちらからどうぞ
ブッダの教えでの ”中庸(ちゅうよう)” について 考えました・・・
”ブッダの教え 命の意味 とは?” の記事は こちらです
”断食(だんじき) の 意味” の記事は こちらです
”快楽” と ”苦しみ” について 考えました・・・
”快楽は 苦痛の世界を招く” の記事は こちらです